瀬尾まいこ『そんなときは書店にどうぞ』|第十二回 極悪人はどこに?
なぜ、なぜ、なーぜの向こう側
ここ数年、執筆をする前、編集者の方とお話をすることがあります。
「好きに書いてください」と言ってくださる方がほとんどですが(それが一番好き! みなさんそうお申し付けください)、テーマみたいなものをさりげなくいただくこともあります。
ところが、テーマどおりに書けたこと一度もないんですよね。(え……。才能なさすぎ?)
「瀬尾さんの小説、いつも若い人が出てくるので、たまにはおじさんが主役の話、書きませんか?」
その結果できたのが、『その扉をたたく音』。
主人公は20代だけど、そのうちおじさんになる男子だから、まあクリアと言っていいでしょう。
「温かいママ友の交流の話って、どうでしょう。ママ友って一番助け合える友達だと思うんで」
その結果、書き上げたのが「夏の体温」。
ママ友は出てこないけど、友達の話だから、これもクリアと言えるでしょう。
って、私のハードル低すぎや。
この、「夏の体温」は、私の娘の実体験から生まれた小説です。
娘、低身長&鼠経(そけい)ヘルニアで4回入院してるんです。
小児病棟って、本当にしんどい空間。
我が子に限らず、子どもが苦しむ姿って本当につらいです。
ただ、入院中でも子どもって、何か楽しみを見つけようとするんですよね。
娘も、娘よりもしんどそうな子も制限だらけの中で、一生懸命楽しもうとしていて。
その姿に胸をうたれ、この物語につながりました。
今も娘は低身長の治療中で、家で注射を打つんですが、痛みに我慢できない時があると、「注射打たないといけないの、なぜ、なぜ、なーぜなの?」とか、「私が小さいの、なぜ、なぜ、なーぜなの?」と言って、泣くんです。
「痛いー!」と泣けばいいのに、「なぜ、なぜ、なーぜなの?」って変なリズムで、どこかおもしろくしたいのかもしれません。
注射する側の私はびびってるし、誰も笑ってないですけど。
娘には、「小さいといつまでも抱っこできるやん。そうしたいから神様に頼んでん。もう少しの間小さくしといてって」と言ってあります。
「なるほど。それ、いいアイデアやな」と納得する娘、現在小学4年生。
背よりも中身成長してくれな、ちょっと心配や。
善人のハードル
そして、『夏の体温』の本に含まれる2つ目の話が、「魅惑の極悪人ファイル」です。
私、インタビューで90%の確率で、「瀬尾さんの物語、いい人しか出てこないのですが、どうしてですか?」って聞かれるんです。
特に意識してるわけじゃなく、世の中意地悪な人もいるだろうけど、その人も朝から晩まで意地悪してはるわけないやろうし、怒りっぽい人や威張ってる人は苦手ですけど、それでも、騒ぐほどの悪人でもないですよね。
と、そんな感じのお答えをしても「えーそうですかー。それでも、物語の中、善人だらけですね」ってなるんです。
というか、インタビュアーの方の周り、どんなひどい人だらけなんや。
善人のハードル低くない? よく考えたら、気の毒になってきたわ。
そこで、もうそんな質問にさよならしなくては。
私もついに悪い人間を書いてみせると意気込んで書いたのが、「魅惑の極悪人ファイル」です。
「瀬尾さんの作品善人だらけ」と言われると、「お前、世間知らずの偽善者やな」と言われている気になるんです。
何もいいことしてないから、私、善人どころか偽善者ですらないのに、勘違いもほどほどにしてほしいわ。
だから、やる気満々で悪者を書きました。
友達の彼女にこっそり近づくうえに、人のものを借りてはくすねる倉橋君という腹黒男を。
身近にある悪を詰め込んで、努力したのですが、倉橋君、人間を好きなところがあって、悪人になり切れなかったみたいで、残念でした。
カ行とマ行の位置関係
そして、この本の最後に掲載されている「花曇りの向こう」は教科書用に書き下ろしたものです。
短い作品ですが、教科書に載るということでチェックがとても厳しかったです。
教科書は読みたい人だけが読むものじゃなく、たくさんの方の目に触れるので、慎重に作られるそうです。
些細な言葉でも使用禁止のものが多く、誰の気分も害さないようにと考えると、表現の難しさを知りました。
掲載後、教科書会社さんを通じて、この作品で授業をされた先生から質問をいただいたことがあったのですが、それが、「入学後すぐは出席番号順に座ると思うのですが、中学1年生の4月、川口君と宮下君の席が隣なのはなぜですか」という内容。
確かに。出席番号順で、カ行とマ行の名前が隣になることはないかも。
知らない間にミステリー書いてたとは。
謎解きをすべく考えてみました。
カ行とマ行の名前の生徒がほぼおらず、ヤ行の名前の生徒で成り立つクラスだった。
山下、山本、湯川、吉沢、吉田……めっちゃいる!
だけど、ちょっと無理あるか。
教室の形が縦長で縦三列で机を並べているクラスだ。
……教室の大きさって決まってるわな。
考えに考えぬいて、ひらめきました!
席って一度決めた後、背の高さとか、黒板の見やすさで、調整しますよね。それです。
なんか、背が高い子がいたり、視力悪い子がいたりで席を替わっているうちにこんな席になったんですと答えを導き出してお伝えし、事なきをえました。
中学校で働いててよかったわ。
この本が出版された後、結局、「やっぱり瀬尾さんが書くと、どんな人も善人になるんですね」とインタビューで言われました。
倉橋君が悪人になりきらなかったせいで、踏んだり蹴ったりです。
これはいつか、ガハガハ笑いながら営業中にクレープ店に寄り道し、そのくせ純真な田舎者の作家に横浜の空気を吸わせない、身の毛もよだつ残虐な人間を書くしかないです。
でも、カルカン先輩、根っから愉快な人で、こっちの緊張や不安を一瞬で取っ払う能力を持ち、一緒にいるだけで楽しくなってしまう人なんです。
やっぱり、彼にも無理か……。
悪人に会わずに済んでいるのは幸運だと思い、執筆に向かうしかなさそうです。
瀬尾まいこ(せお・まいこ)
一九七四年、大阪府生まれ。大谷女子大学文学部国文学科卒。二〇〇一年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年、単行本『卵の緒』で作家デビュー。二〇〇五年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、二〇〇八年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、二〇一九年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞した。他の作品に『図書館の神様』『強運の持ち主』『優しい音楽』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『君が夏を走らせる』『傑作はまだ』『夜明けのすべて』『私たちの世代は』など多数。