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やっぱり優秀Liven Lo-Fi12
この前も書いたけど、このところヤマハのReface CPを買ったこともあり、夕飯後の趣味タイムはピアノを弾いてることが多い。毎日の練習時間はだいたい1時間強くらい。
もちろん楽しくて弾いてはいるんだけれど、そうなってくると不足してくるのが自分のなかでのマシンライブ成分。僕は生演奏と同じくらいリズムマシンやシンセのシーケンサーが作り出す人工的なサウンドも好きなので、ここ何日かは、自分の中で少し不足している養分を補うためにもピアノ演奏と並行してガジェットシンセたちを触ってる。
まぁ特にしっかりとした曲を作ったりしてるわけじゃなくて、偶発的に出来た音色やステップを適当にループして遊んでるだけなんだけど、相変わらず良い仕事をするのはSonicware社のLiven Lofi-12だ。
サンプラーシンセとしてのLo-Fi12
前にも書いたように、僕はこのマシンを本来のサンプラーとしてではなく、低ビットレートのプリセットインストが入ったサンプラーシンセとして使ってるんだけど、このプリセット音色の良い意味でのチープさがかなり良い感じ。
たとえば今回なら、アコギとフルートのサンプリング音色を使って簡単にループ組んでみたんだけれど、そのループにTR-8で909のキック・スネア・ハイハット・クラップと727のパーカッション&ショート・ホイッスルをちょちょいと載せてBPM130で全部をMIDI同期させれば、簡単にサウダージなハウス・ビートが完成だ。
即興で作ったものだから別に録音とかはしないんだけれど、これだけでもずっとかけていられて、聴いていると自然に体が動き出す。一期一会で適当に作った感じが、ダンスミュージックの原点っぽくてとても楽しいんだよね。
ハードシーケンサーとしての使い道も
さらに64ステップの4chシーケンサーも、マニュアルにもある通り自由度が高くてかなり優秀。
チャンネルごとにステップ数とノートの長さを設定できるのが、使い勝手抜群なんだよね。1小節まるごと鳴らしたいパッドとか、ノートの長さを少し長めの音符に設定しておけば、かなり長時間にわたるパターンを組むことができる。
おまけにトラックごとにMIDI送出が可能で、Lo-Fi12側でチャネルをミュートしてもMIDI信号の送出だけは有効ってことも分かってきた。この機能を活用すれば、Lo-Fi12の内蔵シーケンサーを使って1ch分だけ外部シンセの音を鳴らすなんてこともできるってわけ。
これはつまり、自前のシーケンサー機能が貧弱(単音16ステップのみ+チェーン再生機能もなし)なJU-06Aみたいなシンセのシーケンサー代わりとしても使えるってこと。Lo-Fi12で組んだシーケンスと、JU-06A側のコードやアルペジオやポルタメント機能なんかを組み合わせると使い方は無限大だ。
こうなると我が家のLo-Fi12はサンプラーと言うか、もはややMirageみたいなサンプラーシンセ兼最大64ステップの4chシーケンサー。
肝心の低ビットでのサンプリング機能はまったく使ってないけど、マスタークロックの役目を果たすTR-8と共にうちのシステムには欠かせない中核的存在だ。ちなみに接続は↓みたいな感じ。
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本当はもう少し大きくてチャンネルごとにミュート出来るPAミキサーがあると便利だから欲しいんだけど、サムネ写真の通り設置スペース的に限界で物理的に置けないから、とりあえずこれで我慢(笑)まぁ多少制約のあるなかで機材の組み合わせ考えて作る楽しみもあるしね。
さてさて、そんなこんなで今日は久しぶりに、ここ1年くらいハマってるガジェットシンセまわりのことを書いてみた。
昔からこの手のグルボ(グルーブボックス)を弄ってきた人には常識なんだろうけれど、こういう風に機材を組み合わせた場合の使い方って調べても出てこないから、僕みたいに去年からガジェットシンセを独学で始めた人間にとっては完全に手探り状態。
ただ、この手探りでハードの可能性を発見していく感じも、まんま80年代後半のシカゴやデトロイトの人たちと同じことしてる気分になれて、それはそれで面白いんだよね。
自分で作る料理がなんでも美味しいのと同じで、自分で作ったビートは適当なものでも妙に気持ちよく聞こえる。たぶん当時の連中もこんな気持ちで作ってたんだろうね。
往年のクリエイターたちと同じ手法で音楽を作りながら、そんな風に思いを馳せてみるのもまた乙なものだ。