僕は読み返しては感動している!
高校時代は美術部に所属していた。
小学校の頃からの友人が美術部に入るということだったので、同じ部活にしたのが理由だったと思う。
絵を描くことは昔から好きな方だった。
他の高校の活動状況は知らないが、画材や絵の具は全て部室にあるものを好きに使わせて貰えた。
今考えるととても良い環境だったのだと思う。絵の具は存外高い。
描きたいものを描きたいように描いていた。
勉強は楽しくなかったが、部活動はとても楽しかった。
高校二年生の春に描いた桜の絵がある。
桜の絵といっても、空と枝を描き切った時点で展示会までの日が迫っており、
いまから満開の桜を描きはじめては到底間に合わないと思ったため、
「どうしたものか」と悩み、逆に桜の花を一輪だけ描いて完成ということにした桜の絵。
満開の美しい桜の木を描く予定が、自分の計画性の無さでたった一輪にさせてしまった。
本当はもっと美しくてもっと華やかなのに、その桜の魅力を存分に伝えられないのはいくらずぼらな私でも心苦しかった。
絵というものには必ず題が付く。
私はこの題を考えるのがどうしても苦手で、毎度毎度頭を悩ませていた。
いや、そんなに悩んでないかも。割と適当に決めてたな。
この桜の絵に私は「勢」と名付けた。読みは「せい」。
この題も適当なもので、「せい」と読む漢字一文字がいいなと漠然と決め、
「生」「勢」「精」「静」「正」と、いくつか候補を挙げて部員に「どれがいいかな〜」とか聞いていたような記憶さえある。
せめて題だけでも元気いっぱいにしてあげよう……ということで「勢」にした。たぶん。
そんな桜の絵に関する思い出。
忘れもしない、展示会から帰ってきたその絵は、南校舎の東側、1階から2階に上がる階段の踊り場の壁に飾られた。
ある日の放課後、その絵を当時の担任が眺めていた。
私から話しかけたのか、先生から話しかけてくれたのかは覚えていないが、絵について少し話をした。
「小林(素寒貧の本名です)が描いた絵ですね」
「何故この題名を?」
「立派な枝ですね、桜ですか?」
そんな他愛ない会話だった。
思い出と言えばこの程度のものだが、私はその先生のことが本当に大好きだった。
どのくらい好きかというと、卒業して5年が経とうとする今もこうして鮮明に思い出せるくらいには好き。
大好きな人が自分の描いた絵を眺めているという状況だけで、舞い上がってしまいそうなほど嬉しかった。
部活の思い出、むしろ高校生活の思い出の中で、一番幸せな思い出だといってもいい。
先生は軽く握った手で口元を隠し、暫くの沈黙の後に
「先生好きです、この作品、趣があって」
最後にそう残して、階段を降りていった。
絵を描くことは昔から好きな方だったが、その時私は初めて自分が描いた絵を心から好きだと思えた。
でも、絵に題名をつけるのは、卒業するまでずっと苦手なままだったな。