3月9日(水)
7時半起床。
知り合いの編集者と料亭に行く。「ぼくは自前の箸を持参するんですよ」と、かれはポップなロゴをあしらった袋に入ったのを得意そうに持って出かけた。退店時には使った箸を持ち帰れないことになっていて、しぶしぶ編集者はゴミ箱に箸を捨てる。するとその中には同じロゴの箸がいっぱい捨てられていた。
ジェスロ・タルのライブに行く団体がオープンカフェにたむろしていた。おれは髭を剃っていなかったことに気づいて電気カミソリを使おうと店内に電源を探すと、カウンターの下にあった。
近くにいた連中がスタッフに訊いてくれたが、断わられた。大人数がくつろいでいるところでビー、ビーやられたんではつや消しだ。
「そんなことを許したら一事が万事で示しがつかない」と。そりゃそうだわな、と納得したところで目が覚めた。
半醒の頭のなかでジェスロ・タルのライブのことを思った。記憶ではレッド・ツェペリンが広島に来たのにつづいてタルも来ていて、そのライブでイアン・アンダーソンのあのキョロキョロ愛らしい目と目があったことになっていたのだが、どうもその記憶はすり替えというか捏造のようなのだ。
ツェッペリンのライブにいっしょにいったYと、このときもいっしょに観に行ったことになっていて、いつだったかやつにその話をするとにべもになく否定した。
たしかにジェスロ・タルが広島に来たことはなく、まったくの記憶ちがいなのだが、それにしてもリアルな映像として脳裏に焼き付いている。夢のシーンがそのまま定着してしまったということなのだろうか。いまでも狐につままれたような感じだ。
きのうも兆候はあったが、ぼちぼち花粉症がきたらしい。目のまわりが痒くていけない。
デイシアター、「ナイト・アンド・ザ・シティ」観る。
ペテン師のごとく調子よく世過ぎしているつもりが成果を得られずスベリつづけ、最後の最後にじぶんが掘った落とし穴に落ちてしまうトンマな弁護士をロバート・デ・ニーロが好演。かれの演技に支えられ、またジェシカ・ラングの可愛さに救われた作品。
折口信夫の口訳万葉集が届いた。さっそく目を通してみたが、イメージしていたアプローチとはかなりちがっていた。こちらは素潜りしているつもりなのだが、折口は延縄漁をしているようなといったらいいか。そして文章は想像したように折口節(当たり前だ)で、あらたに口訳が必要なほどに時差がある。
かれの通った跡にも、まだペンペン草くらいは生えていそうだ。まだしばらくスピリシャル万葉集の作業はつづけてみようか。