アーマードコアという「鮮烈な記憶」
ついこの間の8月25日で
「ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON」
が発売されてから1年が経った。
もちろん私も買ってプレイした。あのアーマードコアが帰ってきたと思った。
最高だった。
あるとき、SNSで或る者が質問した。
「貴方達はロボゲーだからACを買ったのか、ACだから買ったのか」
と。
その問いに対し、ロボゲーだから、アーマードコアだから、フロム・ソフトウェアだから、それぞれ、人によって答えがあるだろうし、全て間違っていない。じゃあ、私の答えはなんなのか。
私の答えは
「ロボゲーとか、ACだからというのもあるが、何より、あのときの、アーマードコアをプレイしたときの鮮烈な記憶を思い出し、またその記憶にまた刻み込みたいから。」
である。
私はアーマードコアシリーズは、モバイル板とフォーミュラフロント以外は全部やった。とどのつまり、私はレイヴンであり、リンクスであり、ミグラントであったのである。残念ながらアーキテクトにはならなかったが。
私のアーマードコアとの初めての出会いは、中一の冬、たまたま目に入った「アーマードコア マスターオブアリーナ」であった。
アーマードコアは端的に言えば、「パーツを組み合わせて自分専用のロボットを作ってそれで戦う」ゲームである。それが当時の自分に刺さり、買ってプレイしたのだった。そこから重量過多やら出力不足などに気をつけながら自らの機体を組み、戦っていった。
そしてそれが楽しくて、他のシリーズ作品へと手を伸ばしていったのだった。
初代では、強化人間の存在を知り、あえて借金した。
2では、調子こいてリミッター解除して、ヤバいタイミングでそれが切れてやられた。
3では、友達とアセンを考えて対戦した。
NXでは、熱の管理に四苦八苦した。
NBでは、ナインボールの強さに興奮した。
LRでは、ラスジナに何回も機体をスクラップにされた。
4やfaでは、クイックブーストでどれだけブレードやとっつきを当てられるか試した。
VやVDでは、オーバードウェポンの強さに感嘆し、RDに真っ向から挑んだり、マグノリアにあえて攻略とか関係なしの自分のアセンで戦った。
そのほか、極限まで軽い機体や、ガチガチのタンク機体を組んだり、発売されたプラモデルを組んだり…。
そういった鮮烈な記憶が自らの脳裏に刻み込まれているのだ。
そうやって刻み込まれた記憶たちは、小さな火で大きく燃え上がる着火剤のように、大空を自由に飛び回っていた鳥達の魂を呼び覚まし、かつての古巣へと舞い戻らせるのである。
「身体は闘争を求める」というネットミームも好きである。人々が、まだアーマードコアで刻み込まれた記憶をまだ覚えていることの証明になっていたからである。
そして2022年12月9日、アーマードコア6が発表された時は、少し泣いた。それだけ、待ち望んでいたのである。
少し長くなってしまったが、これからも人々の記憶に刻み込み、覚えていてくれるゲームであって欲しい。