『P5S』感想とソフィアがかわいい理由についての考察
こんにちはございます、すいそです。
『ペルソナ5 スクランブル ザ ファントム ストライカーズ』(以降『P5S』)をクリアしたのでストーリーの感想と薄めの考察を書き残していきます。
正直感想の垂れ流しはTwitterの方で済ませるつもりだったんですが、あまりにもソフィアがかわいすぎて、なぜこんなにかわいいのかを考えていたらこの記事が精製されてしまいました。
一応、考えて調べていくうちにひとつの答えを得られたのでしばしお付き合いいただければ。ネタバレを含むのでプレイ中の方はご注意を。
■人の心を持つAI
本作では「人から心を奪ったAI」を「人から心を授かったAI」が討つ、という構図が成り立っている。両者の差は「人の良き友人」であったかどうかなわけだけど、それ以上に怪盗団が「AIの良き友人」すぎた。
ではなぜ怪盗団とソフィアは「良き友人」になれたのか。
■AIはシリコンでできている
人から心を奪い偽神となったAI=EMMAは姿形のない存在だった。聖櫃やデミウルゴスとして顕現しても、神々しさはあれどおよそ親しみがたい見た目である。
一方、ソフィアよ。
おい!
お゛い゛!
かわいいがすぎんだろふざくんな!
そりゃ怪盗団もメロメロになるわ。人は見た目が何割云々論じゃないけど、こりゃあ「良き友人」になるための約束されたデザインだわ。
メタ的な話にはなるけど、ソフィアはよく伸びてやわらかい「シリコン」をモチーフにキャラクターデザインされたらしい。
それを作中での親である一ノ瀬久音が「自分を傷つけない存在」としてイメージしたと思うと、彼女の顛末にはやるせなさが増す。ただ、彼女はそこから再起できたわけで。これが本当に『P5S』を象徴する、救いに満ちた物語になっていたと思う。
■人よAIの良き友人であれ
プレイ中、自分がぼんやり疑問に思ったり妄想していたりしたことへのほぼアンサーみたいなブログ記事を見つけてしまったので紹介。
ソフィアについて、モチーフとなる神話の方からのアプローチもあって素晴らしい考察。
ここで引用されているエマーソンの格言をさらに引用させてほしい。
一ノ瀬には愛されたいという行動原理があった。それにはまず、誰かを愛する必要があった。誰かを愛することができれば(愛せる存在を作ることができれば)、自分が愛される存在になれる……。
こうして、愛せる存在=ソフィアが生まれた。ソフィアがかわいい理由はここにあった。
「人の良き友人」になることを原始的な命題として持って生まれた時点で、ソフィアは愛される存在だった。そして彼女の前で人は「AIの良き友人」になってしまうのである。
■AIは愛か
ちょっと余談。ソフィアのコードネームをわざわざひねりのない「ソフィー」にしたのはなぜなんだ、哲学するAIだからフィロソフィーなのか、とか思っていたのも先の記事にて一発解決。フィロソフィーのフィロって「愛する」って意味なのね、ドンピシャかい。
『P5S』は、愛されるために生まれたAIのソフィアが人に愛されまくって、愛されなかった一ノ瀬を愛し救う物語だ。一ノ瀬よ、お前はちゃんと自分の手で自分を救っているぞ。ネガイを自らの選択によって叶えたんだぞ。
■AIはかわいくていい
結論、ソフィアはかわいいのために生まれたからかわいい。
プレイしたての頃、完全に下心満載でこんなこと言ってまじごめん。でも本当にかわいい。
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