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11日目・なめこ粥食べて正則移封の地へ
10月27日。
信州生まれのくせに、ほとんど土地勘はなく、それは小学3年生で東京に転居してしまったせいもあるが、たぶん生来のものだろう。
松本も小布施も同じ長野県の北部。感覚的には「お隣同士」の印象が刷り込まれていたのが、いざ走って見ると、その遠さにわれながら呆れてしまった。
宿泊したホテルは朝の6時から朝食が供されるというので、早めに済まして出発すれば、ちんたら走っても昼前後には目的地の小布施には着けるはず。そうタカくくっていたのだが、栗より甘い十三里だった。
6時過ぎに勇んで食堂におりてバイキング漁ろうとしたら、「コロナの渦中ゆえ食事は手袋装着で」と女性スタッフに促され、興ざめしてノーサンキューとそのままチェックアウトすると、徒歩5分ほど先のパーキングからジムニー出したのが6時半。
それからひたすらアクセル踏んだものの、目的地までの距離はなかなか縮まらず、業を煮やしてまだ霧も晴れない9時ごろだったか、道の駅いくさかの郷とやらで、朝の車中食をすることにした。
普段の食事では、所要の1時間は当たり前だが、車で移動するときのそれは意味がだいぶん異なる。
例えば5時間を予定していた移動で、その1時間はかなりの無駄・ロスになるし、のんびりした旅であれば、愉悦の時間がそれだけ楽しめることになる。
いまの自分は、そのどちらにもつかない中途半端な心持ちで、先に待ち人がいるわけでもない気ままな旅のはずが、どこか気が急いているのは、そろそろ疲労が限界、わが家が恋しいからなのだろう。
車中食は定番の、お茶漬けお粥。これに朝イチによったセブンイレブンで仕入れた「蔵王菜なめこ」という初ものをぶち込んでみたところ…、うまいのなんのって、ほのかな塩味、刻みキュウリのコリコリ食感、舌にまとわりつくなめこのヌルヌルが絶妙で…。
この感動を伝えるべき相手がいない車中食を、このときほど悔んだことはなかった。
結局、小布施エリアに入れたのは午後の2時過ぎ。
すぐにふるさとの実家には向かわず、ジムニーを高井郡へと走らせた。
そこはかつて安芸の国・広島の領主を改易された福島正則が移封させられた地。その居館跡を訪ねるためだった。
というのも先祖が代々眠る小布施は雁田の岩松院の墓所は、この福島正則の廟の横になんの縁か、かしずく家臣のごとくずらりと並んでおり、その正則の流転を逆走して広島に落ちる身となった自分にとって、正則は幼少期から気になる存在。いつか彼の終焉の地を見てみたかったからだ。
屋敷跡の高井寺には迷うことなく着いた。たぶん当時のものだろう、石垣の横にジムニー横付けにして、こっそり敷地に入る。
境内の中程で焚き火の煙が上がっていたが人影はなく、往時を偲びながら散策していると、背後から声がかかった。
「どちらから?」
ふり変えるとお堂の縁側に平服のおじさんが立っていた。それはご住職に違いなく、「広島からです」と応じると、「それはわざわざ」と大仰に驚かれて、よかったらどうぞと堂内に招じいれてくれた。
べつに旅行目的の本命だったわけではなく、念願の場所とはいえついでに訪れたのだったが、わざわざの甲斐があったとはこのこと。
ご住職に正則公のあれやこれやをうかがうこともできて、いつかはと執筆を念じている彼の本へのとば口をくぐることができた。
ご住職の話では、先の焚き火の場所は正則公を荼毘に付したところでもあるらしく、彼の死後のことをテーマにと考えている自分にとっては、因縁めいた訪問となった。
それから今回の旅の目的のひとつだった故郷の実家に寄って、叔父や従兄弟と何十年ぶりかで再会。
いまは施設にいる親父には懐かしいだろう実家の居間からテレ面会の中継もできて、もし叶うことならと家を出たときの念願は叶ったのだった。
この日の小銭買い
コインパーキング 900円
ホットレモン 149円
天然水 112円
お茶漬けの素 138円
蔵王菜なめこ 168円
まんじゅう 280円
セブンコーヒー 100円
新聞 150円
計 1997円