つむちゃん
つむちゃんは会うたびに太ったり痩せたりしていた。
髪型も長かったり短かったり、服装も違う。
その時の仕事によって、手がボロボロに荒れていたり、綺麗にネイルが施されていたり。その振れ幅があまりにも極端だけど、病気やストレス、交際相手の影響ということもなさそうで、本人はいたってケロリとしている。どんな体格で会っても、式坂つむぎという人はいつでもほがらかで痩せている時でさえ気持ちいいくらいによく食べた。
私はそんなつむちゃんと食事をするのが大好きだった。
各地を転々としている8歳年上のつむちゃんと、一介の高校生の私がなぜ年に幾度か2人で会うのか。関係を聞かれたら知人と答える以外思いつかない。
友達、というのもちょっと違う。血縁はないけど親戚のお姉さんみたいな場所にいる人、というのが一番近いのかもしれない。
つむちゃんはもとは父の古い友人の娘さんということで、私が小さい時には家族ぐるみの付き合いをしていた。バーベキューをしたり、一緒に旅行したりもしたけど、つむちゃんのお父さんは3年前に癌で亡くなった。お母さんはお父さんを看取る少し前からうつ病になって、今はおばあちゃんが面倒を見ているらしい。
あの頃、なんて声をかければいいのかわからなかった私は、高校受験を理由に疎遠になってしまった。再会したのは1年後のこと、高校に合格した時に「お祝いにごちそうしてあげる」とつむちゃんから連絡がきて、私たちは時々2人で会うようになった。
最初に会った時、私は小学生でつむちゃんは高校生だった。おそろしく華奢で、なんて綺麗な人だろうと子どもながらに驚いた。歳が離れていたこともあって、つむちゃんは私の世界にやってきたお姫様だった。純粋に美しいものを目の当たりにした感動に近かったのかもしれない。
一面の花畑、満点の星空、テレビで見たサバンナの夕焼け、海面に反射する朝陽、北へ向かう渡り鳥の群れ。私のなかで彼女はそんなものたちと同列だった。
いろんなところでいろんな仕事をして、放浪するように暮らしている彼女の話は、いつでも面白かった。このころにはつむちゃんはもうお姫様ではなくて、どちらかというと冒険者のイメージに近かったのかもしれない。
「つむちゃんはさ、どんな格好しててもいつもすごく素敵だけど、毎回見た目がすごく違ってるのはなんでなの?」
代々木の秘境カフェで、私は長年疑問に思っていたことを口にした。
ここは店の名の通り秘境に行ったことのある、または秘境に行きたいと思っている人間のための会員制のカフェだった。
店内にはいたるところに植物が吊るされたり植えられたりして、その合隙間を埋めるように常連客からの土産と思われる木彫りの仮面や小さな密林のようになっていた。
別に秘境に興味のなさそうなつむちゃんはここの会員で、先ほどから頭にターバンを巻いたオーナーがこちらをを値踏みする目で見てくるあたり、彼女の生来の人たらしが爆発したのだろうと内心苦笑いした。
「その時いる場所に合わせて見た目を変えてるの。外見が馴染んでいれば、余所ものだろうが多少へんなことを言おうが人は安心するのよ。それにね、いろんな自分になるのは案外楽しいものよ、太っていてもね。」
彼女はそう言ってクリームパンのような手をぎゅっと丸めた。その白くて柔らかい手の甲に触れたい。
「そうなんだ。どんなつむちゃんでも、私は好きだよ。」
私はしばらく彼女の手元を見つめながら彼女の言葉の意味を考えていた。
ありのままの自分で。そんな歌が流行りに流行ったが、その真逆を行くような彼女はそれでも幸せそうだ。見た目を変えた程度では何もゆるがない、そんな彼女の強さがかっこよかった。
「じゃあ、もし私の傍にいてくれるとしたら、どんなつむちゃんになってる?」
いつからか気になっていたことを、私は思い切って聞いてみた。
なんかこれ、ちょっと告白みたいかな?と思わないでもなかった。でもまあいいか。
こんなことを知りたいと思う時点で、つむちゃんに惹かれているんだ。たぶんは人て会った時から。
「絹ちゃんの隣かぁ。想像つかないな。」
「つれないなぁ。もう少し考えてくれてもいいんじゃない?」
「そうだねぇ。8歳も離れてるから若作りしてるかもね。」
「えー、なにそれ。」
「だって、友達に見られたいでしょ。」
「ふふふ、そうなんだ。」
私は笑いながらアイスティーの氷を口の中でかみ砕いた。
そうやって言うってことは、つむちゃんにとって私はずっと友達の枠には入れてもらえないのだ。
がっかりするほど子供でもなく、受け流せるほど大人でもなく、私は黙ってカシャカシャとグラスをまわして小さな氷を鳴らしてつむちゃんから視線をそらした。
「つむちゃんのお友達ってどんな人なんだろう。」
つむちゃんはその質問には答えずにミルクレープを崩した。
「私ね、来月ニュージーランドに行くことにしたの。」
「え?海外?」
「そう。語学留学してみようと思って。」
「ニュージーランドかぁ、遠いね。」
漠然とした街のイメージのなかに、つむちゃんが歩いている姿を想像してみる。場所に合わせて見た目を変えるなら、ニュージーランドのつむちゃんはどんな姿になっていんだろう。
「いつ帰ってくるの?」
「貯金が尽きるまでかな。たぶん2年くらい。」
「2年も向こうにいたら、全然知らない人みたいになっちゃうんだろうな。」
あはは、と笑ってつむちゃんは否定も肯定もしなかった。
「絹ちゃんはさあ、大学入ったら彼氏作りなよ。」
「え、いきなりどうしたの?」
今までお互いそんな話を一度もしたことがなくて、私は戸惑った。
もしかしていきなり海外に行くなんて言い出したのも、つむちゃんに彼氏ができたからなのだろうか。なんて考えたけど、それはやっぱり違う気がした。
じっとつむちゃんを見つめた。アッシュグレイに染めたショートカットから見える耳の形が、綺麗だなと思った。
つむちゃんはいつでも、外からやってくる側の人だった。
少なくとも私はそういう認識でいて、だからこれから先会えるとしても、私たちがこれまですごした時間は今日で終わるのだと感じた。
なんで?とは聞けなかった。ただ、一人で勝手にそう決めてしまったつむちゃんに少し腹が立って、それからすごく寂しかった。
秘境カフェを出て、ぶらぶらと通りを歩いて、私たちは駅で別れた。
滲むように、まどろむように、夜がゆっくりと溶けだしてくるオレンジと紫の淡いのなかで、私はつむちゃんに抱き着いた。
「つむちゃん。あの時連絡できなくてごめんね。ずっと悪いと思ってたけど、つむちゃんがいつも通りに会ってくれたから甘えて言えなかった。」
それがいつのことなのか、つむちゃんは言わなくてもわかってくれたみたいだった。
「いいんだよ。私も絹ちゃんとこうやって会える時間は楽しかったし、いっぱい救われてたよ。」
「ほんとに?」
私は少しはつむちゃんの役に立てていたのかな。
応えるかわりに、つむちゃんは私をぎゅうと抱きしめ返してくれた。
「見送りはいかないね。」
きっと、つむちゃんのことを大好きな人たちが空港に集まるのだろう。私はその中に紛れたくなかった。
「うん、学校行ってる時間だと思うし。向こうについたら連絡するよ。」
「さよなら。」
全身全霊をこめて。
日本を出ていくつむちゃんと、終わってしまう小さな1つの世界と。
それから私の初恋に小さく手を振った。
その後の日常が劇的に変わることもなく、私は大学生になって今もつつがない毎日を送っている。
残念ながら彼氏はできていないけれど、なるべくたくさんの人に会うようにした。
どこかにつむちゃんの代わりになる人はいないかと、ずっと探しているけど、こちらも残念ながら見つらない。
後からお父さんに教えてもらった話によると、つむちゃんがニュージーランドにいく数か月前に、お母さんが亡くなっていたそうだ。
長いことよくならなくて入院も考えていた矢先に、ふらりと出かけたかと思うとそのまま帰らなくなってしまった。どこをどう歩いたのか、一週間後に隣県の用水路で発見されて、色々と大変だったらしい。
そんなそぶりをちっとも見せずに、私たちは秘境カフェなのにメニューは普通の喫茶店なんだね、なんてのんきに笑いあっていた。
話してくれればよかったのに。そう落ち込んだけど、別れ際の言葉を思い出してつむちゃんに必要なのは何も知らずにのんきに笑いあえる人だったのかもしれないと思うことにした。
つむちゃんはニュージーランドの水があってたのか、時々連絡をくれたけれどもう見た目が変わることはなかった。少し日焼けした肌に、黒い髪をおだんごにまとめあげて、華奢な体で笑っている。
もう、私の知っているつむちゃんじゃないみたいに。
一面の花畑、満点の星空、テレビで見たサバンナの夕焼け、海面に反射する朝陽、北へ向かう渡り鳥の群れ。そんなものとは別の、ただの一人の女の人になった。
良かった、と心の底から自分に言い聞かせる。
好きな人の幸せを祈れる人間でいたい、と思いながら。
ただ、あの頃のはっとするほど美しかったつむちゃんに、むしょうに会いたいと時々思う。
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