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90年代のクラブミュージック概略①
昔ミックステープ時代のオルガンバー・スイートのライナーでECDが「ヒップホップのDJがヒップホップしかかけなくなったのはいつからだろう」みたいなことを書いていた。
ヒップホップを基本としながら90年代以降の様々なクラブミュージック的価値観を吸収していった僕には、とてもよく刺さった言葉で、細かな文面までは覚えていないけど、強く印象に残っている。
最近また90年代初頭の雑誌remixなんかを読み返してるんだけど、昔はクラブミュージックそのものがアンダーグラウンドでサブカルな存在だったから、ハウスも(クラブ)ジャズもヒップホップもお互い近い距離にあって、相互に盛り上げていくような雰囲気があったんだよね。
今回からしばらく90年代のクラブミュージックシーンを時系列の縦串とジャンルや国の横串の二つの軸で、自分なりに整理してみたいと思う。
あまり細かなところまでは書かないけど、クラブミュージック全体の流れを俯瞰で整理したテキストってあまり見たことがないから、当時好きだったって人は昔を懐かしみながら読むと面白いかも。
90〜93年 クラブミュージック黎明期
80年代後半のUKでレアグルーヴの概念が誕生した一方、アメリカではシカゴで生まれたハウスが徐々に大衆化。デトロイトでは当時叩き売りされてたビンテージ・シンセでテクノが作られ、ヒップホップ界隈ではSP-1200の登場でサンプリングを主体とした現代的な曲が生まれ始める。
こうした80年代後半に発生した幾つかの流れが成熟化し、蕾から花、そして実になったのが90年代前半のこの時期だ。
ハウス〜テクノ
アメリカではフランキー・ナックルズ、デヴィッド・モラレス、富家哲らのDEF MIXによるメジャー感あるハウスが一斉を風靡し、イギリスではアシッドハウスやハードコアの流れからレイブ文化が誕生。このハードコアから派生したジャングルの流れは後に一大ブームとなるドラムンベースになっていく。
このヨーロッパでのレイブブームの中、シカゴハウスの流れからデトロイトテクノのリバイバルが起きて、イギリス・ドイツ・ベルギーなどの各国からは様々なデトロイトのテクノが紹介された。ジェフ・ミルズのようにそのままヨーロッパ方面に飛び出したものもいれば、マッド・マイクのようにデトロイトに留まり続けるものもいたけれど、日本でテクノポップではないダンスミュージックとしてのテクノが広く認知されたのはこの頃だ。
ヒップホップ〜R&B
ヒップホップ関連ではネイティブ・タンらのニュースクール勢やGuruとDJプレミアのギャングスター、それからRZA要するウータン・クランなど、ジャジーでザラっとした質感のサンプリングサウンドを奏でるNY勢が人気を博するなか、NWAを脱退したDr. DREがスヌープ・ドッグらを大フィーチャーし、P-Funkネタを多用したレイドバックなサウンド、いわゆる西海岸G-Funkで全米に進出。後の東西抗争の火種が少しずつ燻り始める。
クイーン・オブ・ヒップホップソウルことメアリー・J・ブライジのReal Loveがリリースされたのも、この時期。この曲のオリジナルバージョン、そしてパフ・ダディがプロデュースしデビュー前のノトーリアス・ビッグ(ビギー)をフィーチャーしたリミックスのヒットが契機となり、R&Bのメインストリームも、80年代的なブラコン的サウンドからストリートサウンドに舵を切っていくことになる。
また同じ頃いわゆる日本語ラップのシーンも、今につながる流れの源流ができ始めた。サブカル文脈からヒップホップにアプローチした80年代のメジャーフォース勢の後継者としてのスチャダラパー、そしてストリート上がりのムロ(クラッシュ・ポッセ→マイクロフォン・ペイジャー)、ツイギー、YOU THE ROCKらハードコア勢。この辺りが日本語ラップの第二世代となり、2000年代初頭の日本語ラップバブルまで活躍していくことになる。
レアグルーヴ〜クラブジャズ
一方UKのアンダーグラウンドなジャズダンスシーンでは、レアグルーヴの流れを組み、70年代ソウルを再解釈した現在進行形のヴィンテージ・サウンド、いわゆるアシッドジャズが躍進。ブランニュー・ヘビーズやジャミロクワイ、ガリアーノにインコグニートなど、ジャイルズ・ピーターソンがフックアップした生音主体のバンドが人気となっていく。
このアシッドジャズの流れに呼応したのが矢部直、ラファエル・セバーグ、松浦俊夫のユニットUFOや、大沢伸一擁するモンドグロッソなど日本の黎明期のクラブジャズユニット、そしてキョート・ジャズ・マッシヴの沖野兄弟ら。完全に海外を見据えた楽曲は非常にレベルが高く、今の感覚で聞いてもイギリス勢に負けてない。
またJポップ界隈ではフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイブなどのいわゆる渋谷系ミュージシャンたちが、レアグルーヴから引用したフレーズをネタに楽曲を構築。この時点ではまだ局地的なものだけど、今に続くシティポップス的な90年代のJポップはここから始まっていく。
最後に、橋本徹のサバービアが最初のディスクガイドを出したのもこの頃で1992年。これも当時は局地的なものだったけど、この先10年の日本のクラブミュージック界隈では非常に重要なウェイトを占めるコンテンツに成長していく。
最初は一回の記事で10年間分全部書くつもりだったんだけど、軽く書くつもりでもそれぞれのジャンルを俯瞰で語ると長くなりすぎるので、ひとまず今日はこの辺りで。
連載形式で続きは近日また書きます。全3回くらいかな。気になったら次回もチェックしてみてください。