高身長で赤あざのある私: 3. 大学生時代と治療の話し、そして大きな転機について①
前回に引き続き、高身長で、右上半身(首から指先まで)に大きな赤アザを持って生まれた私のこれまでの人生についてと、どうやって今はずっと楽に生きられるようになったのかを順を追って書いています。どこかでなんらかの生きづらさを感じている誰かにひとりではないよと、いうことが伝えられたらいいなと思っています。
今回は、大学生時代と大きな転機についての話です。
前回の中学生から高校生時代までについての話はこちら。
大学生時代の治療の話し
いまから20年ほど前、私が高校3年生の時に、姉の知人の紹介で最近日本に導入されたばかりというレーザーを使ったアザの治療が、遠くのとある大学病院でうけられるということになりました。
そのころはアザは命に係わるものではないという国の判断により、治療にあったっては保険適用もなく、また今のように誰でも彼でも脱毛やシミ取りにレーザーを当てるという時代でもありませんでした。今なら保険を使ってアザを幼いうちに消しておくというということは可能です。
当時、治療は非常に高額なうえ、治療中は激痛で、右上半身は指先まで火傷の状態で包帯をグルグル巻き、数週間後にかさぶたが取れるまでは痛みも治療後の回復期もとても大変だった為、結局、大学生時代に2~3年ほどかけて数回行ったところで治療を止めました。
アザは数年間の治療を経ても部分的に薄くなった箇所があったのみで、基本的に見た目はあまり変わりませんでしたが、大きく変わったのは「自分の気持ち」でした。
大きな気づき
私が治療を行って変わったのはアザよりも心のほうでした。
まずは、やれることをやってみたことうえでの結果であること。そしてこれ以上の痛みと、途方もないお金と大学時代の時間をこれ以上使いたくない気持ちのほうが強いと分かったこと。
そして、入院先の病室で、私と同じように体のアザや口唇裂など見た目に特徴のある同年代の人たちと出会えたことによる心の変化でした。
これまで、私の周りにはこのように生き死に直接かかわるものではないが、実際は生きることが精神的に大変となるもの、を持っている人がおらず、誰にも相談もできずに一人で辛い気持ちを抱えていることしかできませんでした。
病院で手術をうけて治さないと生きていけない怪我や病気でもない、またはカウンセリングを受けるようなあきらかな精神的な病気でもない、それならばこれは、ただ一人で抱えていくしかないものだと思っていました。
入院中に、人生ではじめて、自分以外の様々な症状の人たちに出会い、初めて自分の気持ちを隠さずに話して共有したり理解してもらえたときの嬉しさというのを今でも覚えています。
たとえて言うなら、修学旅行の夜、みんなで打ち明け話をしているときみたいに、恋愛のこと、つらかったときのこと、いろんな話をしました。
同年代女子4人の相部屋で、消灯時間までいろんなおしゃべりをしました。誰かを好きになった話、退院を待ってくれている彼氏の話し、お見舞いにきてくれた男友達のこと、どの先生がカッコいいか、優しいかなど、それは、こんな見た目でも恋をしていいんだ、そしてもしかしたらこんな見た目でも受け入れてくれる男性っているのかもしれない、と初めて人生が少し明るく見えた瞬間でした。
やっと、恐々と、小さな一歩を踏み出す勇気をもらえた私の大きな転機でした。
そして私にはアザのことで悩みを話せる、聞いてくれる、わかってくれる大切な友達がみつかったのです。インターネットがまだ普及しきっていない時代に、このような友達が見つけられたのは本当に奇跡でした。
他の普通の人たちのように生きるための、少しの希望と友達を得られたあと、ここから少しずつ自分の自己肯定感、自己受容感を高めていくために長い道のりを歩むことになります。
大学では心理学を専攻し、仲の良い友達もできました。
高身長でアザのある私に、個性があって素敵だ、かっこいいといってくれる友達に出会うことができ、本当に救われましたが、まだまだどうやっても自分自身が心の底からそう思えてはいなかったのです。
次回は大きな転機②~海外生活について、書きます。
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単純性血管腫の治療については、当時の私の経験について書いたものですので現在とは違うと思います。
※ 単純性血管腫(赤アザ)は、他の人にうつりません。触っても痛くありません。でも理解のない人、知識のない人から避けられたり、ジロジロとみられることによって心が痛みます。