「青べか物語」から読む明治の浦安・行徳
浦安郷土博物館に行くと、「べか船」が展示してあり、この「青べか物語」や山本周五郎についても展示や説明がある。
「青べか物語」は、山本周五郎が若いときに一時的に暮らした浦安での生活での実話をもとに小説化したものである。地域の人との会話、やりとり、噂話、などを通じて、当時の土地の暮らしなどが垣間見れる内容である。
浦安は行徳からすると隣町、行徳の歴史や文化を語る上では、浦安のことも抑えておかねばならない。そんなことで、この青べか物語の本の紹介を少しだけしようと思う。
ちなみに、山本周五郎はもともと行徳へ行くつもりであったが、船で向かう途中、境川沿いに立ち並ぶ民家の風景に魅せられて浦安に住み着いたそうである。
読んだいきさつ
非常に有名な作品であり、浦安では知らない人はいないくらいである。その一方でちゃんとオリジナルの作品を読んだことがある人はそんなに多くないのではないかと思う。かくいう私も読んだことがなかった。若かりし山本周五郎が浦安に滞在したときの紀行文くらいに捉えていた。浦安郷土博物館でも大々的に取り上げている。古き良き浦安がふんだんに記録されている作品だと勝手に想像していた。
私が師匠と仰ぐKさんは、非常に知識人であり、いつも聞きかじりの私の知識に対し高視野な観点で、いろんな本や考え方を伝授くださる。このKさんから、行徳を語るなら絶対に読まなきゃいけないと勧められたのである。
といういきさつでこの輝かしい浦安の物語を読むことになったのである。
全般的な感想
民俗学の精緻というべき、非常に素晴らしい作品だと思った。境川で発達した町であり、その川に拡がる飲食店や商店など、そして生活と一帯になり明治時代のこの地の生活風景がよみがえってくるような気がした。
古き良川沿いの生活
ネタバれになるので、詳細な内容は触れないことにしたい。
行徳と通じる地域特性。蒸気船がいた時代の船長、船員、エンジナーの生活などが刻銘に描かれていて面白い。
江戸川に蒸気船が走っていたときの情景を想像させる物語が「芦の中の一夜」。現役を終えた蒸気船を川岸に停泊させその中で暮らし続ける元船長だった老人との会話を描いていて面白い。運行中の船に乗る船長と川岸で暮らす女性とのあいびきを語っている。江戸川べりでそんな実話があったならば胸が熱くなる。
「ごったくや」の話。1階は料亭、2階は女性と食べ飲みで遊べるお店らしい。今流でいうとキャバクラというとまた雰囲気が全然違う。小説に描かれているところから正確にいうと、コンパニオンがついたり乱入したりして客に飲ませ食わせ金を巻き上げるぼったくり飲食店というのが正しいのかもしれない。「ごったくや」と呼ばれる店は、行徳にもあったといわれる。
これらドラマの中で、扱っている人間模様や光景は大きく異なるものの、根底にある、こういうことは誰しもあった、というような甘酸っぱい青春の妄想や感性など共通点などが見つかり、胸が熱くなったりする。
土地の人の感情は?
しかし、一方で、ここに登場する人物たちは実在した人とのことであり、またそれらの人を特定するように風俗が生々しく描かれており、地元の人はどのように捉えたのか非常に気になる。
特に、浦安という地名の代わりに、「浦粕」という架空名称が使われている。今だと、カスってかなり蔑んだ言い方になってしまう。
私は浦安や行徳で生まれ育った者ではなく外から来た人間であるからこそ客観的に物語を読むことができた。しかし、土地の人達にとっては馬鹿にされているようには捉えなかったのだろうか?
狡猾な性格や開放的な男女関係、闇の部分などを暴露したものでもあり、地域の人がこれを読んで決して誇れるようなものではない。
映画について
「青べか物語」は戦後の昭和40年代に映画化されている。昭和40年代といえば、ちょうど東西線が開通し、また浦安の漁業権問題の時代である。ちょうど浦安が新興住宅地として発展し始める頃である。私もみたくてDVDを買ってみた。
映画では、このときの東京から東京湾岸、そして浦安の空撮が記録として冒頭に流れる。素晴らしい。干潟や水路、そしてまだ緑がたくさん残っている。そんな浦安が美しい姿がみれるのは最高である。
さいごに
現代では、このようなリアルな土地の民俗などは、場所を特定しては決して文学にはなりえないだろう。明治といえば、文明開化で、鉄道網が発達し、全国の移動が容易になり始めた時代であり、それまでは地方で伝聞したことを江戸のどこかででいかに面白おかしく書こうが、地方在住の人の目にふれることもなかったのだろう。