「黒い雨訴訟」と広島市の当事者感覚
先の7月29日、原告らの訴えを認めて広島市と広島県に対して原告全員に被爆者健康手帳を交付するよう命じた「黒い雨訴訟」の判決が広島地裁で下されたが、広島市と県は今日、広島高等裁判所に控訴した。
広島市と県は政府に対して控訴の断念と被害者の幅広い救済を「政治決断」するように求めてきたらしいが、その矛先を翻して原告の背中に向けるような暴挙に出たといえそうだ。
市も県も「国が控訴の条件として援護対象区域の拡大にもつながる検証をするという姿勢を示したために、(国からの控訴の要求を)受け入れた」というのだが、どう考えても理解に苦しむ。
原告84人への被爆手帳の交付を認めず控訴を強要した国が、それよりさらに対象区域を拡大して交付をする、というのは論理的に矛盾しているではないか。
いずれ対象を広げるのであれば、地裁の判決どおりに原告にまず交付してから、というのがスジというものだろう。。
政府が切ったカードは、市と県に矛先を被爆者に向けさせるための方便としか思えない。
そもそも国の検証に時間的な期限もないようだし、「控訴の条件」というほどの担保にもなっていそうにもない。結局「条件」は「方便」で、控訴のための控訴。それで終わってしまいそうだ。
被爆後の広島の復興は、国頼みだった。焼け野が原になってしまった都市に経済的な基盤があるはずもなく、当初はそれも致し方ないことだったろう。しかし、復興のプロセスでそれが常態化してしまったことが、今回のようなねじれ現象を生む結果になってしまったのではないか。
広島市も県も、行政レベルで独自に可能であったかもしれない被爆者の援護と救済措置を積極的に検討することもなく、すべて国に丸投げ。その結果が「国からの要請」には抵抗できない枠組みを自ら強固にしてしまったのではないのだろうか。
今年の広島市の「平和宣言」を聴いていて、ひっかかたのもそのことだった。以下に抜粋してみたい。
《前略》
(暗礁に乗り上げてしまった感のある核兵器禁止条約を有効なものにするために、各国の指導者には)広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。
《後略》
文末にゴシックで表記したように、松井市長は「求め」て「要求」するばかり。世界で最初の被爆都市である広島の平和構築への「責務」を放棄したかのように、まるで他人事の印象だった。
それもこれも、広島市が独自の平和施策を立案し提言することなく、ただ8月6日に「平和宣言」を事務的に発信するだけでこと足りると言わんばかりの消極性から来た「広島クオリティ」と言えるのかもしれない。
平和宣言は、さらに以下のようにつづいた。
また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
ここでも松井市長は「強く求め」ているが、その文面はそのまま政府が持ち出してきた「条件」そのもの。
まさかこの時点ですでに控訴やむなしと、アリバイ作りをしていたのでは…。
いまになってみれば、そう勘ぐられても仕方がないだろう。
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