「黒い雨訴訟」控訴の影にみる歴史の呪い
少し前の未読の新聞を整理していて、ふとある言葉に目が止まった。
それは映画監督の故大林信彦氏を知人の映像プロデューサーが回想するコラムの中の一節で、「歴史は変えられないけど未来は変えられる」というセリフ。
作品の中で表現したいことを直接俳優に語らせることをためらわなかった同氏が、ある映画の中であえて、この言葉を俳優に語らせたのは英断だったとコラム氏は評価していた。
微妙に言い回しが変わることはあっても、よく見聞きする「名言」だ。言い古されたフレーズといってもいい。
それが今日に限って妙に意識に止まったのは、この言葉自体に疑問を感じたからのようだ。
この言葉を目で追いながら、「歴史は変えられる」といったほうが面白いだろう、そんなことを思った。そしてすぐに「歴史は変えられる」じゃなくて、「歴史は変えられた」だろう、と閃くに至った。
僕たちが歴史として認識していた史実が、実は真実ではなかったという例は枚挙にいとまがない。ことに戦争の発端となった事件などは、もともとが口実作りであるから発生と同時に事実は変えられてしまっている。
歴史は時の為政者によって都合よく改ざんされる。その現実は、あまりにも陳腐でお粗末なケースだが、いまの安倍政権が例示してくれてもいる。
こんな意識が働いたのには、もちろん理由があった。
というのも、いま自分が「変えられた歴史」をテーマにした作品を書いているからで、無意識に先の言葉に反応したのだろう。
「変えられてしまった歴史」。
戦後の日本の歴史が進駐軍によって隠蔽され改ざんされてしまったのは、その最たるものだろう。中でも広島、長崎に投下された原子爆弾については、それが卑劣な戦争犯罪であったことから、ことに入念に隠蔽され捏造された。その破壊力は誇示されたが、悲惨な死と卑劣な放射能による二次被害はなかったことにされたのだ。
その非人道性に世界の関心が向くことは、すなわちアメリカが非難の集中砲火を浴びることになり、さらに将来の核兵器開発に支障をきたすことになるだうからだった。
原爆投下直後にアメリカが公式見解としたこの「原爆投下による放射能被害はなかった」という嘘が、当時その占領下にあった日本の政治に影響を及ぼさなかったはずもなく、膝下の子羊のごとく追随せざるを得なかったことは言うまでもない。
さらに占領が解かれて以降も、いまだ間接支配されていることを考えれば、放射能の影響を過小に評価したり科学的な知見をまぜっかえして、被爆者の支援・援護に後ろ向きなわが国の姿勢も頷けるというものだろう。
原爆投下直後にアメリカが出した「放射能の影響はなかった」が嘘であったことは、今では疑うものはない。
しかし、当時「被爆が原因で死んだ者はない」と歴史を変えられてしまったが故に被爆者援護の初動を誤らせたことは否定できないだろう。
その歪みが呪いのように、またゾンビのごとく生き残り、75年という長い時間をもってしても、わずかに生き残った被爆者にすら救いの手を伸ばせない愚かな政治を生んでしまっているのだろう。
「歴史は変えられない」のではない。「歴史は変えられる」し、「正しく変えなければならない」のだ。
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