『short HOPE long Peace』ネタバレ感想と煙にまつわるとりとめもないこと
『short HOPE long Peace』プレイしました。
死生観の描き方がド好みでした。感想を書いていきます。
ネタバレを多分に含みますのでご注意ください。
1時間程度で読めるノベルなので、まだの方はぜひ読んで来てください。ブラウザで無料で読めます。スマホでもPCでも読めます。
『short HOPE long Peace』におけるタバコと死と生(性)の相関について。
ワカバさんは、"タバコは男と同義"という生き方をしている人物です。江向くんとの関係の始まりも喫煙所でした。
江向くんはこのとき既に死を受け入れていて、"あした地球が滅亡するとしたら"、"彼女が欲しい"という極限のリビドーに行き着いた末の告白でした。彼の達観した超越思考が、一周まわって全男子の共感を得られるプリミティブなものに帰着しているのが叙述の妙ですよね。ダウナーでビッチなお姉さんを嫌いな男子はいません。そしてダウナーでビッチなお姉さんはぴかぴかでウブな男の子が好きと相場が決まっています。
ただし、ヘビースモーカーなワカバさんに対して、江向くんは"タバコは癌の種"という考え方でした。「タバコ=生(性)」と「タバコ=死」という関係性からこの物語は始まります。
そしてすぐに、前者が空洞だったことが明かされ、後者に染まっていきます。
ここ、江向くん視点で読み返すとめちゃくちゃ残酷なんですよね。誕生日プレゼントに異様な執着を持っていた江向くんですが、その裏には彼なりの死生観と焦りがあったように読み取れます。なのに、ずっとワカバさんの身を案じているわけで。
"最初は、好きじゃなかった"とのことですが、この時点で、とっくに恋心は打算だけのものではなくなっていたんじゃないでしょうか。
結果、ワカバさんはタバコをやめます。江向くんの本心が届いたからとも言えますし、依存先が代わったからとも言えます。ワカバさん曰く"生活"のためとのことでした。未来を描いていたわけです。ここで一時的に、表面的に、ふたりの関係の中から死が立ち消えます。
ワカバさんは江向くんにアテられてまんまと禁煙に成功しました。でも、江向くんがタバコを吸うことは死ぬまでありませんでした。
伏線としても換喩としても本当に残酷で美しいと感じました。変わることのできたワカバさんと、変わらなかった江向くん。
ワカバさんは"去る者追わず"というスタンスと、"嫌われないと納得しない"という建前で、互いに傷つかないよう立ち回る男に躍起になっていましたが、あの振る舞いは彼女なりの自傷であり自己防衛だったのだと思います。禁煙と同じで、誰かを嫌いになったり何かを諦めたりって精神力いるんですよね。
そうして新しいタバコの箱を開けるように、こだわりのない体を装って依存先を探していたのでした。だから本来、ここでの喪失はとてつもないものだったはずです。
ワカバさんがここで困る理由が、江向くんに"悲しまないで"と言われたからなのがとてもいいです。
はじめにも書いた通り、死生観の描き方に自分はヤラレたわけですが、特にぐっと掴まれたのがここでした。江向くんがワカバさんの死生観をも変えていったのだと感じました。少なくとも、彼女は必至に取り繕ってでも変わろうとしていました。
その結果生じた行動が、火葬場でタバコに火を点けることでした。自分が吸うわけではなく、煙になってしまった江向くんへの手向けとして。使い古された仕草ですが、行動原理に気付いたとき呆然としました。
自分は死生観を描く物語は好きですが、死を悲しむ描写が嫌いです。無駄だなとすら思います。
ラストシーンで、ワカバさんは後輩の"彼"からタバコをもらいます。
"頭がくらっとする"、"焼けつくような、懐かしい感触"、"ようやく慣れてきた"。
死に対する解決として、これ以上の描写はないでしょう。不要でしょう。
「タバコ=死」を遠ざけ、「禁煙=悲しまない」約束を守っていた彼女が、最後に一度だけその両方を破ったのです。
喫煙者ジョークとして「これまで何度も禁煙してきたから今度も禁煙できる」「禁煙のプロ」といった常套句があります。
さすがにそれでは情緒が台無しですが、禁煙という状態は、吸えるけど吸わないという状態なんですよね。江向くんがワカバさんから死とタバコを永遠に連れ去ったわけではなく、ワカバさんが自分の意思で死とタバコに背を向けたわけです。最後のロングピースは、それを確認するためのものだったと思っています。
感想はここまでです。ありがとうございました。
以下、物語とはあまり関係のない自分の話です。あとがきまで読んで、色々考えたことや思い出したことを書き残しておきます。
作者の蜂八憲さんと自分はほぼ同世代でした。それでちょうど大学生の頃に、社会的にあるいは精神年齢的に、煙草をやめるかやめないかの岐路に立たされたタイミングがあったのを思い出しました。
子供の頃は親世代が当たり前に吸っていて、中高の頃はヤンキー文化の象徴で(相当な田舎だったので修学旅行中いかに煙草を吸うか、みたいな話で不良グループが盛り上がる)、大学では特別ちゃらいわけでもないのに創作系サークルの先輩は漏れなく吸ってる、そんなイメージでした。自分の生まれ育ちや人付き合いによるバイアスは多分にあると思いますが。
それが、まさにあとがきのエピソードにもある2010年頃、値上げとモラトリアムの強制終了により「このまま毎日数百円かけて寿命を削っていくのか俺は?」みたいなことを考える日がやって来るわけです。
結局、あらゆる自問自答と言い訳に譫妄され、さらに自分の場合は就職先の職場にも喫煙者が多かった(主観ですがゲーム業界は普通に喫煙者多いです、TGSビジネスデイの喫煙所は色んな意味で汚いです)ということもあって、今もやめられていません。正直、惰性で吸ってるなとは思います。
ただ、この今や惰性でしかなくなった自分と煙草との関係性を笑い飛ばせる感覚が少し芽生えました。
ドラマティックだったりロマンティックだったりするものと煙草の関係性って年々離れていっているじゃないですか。物語上でも目にする機会が減りました。なのでこの作品での、ちゃんと叙情的なのにクレバーな扱いには新しさを感じました。
ここからさらにどうでもいい話。
池袋の新文芸坐にジム・ジャームッシュ特集のオールナイト上映を観に行ったことがあるのですが、『コーヒー&シガレッツ』上映後の喫煙室が何も見えないくらい真っ白だったんですよね。ドン引きしつつも笑っちゃった記憶があります。世の中に酒を飲ませる表象があるように、煙草を吸わせる表象もエナジェティックでおもろいなと。
あとは舞城王太郎の小説『煙か土か食い物』を思い出しました。墓場でヤるフランス文学のこととか、セカイ系のラノベや漫画のことも思い出しました。10代の頃、こういうのに夢中になっていたなと思い出して、全身めっちゃ痒いです、今。
死生観の描き方で印象に残っているゲームは『ペルソナ3』です。ゲームの終わり方はもう言うまでもないですが、自分の場合は特に劇場版第2章『Midsummer Knight's Dream』が衝撃でした。ラブホで始まって葬式で終わるという構成が忘れられません。
最後に煙草関連。このnoteの前半感想パートは本編に倣ってカタカナで「タバコ」という表記にしてましたが、後半自分の話は漢字で「煙草」にしています。これについては物書きなら一家言あるひと多そう。でも、この作品はカタカナ「タバコ」がいちばんしっくりきていたと思います。
禁煙云々の下りで、昔金沢に行った時に寄った「珈琲館 禁煙室」という喫茶店を思い出しました。今調べたら閉店してました。時の流れ。このお店は看板にでかでかと「禁煙室」と書いてあったんですが、普通に煙草が吸えるお店でした。
……本当にとりとめもない話になってきたのでこのへんで。みんな『short HOPE long Peace』プレイしてください。感想読みたいです。