球場巡礼 第4番 「ナゴヤ球場」
1996.8.24
歓声を縁台で聞く尾張かな
お盆の九州巡礼を終えた一週間後、今度は東上してナゴヤ球場に向かった。
ここは球場巡礼を思い立ったきっかけの球場のひとつ、翌年完成することになっているナゴヤドームにその座を譲り、その年限りで中日ドラゴンズのホームグラウンドの役を降りることになっていた。
—尾張名古屋のナゴヤ球場も、ことしで終わりか…。
広島駅5番ホームのベンチで列車を待つつれづれに、つまらない駄洒落思いつき、さもしくメモ帖に書きとめる。
四国遍路八十八カ所は順に巡れば、まず阿波の徳島が『発心』、つづいて土佐の高知に入って『修業』、伊予の愛媛で『菩提』、結願の讃岐・香川が『涅槃』となるらしい。とすれば、わが巡礼も、さきの九州が『発心』で、このたびの東上は『修業』の道行きとなる。
今回の巡礼には同伴者がいる。内田百閒の阿房列車ならさしずめ「ヒマラヤ山系」に当たる。かれは大学で教鞭をとっていたときの教え子で、列車の旅には好都合にも日本国有鉄道、いまでいうJRの職員だった。
こちらの同行は、おれの口車にのせられていっしょに野球場をつくるはめになったW。何年か宮仕えしたゼネコンを辞め、平成の花形業種・移動通信の会社に転職したサラリーマン。ヒマラヤ山系ほど重宝ではないにしろ、Wは青春18きっぷの旅の常連。いうなればおれの先達なのだ。
阿房列車にヒマラヤ山系なる珍奇な名前の人物登場したように、球場巡礼の同行にもそれにふさわしい呼称が必要だろうと、だれに頼まれたわけでもないのに、広島駅5番ホームのベンチで列車を待ちながら浅知恵めぐらしているうち、何の愛想もなく7時6分発の各駅停車岡山行がやってきた。
土曜日の早朝とあって通勤客はほとんど見あたらず、近郊への移動とおぼしき軽装のレジャー客が何人か乗り込んだだけ。ドアーからすぐのクロスシートに座を占めて、長旅の必需品を詰め込んだ大荷物の赤いキスリング・ザックを金属パイプの棚に担ぎあげた。
お約束の駅員の笛が「ピーッ!」と鳴ってドアーが閉まり、電車がしだいにアップテンポに、ごっうっとん、ぐぅわったん、ふぁっとん、と耳に馴染んだ三三七拍子のリズムを刻みはじめた。
同行のWとは、福山駅で待ちあわせ。それまでの車中で、なんとかヒマラヤ山系に匹敵するニックネームを進呈しようと、ふたたび不得手なネーミングに挑む。
きょうの車窓は曇り空。色のないフレームのなかを、民家、ふとんメーカーの看板、スレートの工場、田圃にぽつんと建つアパート、電柱、なんの脈絡もなくあらわれては消える。
きょうからの巡礼の道行き、少しはしゃぎ気味の軽挙いさめるつもりか、お天道様が顔をお出しになる気配はない。おれの頭に横たわるヒマラヤ山系にも曙光はとどかず、ネーミングの妙案は浮かびそうもない。
あぜ道を走る自転車、自動車、朽ちた倉庫、百閒、借金、初恋の記憶、ドライブイン、草いきれ、鉄塔、風を擦る音、……、そんな有象無象とともに時間はいたずらに過ぎさり、制服、普段着、こども、オンナ、竹かご、テニスラケット、ギターが乗り降りするたびに駅の数は重なる。
糸崎を過ぎると眼前に海が広がり、景観が一変。島と島、漁船、ブイ、タンカー、尾道、つり橋、潮の香り、河口、中洲、浜風、失恋の記憶、漁港……、それらがゆったりと、あるいは足早に流れていった。そしていつしか遥か洋上の雲の切れ目から、薄日が帯となって射しはじめていた。
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