僕の細道(本編)17 羽黒山
オイラが最も好きな五重塔です。
国宝羽黒山五重塔(写真)
平安時代に平将門が建立したと伝えられる
東北の守り神。
出羽三山神社の参道脇に
なんの囲いもなく
ソンソンとそそり立つ古代杉に囲まれ
まるで地面から生えてきた巨木のように
ズッシッと静かに鎮座している様を初めて見た時は言葉を失いました。
こんな五重塔が世の中にあるのか?と驚愕したのを覚えています。
やたらきれいに整備し囲われた境内で見る五重塔とはまるで違い
自然の中におわします神々しさが私を圧倒します
仏塔ですので山の神々に守られた仏様という表現が正しいのでしょうか
その印象は今回も全く微動だにすることなく私を包み込む
森の霊気が辺り一面に立ち込める中にたたずんでいると
自分が杉木立の間を五重塔に添って昇華していくようです。
木が高すぎて空が遠い。
そしてこの五重塔だけではなくここの神社の参道が素晴らしい
参道入り口から奥の祭殿までゆっくり歩いて約1時間、
約2500段の石段を踏みながらの行程は
山の宇宙にいる心地ぞする。です
陸奥(みちのく)の奥は恐ろしく深く、神々の存在をほのめかされます。
私は山に分け入れば分け入る程、神々の存在を感じます。
しかもそれは森林限界を超えた高所の岩場ではなく
深い森の草木に覆われた山々です
緑が私達を守ってくれている。
そんな気がします。
地球の歴史上でも植物は大先輩です
太陽の光と雨の水だけで生き続けている超進化系の先達
人類は光合成の仕組みすら未だに解明出来ていないとか
科学という学問を手に入れた現代人は
自分たちだけが頭脳を持った優秀な存在だと勘違いしている
元々サイエンスは神の存在を立証するための学問であったことを忘れてはいけない
今では神を否定する存在と化している。
お米のDNAの情報量は人間のそれをはるかに凌駕するとか
間違ってはいけない、彼らの方が上手、どころかオイラ達を見守ってくれているのでは?
人類の先輩たちはそれを神という形で後世に伝えてきたのだ。
今朝の朝日新聞の「天声人語」に
一日で散る朝顔の花の寿命を遺伝子の組み換えで伸ばしたと記していた
科学はいったい何がしたいのか?オイラにゃチンプンカンプンだ
オイラが言うのもはばかりがあるが
クローンしかり、原子力しかり、STAP細胞しかり、余りにも短絡的に人類の欲望に迎合しすぎていないか?
学問はその根本理念をもう一度見直す時期に来ているのでは。。。
この地で、芭蕉が詠んだ句が
『ありがたや 雪をかほらす 南谷』 芭蕉
「ありがたや」は自然への敬意と受け取っています。
その芭蕉が敬愛した西行が伊勢神宮を訪れた時
五十鈴川の対岸から詠んだといわれる歌
『何事の おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる』
自然への畏怖と尊崇の念を忘れた時
僕たちは敗北する。
無精
⚠️この日記は10年前に書いたモノです。