高身長で赤あざのある私: 5. 変化の過程~ヨガの日々
引き続き、右上半身(首から指先まで)に大きな赤アザを持って生まれた私のこれまでの人生についてと、どうやって今はずっと楽に生きられるようになったのかを順を追って書いています。どこかでなんらかの生きづらさを感じている誰かにひとりではないよと、いうことが伝えられたらいいなと思っています。
今回はその自分史の5回目で、カナダからの帰国後、どのような変化をたどっていったのかについてです。
前回のカナダ留学と大きな転機②についての話はこちら。
前回、『できない自分、どんな自分でもありのままに受け入れるという「自己受容感」は身についていませんでした』と書きましたが、それがどのようにして少しずつ変わっていったのか、のお話です。
◇◇◇
一旦、いろんな意味で狭く、息苦しい日本を出たことにより気持ちがずいぶんと楽になり、自由な気持ちで、やりたいなと思うことに挑戦できるような自信が少し芽生えてきました。
ある時、帰国後に勤めていた職場の友人から誘われて、ヨガの教室に参加することになりました。ヨガはカナダに居た頃に、地元の人たちと友達になりたくて近所の教室に通っていたので、またいつかカナダを離れても機会があればやりたいとは思っていたのです。
しかし、運動は昔から私にとって苦手なことのひとつで、運動神経とか体力とかいうものとは別のところにハードルがありました。
それは「半袖」を着なくてはいけないことでした。
そうです。腕のアザが見えてしまうのです。
学生時代の体育の時間も、部活の時も、半袖を着ることはわたしにとって苦痛以外の何物でもなく、もしカナダでやっていなければ日本でもヨガはやらなかったかもしれません。
カナダでは前にも書いた通り、誰がどんな見た目でも日本ほど気にしません。そこでヨガが好きになっていて本当に良かったです。
ヨガのクラスでは、たくさんのことを学びました。
人と比べない。
どんな自分も批判しない。
自分を大切にする。
できる限りをやって、結果は手放す。
今日の自分の状態をよく観察する
身体と心はつながっている。
集中とリラックス。
ヨガマットの上での学びを、ヨガマットの外でも実践する。
などなど、すべてを上げたらきりがキリがないので、ほんの一部ですがどうしてヨガを長年続けられたのかはこういったところにありました。
クラスの中でインストラクターが上記のことを何度も言ってくれるので、マットの上にいる間は、周りの人からの視線をそれほど気にしなくてもいい気がしていました。
そうやって半袖を着る練習(笑)を何年もやるうちに、本当に少しずつだけど普段も半袖を着られるようになりました。
集中して頑張り切ったあとにやってくる体と心の解放、すっきり感なども心地よく、ヨガのクラスに通って得られたものはたくさんありました。
でも、、、
こうやって15年もヨガをつづけていたのに、まだどこかでありのままの自分を受け入れることができずにいました。
努力してここまで頑張ってきたけれど、どこかで何かが不安で、なぜか自信がなくて、怖くて、それを隠しているから落ち着かなくて、という感じでした。
つづく。
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※ 単純性血管腫(赤アザ)は、他の人にうつりません。触っても痛くありません。でも理解のない人、知識のない人から避けられたり、ジロジロとみられることによって心が痛みます。
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