夕波

小説の欠片のようなもの、思い出の断片、伝えそびれた何か、日々の泡沫。そんなことを綴ってゆきます。

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最近の記事

ちゃんとしていないのがちゃんとした小学生男子、だと思いたい

「もーっ、ちゃんとして!」 となりでお弁当と食べていたママが可愛い声でそう言い、言われた本人は全く気にする様子もなく、床にこぼれたご飯粒をひょいぱくっと口に入れて「でへへ」と笑っていた。 キミ、そういうとこやぞ…と内心思いつつ我が子を見れば、おしゃべりに夢中になってお弁当がまったく減っていなかった。 (そして時間切れになり、お弁当を半分残し「もうあんたに二度と卵焼き作らないから!」と帰宅後私にキレられることになる。) 子どもの習い事の集まりで、小学生男子3人が集まってお昼

    • 映画「呪餐 悪魔の奴隷」と「シャイニング」について

      ※この記事はインスタグラムにあげたものに、少し書き加えてあります。 ずっと気になっていたインドネシアのホラー映画「呪餐」を観ました。 前作「悪魔の奴隷」は未見ですが、これだけでもめちゃめちゃ怖かった… 舞台は海沿いの平地にぽつんと一棟だけ建つ14階建てのアパートメント。 終末感がすごい。佇まいがすでに事故物件です。 水害の危険がある地域で、建物ごと国の所有になっているため 住んでるのは仕方なくここに流れ着いた人ばかり。 それぞれ事情を抱えて、陽のささないアパートで疲れた

      • 死んだ叔母

        思いもよらぬタイミングで、コロナに感染してしまった。 そういえば前回感染したのも6月で、誕生日を迎えてしばらくしてからだった。 熱が下がってもとにかくだるくて長い時間起きていられない。そんなわけですごく久しぶりに昼間から布団を敷いた。 へんな時間に爆睡したせいか、死んだ叔母が家を訪ねてくる夢をみた。 私たち夫婦が家を買ったので、母に誘われて八王子から見に来たのだと突然やってきた。 叔母は白地に黒い大きな柄が入ったマーメイドラインのワンピースに、白い女優帽といういつもの恰好

        • 子育てがしんどい時に効く映画(当社比)

          自分がやらかしたことではないけれど、親として頭を下げなければいけない時がある。 たとえば習い事で子供が2回連続で忘れものをしたり、ちゃんと練習できていなかった、とか。 学校に提出しなければいけない書類がランドセルの奥でぐちゃぐちゃになっていて、担任の先生から催促の電話がかかってきたり。 大きなものではマンションのガラスのドアを破損してしまったこともあった。 小学生にどこまで自己責任をもとめるかにもよるけれど、迷惑をかけている以上は確認を怠った保護監督者=母親のせいでもある。

          いつも私を追い立てる彼

          彼は寒くなる時期になるといつのまにかやってきて、無言のままいつも私を容赦なく追い立てた。私があわてふためく様を見ても、なんとも思っていないようだった。 彼がいる限り、心の休まる暇はない。 早くいなくなってほしいと思うのに、最後の一日だけはわずかな情がふるえて、ほんのすこしだけ彼との別れを寂しいと思ってしまう。 これが今生の別れというわけでもない。 どうせまた次の来訪で、心の余裕を少しずつ削り取られて疲弊するだけなのに。 彼が私に優しくしてくれることはない。いつもいつも、反

          いつも私を追い立てる彼

          朝5時に起きてハーブティーを飲む生活をした結果

          上の子が生まれてから早10年。 一日たりとも「一人になりたい」と思わなかった日はない気がする。 夫や実母の理解や協力を得て、これまでなんだかんだ一人時間を確保して生活してきた。 他者の気配を感じることなく、ただ誰にも会わず、誰の目を気にすることもなく、誰とも喋らない時間がないと心が死ぬのだ。 今年度からフルタイムではないものの、扶養を抜けてそこそこの時間働くようになった。 夕方、仕事から帰ったらすぐに洗濯物をとりこんで夕飯を作り、合間に子どもの宿題と習い事の練習に付き合った

          朝5時に起きてハーブティーを飲む生活をした結果

          面と向かって「つまんね。」と言われた高校時代のこと

          「つまんね。」 一瞬、目の前の女の子に何を言われたか分からなかった。 高校1年の、あれはいつ頃だったか。 クラスメイトのサミちゃんはそういって私の話を遮った。 中学校の卒業に合わせて熊本から引っ越し、千葉の高校へ入った私はその時素直に思った。 ーそうか、都会では面白い話じゃなければ聞いてもらえないのか、と。 八千代市は都会ではないし、都会だったとしてもそんなことはないのだが、九州から友達が一人もいない、完全アウェーへ足を踏み入れた私は、何も疑うことなくそのダメ出しを受け

          面と向かって「つまんね。」と言われた高校時代のこと

          Eテレお母さんあるあるを過ぎた片思い風に綴る

          いつから彼を知っていたのかと改めて聞かれると思い出せない。 何しろ10年近く昔のことで、気付いたら日常の中にその「青」はふと入りこんでいた。 笑っていない目と個性的な風貌にあっているような、あっていないようなのんびりと間延びした声は、日々バタバタと暮らしていた私にとって何をしていても耳に入るものだった。 あの頃。一定の距離を保ったまま、疲れきった私は家の中から長いこと彼を眺め暮らしてきた。 彼は私を知らない、この先会うこともない。 一方通行な信頼ではあったけれど、彼とその

          Eテレお母さんあるあるを過ぎた片思い風に綴る

          つむちゃん

          つむちゃんは会うたびに太ったり痩せたりしていた。 髪型も長かったり短かったり、服装も違う。 その時の仕事によって、手がボロボロに荒れていたり、綺麗にネイルが施されていたり。その振れ幅があまりにも極端だけど、病気やストレス、交際相手の影響ということもなさそうで、本人はいたってケロリとしている。どんな体格で会っても、式坂つむぎという人はいつでもほがらかで痩せている時でさえ気持ちいいくらいによく食べた。 私はそんなつむちゃんと食事をするのが大好きだった。 各地を転々としている8歳

          つむちゃん

          映画「LAMB/ラム」

          #映画感想文 (見た人向け、ネタバレありますご注意ください) アイスランドの辺境で、その生き物はアダと名付けられた。 羊飼いの夫婦が亡くした小さな娘から譲り受けたその名前は、漢字をあてると「徒」になると気付いたのは、映画を見終わってからのことだった。 山岳信仰とでもいうのだろうか。 日本の山には人間が立ち入ってはいけない場所があって、山でしか使わない忌み言葉があるそうだ。 山のこちら側が俗世だとしたら、あちら側は異界なのだろうか。 マリアとイングヴァル。子供を諦めざるを

          映画「LAMB/ラム」

          柔らかな沈殿

          誰にもわかってもらおうなんて思わない。 ありきたりにそう思っていた頃があった。 10代の、自意識を持て余して別人のように尖っていた、今よりうんと若かった頃。 本当は「わかるよ」って言って欲しかった。誰かひとりでいいから自分のことを理解してもらいたかった。でも、そんな人は現れなかった。 だからいろんな物語を読んではその中に同志を見つけた気持ちになったし、日記にいろんなことを書いた。 10代の頃つけていた日記は、私にとってどんなことも話せる信頼に足る友達だった。 転勤族で内向的

          柔らかな沈殿

          花の盛りが桜からハナミズキへとうつろう頃、わたしの耳には湖がすみつきはじめた。 一瞬を生き抜いたすべての桜が、人の世に別れをつげてひらひらとかろやかに舞い散っていくなか、心底乾いたかさりという音が、わたしの耳に訪れた。それが最初の邂逅だった。 水分を完全に失った、筋ばってかたい落葉がひとつ落ちたような音。 南へ下っていく長距離列車の始発ホームで、ある人を見送った午後のことだった。 それはもしかしたら冬眠を前に忙しなくあるきまわる甲虫がたてた音だったのかもしれないし、森の奥

          間違えた姉

          K市の暮林産婦人科で生まれた。 二十年前の春のことだ。 それから何度か引越しを繰り返し、7歳上の姉と両親の下で育った。 どこに住んでも、近くにかならず湖があった。 「水を間違えたらいけない。体に入れる水を選び間違えたら、こんなに惨めなことはない。」 母は姉がいないときに、よくそういって私に聞かせた。洗濯物を畳みながら、蜜柑の皮をむきながら、鍋の中身をかき混ぜながら、ことあるたびに水の大切さを説いた。 「お姉ちゃんがお腹にいた頃はね、お父さんの仕事も景気がよかったから山奥

          間違えた姉

          ミニマリストになりたかった

          (2018年末の日記より抜粋) 結婚してから約10年。 ずっと不要なものを手放したくて、いろんなものを捨ててきた。 拍車がかかったのは、3・11のあと。 計画停電で、炊飯器を使うのをやめて、鍋でごはん炊けばいいじゃん、と思って、ついでに古いコーヒーメーカーも捨てた。 比較的大きなものを一気に二つも手放して、気持ちがよかった。 そう、ものを捨てることは、私にとってこの上もない快楽だった 一説によると、人は他人から褒められた時にでる脳波と好きなことにお金を使った時にでる脳波

          ミニマリストになりたかった

          ナターシャ

          燃えるすみれ色に染まる廊下をたったひとりで歩いていました。 お祈りにむかうシスターの足取りを意識して、静かに静かに歩きました。 急ぎすぎても遅すぎてもいけません。 夕焼けが一番綺麗に校舎を染めあげる時間にそのドアをあけるのです。 すると階段下の掃除用具入れはひととき別の世界に繋がります。 「やあ、いらっしゃい。」 コーヒーと油絵の具の匂いでいっぱいの部屋の隅で、デデは今日も絵を描いていました。 もじゃもじゃの頭と髭にかこまれた顔は、いつも穏やかに笑っています。丸メガネをか

          ナターシャ

          前世症候群

          病院は住宅街のなかにひっそりと建っているふるいレンガ造りで、びっしりと蔦におおわれていた。 古めかしい看板がなければ、画廊か純喫茶だと思って入る人がいるかもしれない。 風邪をひいても、近くにあるからちょっと行ってみよう、とは決して思わないたたずまいだった。 休みの日に電車に乗ってここまで来た。 ここを訪れるのは私のようにわざわざ来る人だけのような気がした。 木製の重たいドアをあけて中にはいると、思いのほか事務的で驚いた。 床はリノリウム、黒い待合ソファとつるつるとした茶色の

          前世症候群