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12月25日

5時半起床。夢に印象に残るシーンなし。そういえば最近性夢を見なくなった。女性が登場しても、おれ、妙に紳士的じゃないか。精力の衰えに反比例して欲望は肥大し、コントロールできなくなっていくかとも心配していたが、それは杞憂だったか。性的な作品でデビューした某高名作家が「老後に自分は淫行を仕出かして世に指弾されることになるだろう」と自己予言していたが、そのかれも犯行にいたっていないようで、歳を経るとともに炉の火が落ちていくように性欲が減退していくのであれば麗しいことだ。
朝に校正作業、昼過ぎにNHK教育の「こころの時代」を観た以外は終日大掃除。これほど念入りに整理整頓拭き掃除をした覚えはなく、潜在意識下に先の時間を意識しはじめてのことだろうか。
ちなみに、こころの時代は旧約聖書の「コヘレトの言葉」シリーズ再放送。すべてなすべきことには時があるというコヘレトの詩から、コロナ時代をどう生きるかを読み解くのがテーマだった。
備忘録として、ここにその詩を転載しておこう。

天の下では
全てに時機があり
全ての出来事に時がある

生まれるに時があり
死ぬに時がある

植えるに時があり
抜くに時がある

殺すに時があり
癒すに時がある

壊すに時があり
建てるに時がある

泣くに時があり
笑うに時がある

嘆くに時があり
踊るに時がある

石を投げるに時があり
石を集めるに時がある

抱くに時があり
ほどくに時がある

求めるに時があり
失うに時がある

保つに時があり
放つに時がある

裂くに時があり
縫うに時がある

黙すに時があり
語るに時がある

愛するに時があり
憎むに時がある

戦いの時があり
平和の時がある

人が労苦したところで
何の益があろうか

私は神が人の子らに苦労させるよう
与えた務めを見た

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ホーリー農園で野良作業をしていると「時がある」ことは否が応でも痛感させられる。土を肥やす時期、タネの蒔きどき、肥料をやるタイミング、収穫の見極め。すべてに時機がある。これを外すと大いなる実りは得られない。もちろんそれはコヘレトがいうように、すべてのことに通じている。
問題は末尾にある厭世観の北尾トロだ。コヘレトは、この項のように労苦の不毛をことあるごとに説いているようだ。努力なんぞ、なんの足しにもならんぞ、と。身も蓋もないではないか。農夫であると同時に野球をテーマにいくつかの著書をものにしてきた物書きは知っている。労苦=努力は結果を裏切らないし、いかな天才もこれなしに天才たり得ないことを。コヘレトは、この事実を真っ向から否定している。しかし、しかしだ。労苦を否定しているコヘレトは、労苦している人間に訴えているのだろう。労苦=努力して地位も名誉も得た人間をも否定することで、厭世の極まった先に救いがあることを。
まあ酔いに任せた身勝手な解釈だとは覚りつつ、この理解もまた備忘録として残しておこう。
風呂上がりからベンチマークの水割りをガンガンやっているせいで、すっかり酔ってまった。


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