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コロナ禍ストイックヨッパライ文学

まさかの2日連続投稿…。これは我ながらすごいとしか言いようがない。正しく天才の所業である。
突然突拍子もない出だしから始まったが、それもそのはず。私は今、割と酔っ払っているのである。…いや昨日のうどんを神と崇めたアレも割と酔っていたのだが。
というのも今この文章を書いているのは、家の近所の公園であるのだ。家の近所で赤麒麟を飲みながら大学時代のジャージを着てブルートゥースキーボードで文章を打っている人間……それはまぎれもなく私さ。

ここ何ヶ月か、お酒大好き人間にとっては苦境に立たされているといってもいい。まん延防止措置から緊急事態宣言に及ぶまでの間、酒飲みは美味しく飲めるお店を失い、誰かと外で飲めば冷たい目で見られる。そんな環境に置かれている。確かに誰かとお酒を飲むことはコニュニケーションのとれる人間にとって楽しいことだし何なら3大欲求につぐものだと思っていい。私だって気の合う人と飲むお酒は楽しい。話が弾めば何時間だっていられる。
しかしながらこういうご時世において、今の私に限っては大丈夫だと言ってもいい。なにせ一人だ。アラサーにもなって大学時代のジャージを来て、ひとりソーシャルディスタンスの整いすぎているベンチに座り、物理キーボードを打ってnoteをうっている。ちょっと離れたところで飲み会しているグループもあるが私にとっては些末以下の問題である。
オールオッケー、モーマンタイ。
向こうのグループはジャージの女がひとりでキーボードを酒を飲みながらカタカタさせてると思っていても不思議ではない。奇異な目で見られる行動をしていることも承知している。だが、今日の仕事で割と大きいミスを犯して抑うつ頭ぐるぐる状態であった人間には一切関係ない。会社員の数少ない5連休をフルで楽しむためには今のうちにストレス解消していく必要もあるのだ。

……ここまで書いて、意外と楽しいことに気づく。以前は抑うつ状態になったときにはグルグルした頭を抱えながら酒を呑み、ひとり抱えていたものだが。よくあるマインドフルネス法として、今の自分の気持ちを紙に書くという手段あるのは知っていたのだが、自分にとって何より苦痛であること、何も産まない苦行であると思っていた。
自分のことが苦行であるならば、こんな何も関係のない怪文章こそが正解であることに気づく。ただ、キーボードを叩いて何も変哲もないことを文字に打ち出すことでいいということに、リアルタイムに感じていく。後々恥ずかしくなってもいいのだ。何せこの投稿を見なければいいのだから。

ネガティブなことを書かなくてもいい。自分の気持ちを吐き出さなくてもいい。ただ、その時思ったことを手元の鍵盤にたたくだけでいい。
……そう思ったら、割と自分、自ら思っているより単純な人間なのではと思いはじめていた。

ところで、アルコールに利尿作用があるのはどうにかしたほうがいいと思う。
byくそったれ酒飲みアラサー人間

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