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宮沢賢治は鈍い。それは彼の武器だった。 これまで宮沢賢治は、その作品群が無数の観点から読解されてきた。のみならず、遺された膨大なテクストは後世の人々の創造の源泉となり、あらゆる芸術ジャンルで派生作品が創られている。 彼に匹敵するほどのフォロワーを生み出せた作家は世界規模でも例がほぼ見当たらず、わずかにアメリカのエドガー・アラン・ポーが思い浮かぶだけだ。 しかしそれは、彼が時代のなかで先進的であろうとしたからではなかった。反対に古くあろうとしたのでもなかった。 宮沢
部屋の灯りを点ける時、その瞬間にだけ、見たこともない景色が出現する。 毎日眺め、眼をつぶっても暮らせるほど馴染みがあるのに、その瞬間だけは、子供の頃に一度だけ足を踏み入れたような気がする夜の遊園地、夜の砂漠の上をゆく郵便機の出発時刻を待つ飛行士の待合室、いわく付きの古酒たちが秘された城塞の地下室を目撃する。 それはピカソ的分解、ベーコン的歪曲、モネ的融解、セガンティーニ的輪郭、ルドン的陰影、ルソー的温度、デ・キリコ的遠近法であり、その一瞬を、私たちは追い求めているのだ、
液体の芸術があります。 最初のひと口を舌の上に広げると、味蕾を騒がせ、頬の横で踊り、香りの波は、先ほどまでの過去を蜃気楼にしてしまう、そんな液体です。 秋の香気が心を羽ばたかせる午後のココア、冬の冷たさが極まった夜のホットワイン、春が最初にやってきた日の珈琲…… では、夏には何を? 何を選びましょうか。 梅雨の真ん中の憂鬱をライムの果皮で吹き飛ばすジントニック? 真昼の海辺のブルーソーダ? 長い夜の始まりへ誘う強いシェリー酒? 横井まい子が手がけるメイン・
私がホイップクリームを好むのには、理由があるはずです。 その色はいつだって向こう側を見せない100%の不透明な白であること、無定型な形であることが魅力なのに必ず綺麗な曲面をしていること。 それは、秘密を決して口外しない、信頼のおける親友の印象と共通しています。 一枚の絵に味があるとしたら、どんな味であるか……子供の頃、絵画を目にするたびに想像していました。 今まさにお茶が注がれようとしている、野村直子「菫色のお客日」は、心がほどける瞬間、デザートのひと口目の予感
人類の歴史は、植物利用の歴史でした。 食用利用は言うに及ばず、ヒトは植物で建物を作り、楽器を作り、紙を作り、船を作ったのでした。 今日でもボタニカル柄がスタンダードな模様であるのは、植物の効能と、そこに感じられる謎への畏敬の感情に由来するのかもしれません。 人が植物を描くとき、そこには、植物への感情が少なからず反映されることでしょう。 くるはらきみ「My Dearest」には、画家ヤン・ファン・エイクの代表作を思わせる構図のもと、部屋の中でハーブに囲まれる男女が描
文化を広く見渡すと、物事にはいくつかの基本的な属性があることに気が付きます。 そのひとつに「夜」の属性があります。 深い思索、記憶との対話といった話題が語られる時、夜と結びつけられやすいのは、日が沈んだ後の時間にそれらが始まりやすいという経験からでしょう。 くるはらきみ「メランコリーシスル」では、夜空の下に立つ女性が、周りのアザミの花と同じ幻惑的な色のドレスを見に纏い、スカート部には夜空から摘み取ったように星々が輝いています。 メランコリーシスルはスコットラン
所有──それは、世界が放つ光を手のひらに受けて掴み、世界の陰で手を開き、自らの世界を創り出し、そこに自らを棲まわせるための技法だ。 19世紀の終わり頃から20世紀前半まで、主に欧米の煙草のパッケージに宣伝用のカードが封入されることがあった。こうしたシガレットカードはコレクションの対象となった。 そしてカードとは、古代から、宇宙を断片的に所有するための道具だった。 このたび発表されたruffのイラストシリーズは、ruff(シガレットカード)×川野芽生(掌篇)×Du Ve