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【小説】アルカナの守り人(8〜18)
<2. ヒカリ>
ヒカリはヨウの手を取り、自分の口元に近づけた。ホゥと息を吹きかける。
凍えた手が少しでも暖かくなるように。少しでも楽になるように。無駄なことかもしれない。しかし、やらずにはいられない。ヨウの体はどんどん冷たくなっていく。ヨウの顔色はどんどん色を失っていく。
死ぬことはない。それは分かっている。 でも。急がなくてはならない。
「ヨウ、待っててね。必ず、必ず助けてあげるから。」
ヒカリは、そう呟くと、そっとヨウの手を下ろした。
幼い子供が犠牲になる奇病。体温がどんどん下がり始め、免疫力が落ち、顔色が鉛色になって死んでいく病。その原因をヒカリは知っていた。昔、父親が話してくれたのだ。昔の世界にあった太陽の御伽話を。
── 昔、昔。この世界には、太陽がありました。
太陽は、地球上の生きとし生けるものに大きな愛を送っていました。
その愛によって、地球上の生けるものたちは、喜びに溢れ、生命力に溢れ、輝いていました。
ある日、悪い魔法使いが太陽の愛のエネルギーを盗んで行きました。
いつものように光を浴びても、生きとし生けるものたちは、輝きを失い、倒れていきました。
「…それで、それで、どうなったの?」
ヒカリは、話の続きを促した。父親はニコニコ微笑みながら、話を続けた。
…そこに、星の力を持つ者と太陽の力を持つ者が現れました。
星の力を持つ者は、皆を浄化し、
太陽の力を持つ者は、皆に愛のエネルギーを送りました。
生きとし生けるものたちは、再び輝きを取り戻し、喜びの唄を歌いました──
ヒカリの一族はウィータの守護者、もしくは、守り人と呼ばれていた。
アルカナと呼ばれる特殊な能力を用いて、命を守る者、魂を守る者だ。アルカナの能力は世にいくつか存在するらしいが、ヒカリの一族はそのうち二つを有する、さらに特殊な一族だった。ヒカリの父親の家系は、『太陽』のアルカナ能力を、そして、母方の家系は、『星』のアルカナ能力を代々、継承してきた。ヒカリは母方の『星』のアルカナ能力の継承者であり、人類を癒し、導くことが使命であった。
一方、『太陽』のアルカナ能力を引き継いだのは、ヒカリの弟、ヨウだった。
能力を引き継いだ場合、身体のどこかしらに能力者の証となる特殊なあざが現れる。ヨウが九歳を迎えた、三ヶ月前のある日、腰の辺りにくっきりとそのあざが現れた。
NO.XlX。太陽の能力者の証である。
人類と太陽を繋ぐ。それが与えられた使命だ。
過去、人類は自然に太陽のエネルギーを感受できた。それは、生きる力であり、生きる喜びであり、慈しむ愛であり、命のエネルギーだった。人類は太陽から様々な恩恵を受けてはいたが、あまりにも当たり前のものであり過ぎたため、誰しもがそこに無関心だった。そして、時は過ぎ、人類は山中に住み、人工的な光源を浴びているだけに過ぎなかったが、太陽の恩恵を受け続けられていた。一族が陰ながら動いていたからである。
人類が太陽をイメージする限り、太陽を憶えている限り、人類と太陽の絆は結ばれ、恩恵を受けることはできる。集合的無意識を通して太陽のイメージは伝わり、エネルギーは送られ続ける。それを可能にしていたのが、『太陽』のアルカナ能力だったのだ。
では、もし、太陽との絆が切れたら…? 当然、太陽の恩恵は受けられなくなる。生きる力は弱まり、喜びや愛を感じられず、体温も下がり始め…。
そう、これが、最近、流行りの奇病の正体である。
フウタはヒカリの後を大人しくついていく。
ヒカリは先ほど通ってきた廊下を引き返すように歩き、螺旋階段を上がってすぐにあった、一つ目の部屋の前で止まった。ヒカリは扉を開け、フウタに先に部屋に入るように促す。
薄暗い部屋の、奥の窓から光が差し込んでいる。そのすぐ下には、ベットがあり、誰かが寝てるように見える。フウタはまっすぐそこに進んでいった。
なんだいったい。ここの部屋に、本当の依頼のヒントでもあるのか?
フウタは考える。
ベットの側までくると、状況がはっきりと確認できた。ベットに横たわっているのは、小さな男の子だ。小刻みに震えている。暖かそうなブランケットがかけてあるが寒いのだろうか。よく見ると、顔色もかなり悪い。
まるで、冬の空のような…。。
そこまできて、フウタはハッとし、一歩後ろに下がる。これは、例の奇病じゃないか!どういうことだ? 思わず、もう一歩下がろうとしたフウタの背後からヒカリの声が届く。
「…大丈夫よ。あなたに移ったりはしないから。」
ヒカリは、そっとベッドの方に近づく。そして、ゆっくりと跪くと、男の子の額にかかった乱れた前髪を軽く払う。
「この子が弟のヨウよ。」
ヒカリは少し微笑みながらフウタに告げた。
…弟?
この子がさっき話していたヨウか。
うん? でも…。
フウタは先程、ヒカリから聞いたばかりの話を思い出していた。確か、アルカナの能力とか言ったか。ヒカリの弟は太陽のアルカナ能力の継承者だと言ったはずだ。そして、人類を奇病から守るのが使命だと。
「その通りよ。ヨウは太陽のアルカナ能力の継承者。そして、人類と太陽を繋ぐのが使命…。それは間違いないわ。」
ヒカリの話は続く。
「…私たちの一族は、この奇病に備えてきた。何世代も前からね。なぜなら、この奇病が起こることは、すでにこの本に記されていたから。」
ヒカリはそう言うと、ヨウの側からゆっくりと立ち上がった。そして、フウタの前まで歩いてくると、いつも大事そうに持ち歩いている、例の古本のページを開いて、フウタに読むよう促した。フウタが本を覗き込むと、確かにページには何か書かれている。なんだか、文字がクリアではなくて読みにくい。まるで、本からインクが滲み出たような、浮き出てきたようなそんな奇妙な様だった。
ヒカリによると、この本は「魔本」と言っても良いものらしい。文字が必要な時に必要なタイミングでページに浮き出てくるのだという。ヒカリが指し示したページの中には、山中都市に移動した人類と太陽の絆について書かれていた。そこには、移住後八世代目で、太陽と人類の絆が完全に切れるということ、絆が切れた人類は、力つき倒れていくことがはっきりと書かれていた。
「…私の父は、八世代目の太陽アルカナの能力者だった。予言された現象を起こさぬように、日々、緊張感を持って使命にあたっていたわ。そのお陰で、人類と太陽の絆は保たれていたし、全て、うまく行っていたの。…一年前まではね。」
一瞬の沈黙…。
ヒカリは、目を瞑り、俯く。心を落ち着けるように深く息を吸い込む。そして、その息をふぅと勢い良く吐き出した。数回、深呼吸を繰り返し、ヒカリは顔をあげた。
「…一年前の、転移事故は覚えている?」
唐突な質問だ。
一年前の転移事故か…。確かに、大きなニュースになっていたな。どこかの転移ポイントで大爆発があり、何十人かが犠牲になった事故だ。自分には関係ない話だと真剣に聞いていなかったので、詳細はよく覚えていなかった。。フウタは非常に気まずかったが、ここは、正直にそう答えるしかない。
「そうよね。転移を利用しない人にとっては、あまり興味がないニュースだったかもしれないわね…。私たち家族はね。転移をよく利用していたの。仕事柄…、つまり、アルカナの能力は様々なエリアで必要だったから、それこそ毎週のように利用してたわ。私たち、アルカナの能力者には特別な身分証があってね、それを使うことで、好きなときに転移を利用できたの。半年前のあの日は、父と母、そしてヨウが転移をするためにそのポイントにいたわ…。そして…、爆発事故が起きた。」
「父と母は…即死だった。ヨウは、辛うじて一命を取り留めたわ。でも、二ヶ月眠り続けた。やっと普通の生活を送れるようになったのは、半年前のことよ。」
ヒカリは、眠ってるヨウに視線を向けた。暫し、ヨウの顔を見つめ、話を続ける。
「…ヨウはね、ついこの間、能力者の証である「あざ」が出たばかりだった。 まだ、九歳になったばかりだったの。本来なら…能力を使わせたりしなかった! 身体が未完成のうちに能力を使うことは危険だと、不安定になると言われていたから。でも、父があんなことになって、ヨウは…、自分がやるんだって。自分しかやる人間はいないって。「太陽」のアルカナ能力を、解放して…、父の代わりに…使命を…。」
ヒカリはそこまで言って、言葉に詰まった。堪えきれなくなった大粒の涙が頬を伝って流れていく。とても美しい、澄んだ涙。ヒカリは、声を出さず、静かに泣いた。突然に両親を亡くし、幼い弟は、無理をしてでも使命を果たそうとし、それを止めることもできず、どれだけの心労を抱え続けていたのだろうか。
こんな時に、気の利いた台詞の一つや二つ言えればいいのだが。
残念だから、そんな器用な人間ではないんだよな、俺は…。
ただ、ヒカリの頭にそっと手を載せる。
「…大丈夫だ。もう、心配するな。俺がいるだろ?」
フウタは精一杯、明るい声音でそう告げた。何の根拠もない自信。でも、人生何とかなると信じてさえいれば、うまくいく!というのが、フウタのモットーである。今回も迷いなく、そう信じていた。
「ふふ…、ふふふ。本当にあなたって…。」
先程は、思わず泣いてしまったヒカリだったが、フウタの台詞に思わず、笑みをこぼした。
本当に疑いを知らない、純粋な人ね。
あんなに警戒して、偽の依頼まで用意して…。色々と考えていた私がバカみたいだわ。これなら、最初から本当のことを話しても問題なかったのかもしれないわね。 …今更だけど。
と、ヒカリは思った。
「それで…、結局のところ、本当の依頼っていうのは何なんだ? ヨウに関係することだろ?」
フウタは、ヒカリが泣き止んだことで安心したのか、近くの椅子に、さっさと腰を下ろしている。頭の後ろで手を組み、大分、リラックスした姿勢だ。
「ええ。本当に依頼したかったのは、ヨウを助ける「鍵」を探してもらうこと。」
「鍵を探すのは変わらないんだな。」
フウタはニヤリと笑った。
「ふふ。そうね。言い訳に聞こえるかもしれないけど、あなたには、最初から嘘は言ってないのよ。ちゃんと説明するから聞いてくれる?」
ヒカリは真剣な顔で言った。フウタはもちろんと、力強く頷く。
「…そもそも、ヨウは太陽のアルカナ能力者だわ。だから、常に太陽との繋がりがあるはずなの。それにも関わらず、奇病に侵されてしまったのは、幼い身体で無理をしたせいかもしれない…。はっきりしたことはわからないけど。どちらにしても、ヨウと太陽との繋がりが弱まっているのは確かだわ。だからこそ、どうにかして力を取り戻さないと、と思ったの。そして、その時だった。古本のあるページに文字が現れたことに気づいたのは…。」
「お、もしかして、ヒントとかか?」
「たぶん…、そうだと思う。」
ヒカリはそう呟きながら、古本を開き、該当のページをぱらぱらと探す。そして、フウタの前に古本を差し出す。
スペス リベルタティス ラティティア
そこに浮かび上がっていたのは、たったそれだけだった。
「え? これだけ?」
「そう。」
「えっと…、どういう意味?」
「自由と希望が、喜びをもたらす…って感じ…。」
「自由と希望。喜び…? え、本当にこれがヒントなのか?」
「…だと、私は思ったの。」
そして、ヒカリは早口で捲し立てた。
「私は、ヒントだと思ったの。混乱して、どうしていいか分からなかった時、このページを見つけた。それで、これだけが頼りだと思ったの。とにかく「自由」と関係する場所や名のつく記念碑には行ったわ。希望という名の人にも会いに行った。結局は…空振りだったけど。」
うーん。なるほど、自由と希望ねぇ。
自由…。 うん?
あれ…、もしかして?
「もしかして、俺に会いに来たのって…。」
そこまで言っただけで、ヒカリはこくんと頷いた。
若干、顔が赤みを帯びている。
「…一人で探すことに限界を感じてたの。あの日もやっぱり、何の収穫も得られなくて、途方に暮れていたわ。どうしたらいいのか、悶々と考えながら街を彷徨い歩いていた。その時、あなたの探偵事務所の看板が目に飛び込んできた。『Liber』って言葉を見た瞬間、ここだ!と思ったの。運命を感じたのよ。」
なるほど…、確かに『Liber』は自由って意味だからなぁ。そういうことだったのね。って、ことは…。
「…探し物が得意、云々も、看板を見てってことかぁ。」
フウタは、外看板に『探し物ならなんでもお任せ』という文言を入れていたことを思い出していた。
いやいや、いじけているワケじゃないよ。わざわざ遠方から、俺の噂を聞いて来てくれたんだ!とか思って喜んでいた…とかでは断じてないと言っておこう。
ヒカリは、フウタの意気消沈を感じ取ったのか、
「ご、ごめんなさい…。」
と、消え入りそうな声で言った。
いや、大丈夫。大丈夫なんだ。すぐに復活するのが、俺の良いところ。
でも、今は、三分待ってくれ。
フウタは、気分を変えようと、ヒカリに質問する。
「あ、あのさ。気になってたことがあるんだ。ヒカリは、星のアルカナ能力者だろ? 能力は「癒し」だって言ってたよな? その力でヨウを癒すことはできないのか?」
「それは…。」
ヒカリは、残念そうに頭を左右に振った。
ヒカリの説明によると、太陽のアルカナは能力の中でも上位になるらしい。星の能力は別系統であるものの、能力的には太陽の下位になり、影響を与えることは難しいのだという。
「えっと、そもそもだけど。どうやって、アルカナの能力使うんだ? 人類に癒しってどうやってやるの?」
肝心で要の部分を、全く聞いていなかったことに今更気づく。ヒカリもぽかんと口を開けて、暫し、時が止まった。
「本当に、今更ね。」
ヒカリはくすくす笑った。
最初からフウタには見せるつもりだった。依頼を受けてもらうには、予め、能力を見てもらう必要があると思っていたからだ。
それなのに、この人ったら、全く興味を示さないんだもの。話一つで、全て信じて、依頼を受けてしまうんだからね。
「何だよ。そんなに笑うなって。…で、見せてくれるのか?」
ヒカリは、こくんと頷く。いつもは夜にやっているのだけど…と前置きしながら、部屋の中央に移動した。
胸元からシルバーで装飾されたカードを取り出す。
その表には、美しい絵が描かれている。一際大きな星が一つ、その周りに七つの星々。それらの元には、神聖な泉の中に、片足を入れた若い裸体の女性。左右の手には、水が満たされた瓶をもち、一方は泉へ、もう一方は大地へと注いでいる。
ヒカリが、そのカードにそっと息を吹きかけると、まるで目を覚ましたように、エネルギーの圧を発した。不思議なオーラを纏いながら輝いている。ヒカリは、そのカードを頭上に掲げるように腕を真っ直ぐに伸ばす。
そして、静かに言葉を紡ぐ。
〈天空のささやき…〉 〈導きのステラ…〉
言葉を紡ぐ度、ヒカリの足元に、輝く円状の紋様が浮かび上がる。精巧な細工が施されたような紋様は玉虫色のように都度、絶妙に色を変えていく。
〈カタルシスの涙は…〉
紋様は少しずつ重なるように現れ、一つ一つがゆっくりと回転しながら、ヒカリを囲むように上方へと光を放ち始める。いくつもの光が柱のように立ち上り、初めは淡く、だんだんと濃く、強くはっきりと輝き出した。
〈神聖なる泉へと還る…〉
すでに、直視するには厳しい程の輝きに包まれているヒカリ。
〈エト エフルダム ルクス サニタセスト!〉
そして、ヒカリが最後の呪文を唱えた瞬間、辺りは一瞬にして真っ白の世界になった。フウタは、眩しさにクラっと目眩がして、思わず、強く目を瞑る。しかし同時に、まぶたの奥では、暗闇の気配を感じていた。フウタは一呼吸置くと、力を抜いてそっと目を開く。そして、頭上を見上げた瞬間、…完全に固まった。そこに繰り広げられた光景にすっかり心を奪われたのだ。
漆黒の暗闇の中、手を伸ばせば届きそうな位置で、無数の星々が囁き合っている。大きさも様々、色も形も輝きも、ありとあらゆる星々の優しげな声が聴こえてくる。そして、その囁きが一斉に降り注いでくるのだ。フウタは、ぽかんと口を大きく開けながら、ただただ、その星々の囁きのシャワーを浴び続けた。身体の内側から込み上げてくるものがある。わけも無く、涙が流れる。
胸の真ん中が、幸福感で満たされたような、大丈夫だという安心感を得たような、不思議な感覚に包まれていた。
「…タさん? フウタさん?」
遠くから、ヒカリの声が聞こえる。その声に、はっと我に帰るフウタ。
キョロキョロと周りを見渡してみると、辺りはすっかり、元の部屋の状態に戻っている。部屋の天井はあるし、窓も壁も本棚も元のまま、ヨウが眠るベッドも全く同じ場所だ。
今のは、現実だよな?
フウタは、左頬の濡れた感触を指で確かめるようになぞった。そして、そのまま胸に手を当てる。そして、ゆっくりと目を瞑ると、心の奥底からこみ上げてくる感覚を味わう。ああ、この満たされてるような感覚は間違いようがない。
「…すごいな。思っていた以上に…。なんて言っていいのか分からないけど…、すごく清々しい気分だ。」
「ふふっ。それは良かったわ…。」
ヒカリは、嬉しそうに微笑んだ。が、身体を少しふらつかせている。フウタは、慌ててヒカリに駆け寄った。
「お、おい、大丈夫か?」
ヒカリの身体を支えながら、近くの椅子に座らせる。
「…大丈夫よ。誰かの目の前で能力を使うことなんて滅多にないから、つい、張り切ってしまったわ。」
ヒカリは肩をすくめながら、いたずらっ子のように目を細めた。
まぁ、そうだよな。秘匿の能力だろうし。いつもは人から隠れるようにして能力を使っているのだろう。長い年月、人類を守り続けている存在なのに、それを知るのは、極少数の者だけか。感謝や賞賛されることもなく、ただ人類を守ることに生涯を捧げる…。
フウタはヒカリをしばし見つめ、そして、ベッドで眠るヨウに視線を移した。…まだ、あんなに幼いのにな。あの小さい身体は、すでに代役のきかない重責を負ってる訳だ。これから、長い長い、一生かけて続く重責。正直、その人生が本当に正しいかはわからない。太陽の能力者として人類のために生きる人生が幸せかはわからない。でも、今ある事実は、ヨウが奇病に苦しんでいること。
俺は、ヨウを奇病から救ってやりたい。
そのためには、やはり力を取り戻す必要があるだろう。
「よし! それじゃ、早速、ヨウを救うための作戦会議を始めるか!」
──コッ コッ コッ コッ コッ コッ コッ コッ
秒針の音がやけにはっきり聞こえる。
時計の内部で音が共鳴しているのだろうか。
フウタはそんなことを考えながら、年季の入った木製の壁掛け時計を見上げた。
「少し、休憩にしましょう。…お茶入れてくるわね。」
ヒカリはそう言うと、そっと部屋を出て行った。
フウタは、思いっきり腕を伸ばすと、大きく伸びをする。
あれから何時間が経ったのか。あんなに意気込んで、かっこよく宣言したものの、ヨウの力を取り戻すために、一体どこから、何をするべきなのか、全く考えが浮かんでこなかった。というか、フウタが考えつきそうなことは、すでに、ヒカリがやり尽くしていたのだ。
はぁ。どう考えても、ヒントが少なすぎるんだよなぁ。
スペス リベルタティス ラティティア 自由と希望が喜びをもたらす…。
少なくとも、自由だけでもダメ。希望だけでもダメ。
どちらも必要だってことは確かだ。で、最終的には、喜びが必要ってことだよな。でも、喜び? 喜びとヨウの奇病にどんな関係があるんだ??
喜びが奇病を癒すのか? うーん。わからん。
その時、ヒカリがトレイを抱えながら部屋に戻ってきた。時代を感じさせるハンドペイントのティーポットからはゆらゆらと湯気が立ちのぼっている。
お揃いのソーサーをサイドテーブルの上に並べ、ティーカップを置く。そこに優しく紅茶を注ぐと、上品な香りが辺りに広がる。
ヒカリは最後に、小ぶりのクッキーをカップの傍に添えると、フウタにどうぞと差し出した。
フウタとヒカリは揃って紅茶に口をつける。そして、しばしの沈黙。
頭の中が飽和状態のようで思考が停止している。鼻から抜ける香りだけが、自分たちを現実に留め、感覚をここへと呼び戻す。
「そういえば…。」
唐突に、ヒカリが口を開く。
「どうした? 何か閃いたか?」
「あ、いえ…。ごめんなさい、全く関係のない話なんだけど…」
「うん?」
フウタは、紅茶を啜りつつ、ヒカリに話を促す。
「えっと…、フウタさんは、古い言葉をよく知ってるな…と思って。探偵事務所の名前もあれ、古代の言葉よね。」
「ああ、そうだな。確かに『Liber』は、大分、古い言葉だな。」
「その…、私たち、アルカナの能力者は、古代の文字をずっと学んできているの。文字が読めないと、能力も理解できないし、あの古本も読むことができないから。」
「まぁ、そうだろうなぁ。」
フウタはソーサーに添えてある小ぶりのクッキーを指で摘むと、口の中に放り込む。
「それで、その…、フウタさんは、なんで古代の文字なんて勉強したのかなって思って。普通の人には、縁のない言葉よね?」
「ああ…。そんなことか。」
フウタは、指についたクッキーの屑を軽く払いながら、答える。
「うーん。なんて言えばいいのかなぁ。俺は、孤児院育ちなんだけどさ…、俺の育ての親って人が、昔の世界についてよく話してくれたんだよ。昔の地球についてっていうのかなぁ。地上から見えた太陽とか、星とか月とか。夜空がどんなに美しいか、森のざわめきや川のせせらぎ、雨上がりの草木の匂い、荒れ狂う海の恐ろしさ…。色々な話をしてくれたんだ。で、その流れで古代の言葉も教えてくれたんじゃなかったかな…。」
フウタはヒカリにそう答えながら、意識を過去へと飛ばしていた。
物心ついた時には、すでに大勢の兄弟、姉妹たちに囲まれていた。
その中でも年長者だったフウタは、兄弟、姉妹たちの世話をするのが日課だった。バタバタと忙しない日々。騒々しくて、ちっとも言うことを聞かない奴らだったけど、あれはあれで楽しい生活だった。
そして、フウタたちの世話人は、たったの2人。一人は、フウタにとっては、姉のような存在で、もう一人は、皆のまとめ役、頼れる存在。皆からは「マザー」と呼ばれていた。昔の地球について、よく話してくれたのは、このマザーで、古代の言葉を教えてくれたのもマザーだったんだが…。
ヒカリに尋ねられて、ふと思う。
マザーはなぜ、古代の言葉に詳しいんだろうか。
俺にとっては、当たり前だったからそのことを疑問にも思わなかったが、先程のヒカリの様子から察するに、古代の言葉を知っているのは、大分、特殊なことのようだ。もしかして、古代言語の研究者とか?って、そんな話は聞いたことないけどな。
フウタは、うーんと唸りながら、無意識に顎を撫でていた。
そして、その流れで顔を上げた時、キラキラと輝いた瞳で、こちらを真剣に見つめるヒカリと目があった。
なんか、ものすごく訴えられている気がする。
これは…、えっと、あれだよな。
やっぱり、そういうことだよな…。
「あー、マザーに─…」
「ええ、行くわっ。」
──会いに行ってみる?
口に出す機会を失った言葉が、頭の中で遅れて流れる。どうやら、聞くまでもなかったらしい。フウタの言葉は、ヒカリにあっさりと遮られる形になった。確かに、ヒカリにしてみれば、手がかりもロクにない状態だし、何かヒントでも得られれば、儲けもんだしな。
「孤児院か…。」
思わず、呟くフウタ。そして、続け様に、二人の女性の顔が浮かぶ。
…。
なんか、すごく面倒なことになりそうな予感がする。
色んな意味で。
フウタは、ヒカリに気づかれないよう、小さく溜息を吐くのだった。
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