よしだたくろう 「今はまだ人生を語らず」
ここまでレコード1枚1枚に託して、危なっかしいというか、おぼろげな青春時代を思い出し、さて「わが青春の1枚」は何かと考えていて、引っ張り出したのがこれだ。
といって、これが「わが青春の1枚」に該当するわけではなく、これをヨスガに青春時代を思い出してみたくなったのだ。
このアルバムも友人から譲り受けたものだ。
彼は高校時代の同級生だが、吉田拓郎は、われらが高校の先輩にあたる。そう、わが高校の同窓なのだ。
高校時代、レッド・ツェッペリンのライブを広島で目撃したのをドヤ顔で報告させていただいたが、吉田拓郎のライブは、わが母校の体育館で無料で観ている。いわば全校集団鑑賞とでもいおうか。
地元ではすでに有名だったらしいが、まだメジャー一歩手前で、個人的には名前さえ知らなかったミュージシャン。
「なんでわざわざそんなヤツのステージなんか見にゃならんのや!」と、フロアに借り出されながら不平のひとつもいいたかった。
ところが、なぜかあのときの光景はよく覚えている。体育館の右手入口から拓郎がギター片手に現れたときの、なんともいえないザワメキ…。
「あんな(あいつ)有名なんで!」と、耳打ちしたHのうわずった声は今も脳裏を離れない。
ギター一本の弾き語り。何曲歌ったのか、もちろん聴き知ったナンバーはひとつもなかったし、曲が変わるごとに譜面台にメモを載せてははじめるまだるっこしさに素人っぽさを感じながらも、すぐにステージに魅入られていったのは、畳を舐めながら涙するがごとき従前のフォークとはちがう世界観に共鳴したからでもあったろう。
吉田拓郎に、この高校での3年間がどれほどの刺激とか影響を与えたのかは知れないが、この高校から吉田拓郎が出たことには得心できるのだ。
ひとことでいえば自由放任。露骨なアッパー志向は敬遠される雰囲気だったから、とびきりの秀才は出なかったが、何かをするに誰に邪魔されるわけでもなく、のほほんと伸びやかな校風だった。
授業についていけなかった僕は、放課後になって部活のためだけに登校したりしていたが、元の担任から「おいおい、大名登校だな」と苦笑いされただけ。そのことでとくにお咎めもなかった。
拓郎のステージの前の年か後か、卒業式で総代の女子生徒が卒業証書を破ってみせたことがあった。
全国のニュースにもなったらしいが、その場がとくにパニックになったという記憶もない。
「あーあ、やったで、あんな!」
それが彼女がしたかったことなんだろう。そんな寛容さがどこかにあった。
体制への抵抗としての学生運動が終息していく時代の反語として拓郎の歌が受け入れられはじめたころ、そんな校風の中で、ひとり社会正義を体現したい思いが空回りしていたらしい彼女の、あれは止むに止まれぬ爆発だったのだろう。
高校時代の僕もまた、人生を語らなかった。
そして、あれから半世紀を生きた今も語り得ていない。