コイのOBに託した〝隠し球〟
いま執筆中というか改稿作業をしている作品で、ある女性新聞記者がコラムを担当していて、その原稿量をどのくらいにするか、たまたま手元にあった新聞を手にしてスポーツ欄を参照しているうちに、つい読み込んでしまった。
8月6日付けの新聞で、記事は広島からオリックスのヘッドコーチに転身した水本氏へのインタビューで構成されたもの。
当日も読んではいたが、再読してみて興味を惹かれた部分があったのだ。
記者が好調オリックスの要因について「チーム内に一体感があるのですよね?」と問うたのに対して、水本氏はつぎのように答えていた。
「首脳陣は、結果だけで選手を指摘する評論家のようにならないように気を付けている。想像だが、昨季は勝った、負けたで(原因を)そのままにしていたのではないかな」
「はっ!」っと目からウロコが落ちた。ここには含意があったのだ、と気づいたからだった。
記者はここで「ですよね?」と誘導尋問のように質問していた。「好調の原因はどこにあるのですか?」という抽象的なアプローチではなかった。
この『コイOB 躍進を支える』というコラムの企画意図には「不調カープとのちがい」が伏線にあったはずで、カープに一体感が欠けていることを記者が意識してのことだったろう。
その誘導尋問の意図を汲んでのことか、水本氏は「評論家のようにならないように」していると応じていたのだ。
つまり、かれは暗にカープの不調の原因は「首脳陣が評論家になっている」からだと指摘していたのではないだろうか。
コラムの写真にあったかれの略歴に「2016〜20年は2軍監督を務めた」とあって、つまりは水本氏がその任に就いてからカープは優勝していたのだし、かれがその任にあったとき連覇をはたしていたのだ。
しかし、カープ二軍監督最後のシーズンとなった昨年、監督が交代したカープは思わぬ蹉跌を経験し、成績はまったく振るわなかった。
その間に「評論家になってしまった首脳陣(監督)がチームから一体感を奪ってしまっている」ことを、二軍をあずかる監督として歯噛みする思いで傍観するしかなかったのではないか。その悔しさが、先の記事の行間からにじみ出ているように感じたのだ。
この含意に気づいたのは、もちろんこちらにその認識が生まれていたからで、いまはもう関係者の間で、そしてファンのおおくにこのことは共有されている。
しかし、そのことを直接的に中国新聞は書くことができない。フロント上層部に弓引くがごとき首脳陣批判はご法度だからだ。
そんな苦衷にあって、このような企画を立案し、間接的とはいえ首脳陣批判をしてみせた現場の記者には「グッド・ジョブ」の称賛を送りたい。
それにしても、こんな指摘にもかかわらず(たぶんこの記事も他人事なのだろう)、あいも変わらず具体策を講じることなく評論家然と「〜してもらわないと」を繰り返すばかりの首脳陣(監督)の無自覚ぶりには呆れるばかりだ。