全盛期の東宝特撮映画は、すべて見ていると公式には豪語しておりました。
リアルタイムで映画館で初めて見た東宝特撮映画は1966年公開の「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」だったと記憶しております。
この年は、テレビで「ウルトラQ」が放送された年です。
ですから、ちょうど第一次怪獣ブーム世代ど真ん中で子供時代を過ごしているわけです。
この年以前に製作されていた東宝特撮シリーズは、東宝のチャンピオン祭りでリバイバル上映されていたのでやはり映画館で見ています。
後はテレビ放映ですね。
怪獣が登場する映画は、ほぼ欠かさず見ていた記憶ですから、それでたぶん1954年の「ゴジラ」までは制覇しています。
ここで、「円谷英二」と「本多猪四郎」という名前は、完全に頭に刻みこまれました。
もちろん、両名が携わった作品は、「怪獣モノ」以外にも数多くあります。
子供の頃の実家の家業が本屋でしたから、いつでも最新の東宝特撮映画情報などはチェックできる恵まれた環境でした。
これらの資料で、怪獣メインの映画以外にも、東宝の特撮技術を駆使した映画が多数あることをインプット。
高校から大学時代にかけては、関東一円の名画座にまで活動範囲を広げて、東宝特撮モノは追いかけました。
ゴジラの第1作目から、第一次怪獣ブームが来るまでの東宝特撮映画は、観客のターゲットは、必ずしも子供だけではありませんでした。
なので、すでに怪獣映画からは卒業していた年齢ではありましたが、1960年代前半の東宝特撮映画は、青年期の年頃になっても結構楽しめました。
「地球防衛軍」「妖星ゴラス」「海底軍艦」など、怪獣がメインではない特撮映画は、たぶん大学生の頃に名画座で見ています。
「美女と液体人間」「ガス人間第一号」「マタンゴ」あたりは、もっと後のビデオレンタルの時代になって見た記憶です。
この辺りまで見てくると、そろぞろ東宝特撮映画はすべて見たと言っていいぞという気になっていたんだと思います。
これは、勉強はイマイチでしたが、怪獣の知識だけは誰にも負けないと自負していた、かつての怪獣少年のプライドですね。
因みに「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」に登場した怪獣や宇宙人は、今でもすべて言えます。
まあ、この年になってはなんの自慢にもなりませんが。
さて、改めて東宝特撮シリーズのリストを見てみると、これは明らかに未見だと思われる作品が、実はまだ2作品ありました。
一本は、本多猪四郎が、「ゴジラ」で大ヒットを飛ばした翌年に監督をした「獣人雪男」。
ほぼ「ゴジラ」のスタッフで作られており、特技監督は、もちろん円谷英二。
東宝の特撮シリーズとしては、4作目に当たる作品ですが、興行的には振るわなかったようです。
そして、もう一本の未見作品が本作です。
これは自分でも気がつきませんでしたが、かつて録画したモノがDVDの棚に眠っていました。
本作は、怪獣は一切登場しないSF映画です。
作られたのは、1959年。これは僕の生まれた年ですね。
監督はもちろん本多猪四郎。特撮監督は円谷英二です。
今から64年前も前のSF映画ですから、今の視点から見ればどうしたって、それだけで上から目線になります。
映画を正しく評価するにあたっては、それはフェアではありません。
こういう映画の楽しみ方は、やはり、その時代の観客の目線になって見ることでしょう。
例えば、ナタール星人の冷却光線を浴びると物体が浮遊することを、日本人科学者がこう説明するシーンがあります。
「重力の本質は核振動であり、物質が絶対零度に近づくほど、核振動が微細なものとなる。したがって、絶対零度近くにまで冷やされた物体は無重量状態となる」
理系オンチではありますが、やや気になったので、AI に聞いてみました。
結果は以下の通り。
「絶対零度近くにまで冷やされた物体は、非常に高い真空状態になります。真空状態では、原子や分子の衝突がほとんどなくなり、物質の動きが非常に遅くなります。そのため、重力の影響を受けにくくなると考えられます。
しかし、これは重力が完全になくなるということではなく、重力の影響が弱まるということです。したがって、絶対零度近くにまで冷やされた物体も、完全に無重量状態になることはありません。」
つまり、これは映画製作時代にはまだ仮説であったものを、脚本の関沢新一が積極的に取り入れたということでしょう。
そういえば、ウルトラQの第5話「ペギラが来た」でも、この理論に基づくシーンがありましたね。
本作は「ゴジラ」が世に登場してから、5年後の作品です。
ゴジラが、アメリカでも大ヒットしたのはご存知の通り。
ゴジラ映画の元ネタになったと言われる「原子怪獣現わる」は、ゴジラの前年に作られました。
この作品は、「キングコング」以来、ハリウッド映画伝統の特撮技術であるストップモーション・アニメーションを駆使したものです。
特殊撮影を担当したのは、この道の第一人者レイ・ハリーハウゼン。
しかし、ミニチュアワークとハイスピード撮影を駆使した、日本特撮陣の作り出すリアリティは、完全に当時のハリウッド製特撮映画を凌駕していました。
当時の日本の特撮映画は、まさに世界の最高水準だったわけです。
そんなわけで、本作の撮影時には、円谷英二と本多猪四郎は、その名声をすでに世界中に轟かせていました。
この二人が関わるということが発表された企画段階で、アメリカから買い付けバイヤーが来日していたほどです。
映画も、アメリカ公開を意識していることは明白で、多くの外国人が出演するグローバルな作風になっています。
科学者たちによる国際会議の場面では、全員が日本語吹き替えでしゃべっているという不自然さはありましたが、まあここは苦笑い。
本作に怪獣は登場しないと申し上げました。
地球を侵略しようとするナタール星人も、宇宙服をきている姿こそ映りますが、素顔は見せません。
その代わりに、ふんだんに登場するのが、宇宙ロケット、月面探検車などのメカニック。
このデザインを担当したのは、小松崎茂です。
このひとは僕たち世代が夢中になったプラモデルの箱絵のメカニックデザインで有名な人です。
サンターバードのプラモデルの箱絵も、おおくはこの人の作品だったということですから、僕も知らず知らずのうちに彼の作品には触れているかもしれません。
円谷英二も、ゴジラ以前には、多くの戦争映画や、戦時中の国威発揚映画で、戦闘機の特撮シーンを撮っていました。
怪獣は登場しなくとも、メカによるバトルは、もともとは彼がその腕を磨いてきた得意分野です。
宇宙空間で、ロケットエンジンから煙が出ていたり、月面上を人が重力を考慮しない普通の歩き方をしていたりするのは、今の目線で見ると確かに稚拙には見えてしまいます。
(ところどころで、無理にピアノ線で釣ったりしてはいましたが)
しかし本作は、アポロ11号が月面に着陸して、アームストロング船長が実際に月面を歩く姿を見る10年も前。
スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」で、ディスカバリー号が、スウィングバイを使って、音もなく宇宙空間を進む映像を見る9年も前の作品です。
そのあたりは考慮して評価するべきでしょう。
少なくとも、ウルトラマンの後番組として登場した、東映製作による「キャプテン・ウルトラ」の、あまりに子供騙しの宇宙描写に比べれば、かなり健闘しています。
すべてのSF映画を見ているわけではありませんが、「2001年宇宙の旅」が登場するまでは、円谷英二が描き出したこの宇宙映像こそが、世界のトップ水準のビジュアルであったかもしれません。
本作は、SFリテラシーが格段にレベルアップされた今の視点から評価するのではなく、東北の三大丸山遺跡のように、SF映画の発展を記録する上での重要な歴史的モニュメントとして鑑賞するべきではないかと思う次第。
クラシック映画を楽しむには、大いなる映画愛が不可欠だと思うわけです。
本作をむげに「ダセー」と酷評してしまうのは、あまりにデリカシーがなさ過ぎますね。
さて残るは、「獣人雪男」のみが東宝特撮映画の未見作品となりました。
資料によれば、ソフト化はされていないということなので、ここはAmazon プライムに期待いたします。
よろしくね。