国語なんて大嫌いだ
プレバトに出ている俳人の夏井いつきさんが大嫌いだ。
向こうからすれば、『嫌いで結構』だし、会ってもないのに心外だともなるし、面識もないのだから。
本当に申し訳ないのだが、夏井さんには恨みはない。
ないのだが、見てるとどうしても過去のトラウマが直結してしまうから嫌わないと身が持たないのだ。
それは偏に辛口批評とその展開なのである。
それは小学校に遡る。
教科担任制度を敷かない小学校だった。
あるとしても家庭科と音楽くらいで、後はクラス担任の範囲。
そんな時代にやって来た担任は、黒歴史を隙間なく真っ黒に塗りつぶす人だった。
先生とは言いたくない。
先生とは尊敬からくる呼び方であって、自分にとっては『先ず生きてる』だけの代物でしかないと思っている。
自分にとって教職員を先生と呼べるのは中学校以降のことだ。
4月。
クラス編成が決まり、君たちの担任は私ですのような顔合わせが始まる始業式。
早々に国語に力を入れてますってのたまわった。
しかし、それは子供には難解なことばかりだった。
『感情を込めて読め』で始まった。
それは別に構わない。
だがそれが何の役に立つのだろうかと。
作者の、主人公の、登場人物の気持ちになって読めって言われてもサッパリなのだ。
音読に終始して授業が終わる。
そして忘れた頃にテストだ。
『作者の気持ちが強く現れてる文章を抜き出しなさい』とか『傍線部の文から作者の気持ちを15文字で説明しなさい』とか、ありがちな問題を出されてキョトンとしてる訳である。
苦しんで答えに窮した末に書いた答案は....
『作者じゃないから気持ちはわかりません』である。
当然ながら呼び出される。
『なんでわからないの?』と。
『わからないものはわかりません。読んだってサッパリわかりません』
『いいえ、読めばわかります』
『絶対にわかりませんから。どうしてその答えになるのか教えて下さい』
自分の力で考えさせよう、正解を導き出す喜びを持たせようとする教師の思いを拒否することになる。
この平行線が卒業はおろか、大学受験の浪人生活まで続くのだった。
実際問題として、『どうして答えはそこに辿り着くのか』を論理立てて説明できる教師は予備校まで一人もいなかった。
さらに担任は他のクラスとは段違いなまでに文章を書かせる。
無理矢理本を読ませては感想文を書かせる。
今日、家で何があったのかを書かせる。
エッセイ、小説などなど、嫌がらせである。
そのくせ、書き方云々なんぞ教えはしないのだ。
とにかく書けである。
しまいには文集にして悦に浸っている。
悪いが卒業以来開いちゃいない。
どこかにひっそりと眠っているし、いつか抹殺したいほどだ。
書き方なんぞ知らないのだから、返って来るのはびっしり赤ペンが書かれる。
句読点や誤字脱字、てにをはなどを直されるだけならマシで、とにかく自分の枠にハマらぬガキは全否定。
その全否定枠にこっちがハマったのだからたまったもんじゃない。
そしてしまいには、教材にさらされてみんなで考えましょうと来た。
人格否定の嵐。
しかも『あんたバカ』と言わんばかりに罵倒する。
求めるレベルは直木賞作家レベルなのは無謀以外に何物でもない。
そんな調子だから50を過ぎてるのに未だに自己肯定感は低空飛行のままだ。
そして、ネガティブ思考の塊の書く文章がこの有り様なのだ。
『なんで、こんなことで苦しめられるんだ』と。
『なんで、日本人が国語で苦しまなきゃいけないんだ』と。
『そもそもなんで国語を学ばなきゃならないんだ』と。
この時に尾崎豊が出現してたら間違いなく歌の世界の真似してたと断言できる。
盗んだバイクで走りだし、校舎の窓ガラスを叩き割っていたことだろう。
そんな中で、行儀よく真面目なんか糞食らえと思ってたのは同じだった。
そして、高度になると俳句や短歌なんかも学ぶことになる。
短歌と言えば百人一首。
ある日、百人一首のプリントが配布されて、全部覚えろと来た。
みんなで百人一首大会やりましょうってことらしい。
だが、こっちはやりたくもない。
やってどうする、勝ってどうなるってのが見えないかったから。
そこで問題が勃発。
『これ、全部覚えて将来は何の役に立つんですか?』
教師の心の地雷も踏んだし、バズーカどころじゃないミサイルを撃ち込んだことになった。
ヒステリックを通り越している。
あれから40年近く経っているが、本当に何の役にも立ってないのが事実である。
しっかりと覚えているのは2首。
崇徳院と在原業平の歌、落語のネタに出て来る歌だ。
しかもつい最近のことで、落語に触れなければ覚えることすらなかったのだ。
そんな調子だから、『さぁ作ってみましょう』となれば、安直なもので俳句は五七五、短歌は五七五七七なら良いんだろうって、当てはめる次第。
それを夏井いつきばりに罵倒していたのだから、たまったもんじゃない。
だから、どうしても重ね合わさってしまうのだ。
ロクにちゃんと教えもしないでいきなり作らせて、要求するのは崇徳院や業平、芭蕉と同じレベルなのだからたまったもんじゃない。
少年野球の子供がメジャーリーガーの球を打ち、尚且つホームランを打てと言ってることに等しいのだ。
こっちは知りたいとか、学びたいとかの思いを抱いている。
ロクに教えもしないのに、やってごらんって言うからやってみたのに、何で罵倒されなきゃいけないのかと思うと無性に腹が立って仕方がないのだ。
学習塾ならとっくに辞めて塾を変えることが出来る。
塾によっては講師を解任すら出来る。
しかし、公立の小学校にはそれが出来ない。
教師も教師でクビにはならぬとなめてかかってるところがある。
みんなの前で作品をさらされて罵倒されるトラウマは後々まで尾を引くのだが、風向きが変わってきたのは高校生時分。
夏休みの宿題として読書感想文を書かされた時から。
当時の担任は国語が担当だったが、不思議なことに古典だけで現国は教えてはいなかった。
現国の教師から伝わったのか、何なのかわからぬが、『お前、面白い文章を書くんだな』と言われてキョトンとした。
『あぁ、ダメだったんですね』と返す。
今まで散々貶められてきたし、それが当たり前だと思ってたから。
やぶれかぶれで質より量で出せば怒られることはなかろう。
とにかくめちゃくちゃな文章だった。
それがかえって良かったらしい。
『他にも書いてみろよ』と。
『金は取れないけど面白いから』と。
さすがに小論文とかはケチョンケチョンに言われたものの、『点を取るためには型がある』というのを気付かせてくれたのはありがたかった。
そして、返って来る添削は楽しくて仕方がなかった。
そこには希望が満ちていたのだ。
『こうすると面白くなるから』と。
『こうすれば点が取れるから』と。
全否定も人格否定もなかったのだ。
だが、国語にありがちな問題を解くことは卒業してもロクに解けないでいた。
そして、浪人生活に突入。
一応センター試験対策として理系でも国語は出来なきゃマズイ。
そこへ来て、予備校教師の論理立てた説明は目から鱗が落ちまくる。
『それ、それ! それが知りたかったの!』と。
どうして答えはそこに辿り着くのかという過程を。
教材として取り上げられた作品の魅力も教わって、楽しくなって来た。
楽しくはなってきたものの、30年後に一気に逆側に引き戻される。
申し訳ないが、夏井いつきの出現だ。
『国語なんか大嫌いだ!』と。
あれはテレビ用だとはわかってても、テレビから離れればワークショップとかをやっていて普及に努めてるのは知ってても。
あんたの傀儡でなった特待生なんかなったって嬉しくもない。
落ちこぼれ上等。
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