フードコーディネーターの学校を作った時の話続き
ばあばのOL、祐成陽子です。
前回からの続きを書きますね。
武蔵小金井で「ケーキハウス」を無我夢中で経営。
「ケーキのことなら何でも!!」ということからお菓子と料理の教室は口コミで生徒さんがどんどん増え、休みなしで、朝から晩までお店の経営と教室を行っていました。
その頃、ヨーロッパに留学させていた娘(祐成二葉)が帰って来ました!
「何をしたいのか?」聞いてみると、料理以外にテーブルコーディネート、インテリア等を勉強してきたので、「フードコーディネーター」になりたいと言いました!!
「フードコーディネーター?? …??」
その頃まわりにそんな人どこにもいませんでした(笑)
その当時、フードの撮影は洋服のスタイリストさんがその延長で用意をしたりしている時代でした。
そんな学校はないし、
どうすればいいか
「💡」
「そうだ!無いものはつくれば良いのだ!!!!」
誰だってはじめてはあるものだし、今までの経験を生かして、皆さんが何を求めているのか?
料理教室でいつも生徒さんに、テーブルコーディネートや盛り付けも教えて欲しいとか言われていたのだし、これが「フードコーディネーターだ!」と言うものをつくるのだ!とひらめきました。
これがフードコーディネーターの学校をやるきっかけだした。
二葉が外国で学んできたものも参考にして、私も生徒さんの要望も入れ、皆さんの納得いく内容をまとめました。
ちなみに留学中は、学んだものをきっちりまとめて報告しないと仕送りはしない💣️‼️というルールを決めていたので、二葉はいつも学んだことをイラストつきで毎週欠かさず郵便でおくってきていました。日本に入ってきていない情報や色々なことを知ることができました。
それと同時にケーキハウスは働いてくれたスタッフがお店を引き継ぎたいと言うので、そっくり渡しました。
学校を始めた私たちは、フードコーディネーターはまだまだ知られてないので売り込みもしましたね。
そのせいか?テレビ出演依頼、出版依頼等も増えて来ました。
雑誌の撮影をしたときのこと。
まだ慣れてないので控えめな請求書をプロダクションの男に出したらその男が(笑)(今でも顔を覚えていますよー)目をマン丸くして
「えっ!これはタダじゃないの?カメラマンにはお金払うけどコーディネーちゃんには払えないよ。」
と言うのです。さんざ、美味しいだの、盛り付けがきれいだの、器が良いだのと誉めたくせに!そんな時代でした…
TVの人からは先生は良い仕事をするのだけど遠いので1日仕事になってしまうので頼めないといわれました。
距離だけで頼めない‼️そんなことはない!なにか?他にも理由があるはず。
でも
今出きることは、
「引っ越しだ‼️」
思い立ってしまいました(笑)
ローンの残っている家を売りました❗
そのあとは?
長くなるのでつづきは次回に!
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