〝時差〟に隠されたヒロシマの真実
「原爆は本当に8時15分に落ちたのか」中条一雄著(三五館刊)読了。
もうかなり原爆関連の本には目を通していますが、いまだに読めば驚愕の真実に唖然とし、新たな発見に興奮します。
それほど「ヒロシマ」の真実は隠蔽され捏造され、闇の奥に追いやられてきたということでしょう。そして、その〝誤認〟が〝常識〟となって私たちの脳裏に刷り込まれていたにちがいありません。
いまでは鉄板の常識となっている原爆の投下時刻「8時15分説」。これに疑問を抱きつづけてきた著者は、文献にあたり証言を集め、投下が同時刻ではなかったことを確信することになります。(ただ本当の投下の時刻がいつだったかのかの確証を得るまでには至りません)
著者は1982年、広島一中の同窓会で同窓のY氏が語った、次の証言によって「8時15分説」への疑いを強くします。
一瞬のうちに大破した校舎の下敷きになり、血まみれになりながら、必死の思いで材木の間からはい出して防空壕に転がり込んだ。そのとき時計を見たら、たしかに八時六分だった。(中略)その時計はロンジンで、友人から預かっていた。それで、壊れていないかと心配になってすぐに確認したのだ。
それから精力的に証言を集めはじめた著者の元には、「原爆の投下は8時15分ではなかった」という証言が次々と寄せられます。
例えば…
八時から始まる朝礼で、校長先生の訓話が始まってすぐに原爆が落ちたと言っている。(中略)朝礼の集合時間が遅れていたとしても八時十五分になっていたとは考えられない。
あるいは…
友人の母上は、爆心から二・五キロの広島高校横の自宅に一人でいて被爆した。爆風で自宅は大きく傾いたが火災はまぬがれた。いったん逃げて親戚宅に泊まって、翌日になって帰宅したところ、傾いた家の中で壊れた振り子時計が八時六分で止まっていたのを今でもはっきり覚えているそうだ。
こんな例がいくつも寄せられますが、なぜか逆に「8時15分に落ちた」との状況を訴えるものに著者は出会わなかったといいます。
そして、
爆発時間にいろんな「違い」があるのが、むしろ自然ではないか。「八時十五分」「八時十五分」と、まるで念仏のように唱えるのは、どうやら「十五分」の出どころは一つということだ。どこからか言論統制(?)されているみたいで不気味だ。
と疑念を募らせます。
この『8時15分投下説』は、たぶん象徴的な例にすぎないのです。「ヒロシマ」そのものが、ある言語統制によって真実から遠ざけられてきたという印象はぬぐえません。
原爆の投下によって100万人の命が救われた
放射能の被害は大したことではなかった
核抑止によって世界の平和が保たれている
……
これらの詭弁をもっともらしく脚色するために、こうした言論統制がなされてきた。
原爆投下の本当の時刻と、8時15分との時差の間にヒロシマの真実が隠されているように。
この本のなかで衝撃的だったのは、「原爆の投下時刻を8時15分にするために」公文書が改ざんされたのではないか…。
という著者の仮説です。
前々から疑問は抱いていたのですが、ある証拠をもとにこう指摘されたのには、また目からウロコでした。
この事実も新著には反映したく、また取材が一件ふえそうです。
それにしても、いま執筆中の「ヒロシマ本」、いつになったら脱稿になるのやら。(笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?