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『花束みたいな恋をした』音楽小ネタリスト

映画『花束みたいな恋をした』を今週ようやく鑑賞した。

2015年から2020年までを描いている今作ではポップカルチャーにおける固有名詞が多数登場。どちらかというと作家などの方が多い気はするけど、音楽ネタも多かった。

今回は、映画で登場した音楽小ネタを記憶にある限りまとめてみたので、ネタバレOKな方はどうぞ。足りない、訂正等あれば是非教えていただきたく!


スチャダラパーのロゴTシャツ→麦が大学で着ていた

GReeeeN「キセキ」→絹が西麻布の店に入った時にカラオケで歌われていた

SEKAI NO OWARI「RPG」→麦が行ったカラオケで周りの男達が歌っていた

菊地成孔の粋な夜電波→出会ったばかりの麦と絹が、この番組を聴いているかを確かめ合った

きのこ帝国「クロノスタシス」→麦と絹がカラオケで熱唱

土志田美帆(PORIN)→麦と絹が訪れたファミレスで働いていた、Awesome City Clubのメンバー。ネームプレートには本名が記載されていた。
2人はバンドのチラシを見ながらYouTubeで「Lesson」のPVを視聴。

NUMBER GIRLのTシャツ→麦が写真展に行った時に着ていた

スチャダラパーのTシャツ(白)→夏の夜、泣いている絹を迎えに行った麦が着ていた。ベーカリー 木村屋に行った日も着用。

〜以下、大学卒業後〜

Awesome City Club「Don’t Think, Feel」→フリーターになっていた麦と絹がYouTubeでPVを見る。ファミレスのお姉さんは金髪になり、PORINという名になっていた。

ONE OK ROCKのチケット→広告代理店で働く麦の父が、麦と絹に行かないか尋ねた

ジャクソン・ブラウンのTシャツ→絹が就活をしていた頃、部屋で着ていた

Awesome City Club「今夜だけ間違いじゃない事にしてあげる」→一瞬PVが流れ、PORINさんの髪色の変化に触れる

フレンズ「NIGHT TOWN」→麦がゴールデンカムイをパラパラめくりながらPVを見る

Awesome City Club「アウトサイダー」→ライブハウスで絹が観ている

フレンズ「NIGHT TOWN」→麦と絹が別れ話をする直前に行ったカラオケで熱唱

羊文学のライブ→麦と絹がファミレスで別れ話をしていた際、かつての2人が座っていた席を見つめると、初々しい男女・羽田さんと水埜さんが音楽の話をしており、その際に話題にあがる。

長谷川白紙→羽田さんと水埜さんの会話に出てくる

崎山蒼志→羽田さんと水埜さんの会話に出てくる。水埜さんはベイキャンプで崎山蒼志のライブを観た。

SMAP「たいせつ」→別れ話をした後のナレーションで言及。麦と絹はイヤホンでこの曲を聴いたらしい。

きのこ帝国の活動休止→別れ話をした後のナレーションで触れられる

菊地成孔の粋な夜電波→ 麦と絹が出会った頃に二人で話題にしていたが、別れ話をした後のナレーションで番組が終わった事に言及。


ちなみに唯一のお笑いネタとして、天竺鼠のライブチケットが出てくる。麦と絹が出会って間もない頃、2人ともチケットを持っていたのにライブに行かなかった事が発覚し、互いに未使用のチケットを見せ合っていた。
ちなみに映画のパンフには劇中と同じ天竺鼠のチケットが入っていた...!


大ヒットしてるど真ん中の恋愛映画でここまでポップカルチャーを扱ってる例ってあんまりないのでは。映画館の客層もあんまりコアな感じはしなかったし、ちゃんとマスに届いているからこそのヒットなわけですよね。

ポップカルチャーで繋がっていた2人の関係性が、ライフステージの変化と共に少しずつズレていくあたりはなんとも切なかった。逆にポップカルチャーでしか繋がっていなかったから、そこに対する向き合い方が変われば関係性も変わってしまうのは当然なのかも、と思ったりもした。

ただ、就職しても絵は描ける!と言っていた麦くんが結局は仕事に忙殺されてパズドラしかやる気にならなくなっていくあたりは、観ていてとても辛かった。現実にもありそうなだけに。

麦くんは社会性を獲得してある意味大人になったとも言えるのだけど、その表情が充実しているようには見えず、彼の感受性は徐々に死んでいったんだろうなと思う。

音楽や小説などから麦くんは沢山の事を吸収していたはずで、それが就職後の姿に全く活きていないように見えるのはちょっと哀しい。

そもそも麦くんにとってカルチャーは必要不可欠なものではなかったからこうなった、と見る向きもある。彼が獲得していったマッチョイズム的な仕事観において感受性はむしろ邪魔になっていってしまったのかも知れないけれど、それが就職から後天的に芽生えた価値観なのか、実は元々彼の中に眠っていたものなのか、それわからない。

ポップカルチャーは人生をサバイブしていくにあたって必要不可欠なものではない。無駄なものなのかも知れない。でも、だからこそいいのだ。無駄とは豊かさでもあるからだ。


自分は麦くんみたいには、あまりなりたくない。感受性と社会性を共存させる事を諦めたくない。

・・・と思ったけれど、そもそも自分、社会性なかった!

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