運命、そして出会い Life goes on.
「あなたの人生に起きるすべての出来事は、生まれた時から死の瞬間まで、運命によって詳細に決められている」と言われたら、あなたはどう感じるでしょうか?
与えられた台本を読んでいる舞台役者のような存在なのに、自分が台本通りに演技をしている実感すら持っていない「無意識状態」で日々を生きているのだと知らされたら、そんな話を素直に受け入れられるでしょうか?
ほとんどの人はそのような思想自体に激しい嫌悪感を覚えるでしょうし、中には「命の尊厳」とか「自由意思の重要性」について私に長々と説教してくださる方もいるかもしれません。それは人間としてとても真っ当な反応ですし、かつての私もそちら側の人間でした。
でも、あなたという人間がこの世に生まれて来ること自体が「遥か数千年前から計画されていた決定事項だった」ということを客観的に証明する証拠があるんです。その証拠を見せつけられた後でも、あなたはまだ「人間の人生とは、まだ何も描かれていない真っ白いキャンバスのようなものだ」と私に抗弁できるでしょうか?
以前の記事でもお話ししましたが、あなたという人間がこの世に生まれたのは、数々の偶然の積み重ねによって発生した「奇跡」のようなものなんです。確率論的に言えば、あなたという人間が生まれる可能性は「ほぼ0」と言ってもいいほど低い確率しかなかったはずですよね?でもあなたは確かに「今、ここ」にいます。
そもそも、両親が出会って恋に落ちなければ、あなたはこの世に生まれて来ないわけですよね?あなたの両親はどうやって出会いました?恋愛?お見合い?それとも同じ学校の同級生同士だった?
いずれにしても、二人が出会って結婚するまでにはさまざまな人間ドラマがあって、そこに至るまで多くの心理的葛藤も体験したはずです。恋愛結婚であれば、恋人時代に相当ケンカもしたでしょうね。途中で別れていても不思議ではありません。
少なくとも「両親のどちらかが別の人と結婚してしまっていた危険性」は充分にあったと思います。もちろん、そうなればあなたは生まれません。
この問題をテーマにした映画が「バックトゥザフューチャー」なんですね。
高校時代の両親がダンスパーティーに参加しなければその後のお付き合いが始まらないので、未来からタイムマシンでやって来た息子のマーティーの存在が「消えてしまう」という危険がありました。だからマーティーは何とか二人を付き合わせようと奮闘するわけですが、マーティーの母親にちょっかいを出していた不良のビフがそれを何度も妨害して来ます。
あの映画を見ていると、自分という存在がいかに「危ういもの」であるかが実感できますね。
しかし、自分の存在を確定させてくれた恩人は両親ばかりではありません。
祖父母の時代まで拡大すれば4人、さらにその上の世代なら8人、16人、32人・・・と倍々で増えて行くわけですが、このうちのたった一人でも「別の人生の選択」をしていれば、当然のことながらあなたはこの世に生まれて来られないのです。
それ以前の問題として、直系のご先祖様の誰かが子どもをもうける前に戦争や病気で死んでいたとしても、やはりあなたに遺伝子をつなぐことはできませんでした。一昔前までは、子どもの死亡率が異常に高かったですから、7歳まで無事に育つこと自体がとても大変なことだったんです。その時代の名残が現在の「七五三のお祝い」なんですね。
ご先祖様全員が「正しい配偶者の選択」をし、少なくとも子どもを出産するまでは「健康体」でいたからこそ、今のあなたという人間が存在していられるということです。
私たちがこの世に生まれて来るために直接的に必要なご先祖様の数は、10代前までの人数をすべて足すと2046人となり、20代前まで遡って合計すると200万人を突破し、30代前までの先祖の人数をすべて合計すると21億4000万人にも達します。今の中国の人口よりも多いですね(笑)。
このうちのたった一人でも「違う相手」を配偶者に選んでいたら、やはりあなたは生まれないわけです。そうですよね?
「それは単なる結果論であって、私とは違う別の誰かがこの世に生まれていただけの話だ」という反論は至極当然です。確かにご先祖様が違う選択をし、別の組み合わせの遺伝子を後世につないでいたとしても、誰もそれを「不自然なことだ」とは思わないでしょう。マーティーみたいに「未来からやって来た少年」でもない限りは誰も「選択の間違い」に気がつきません。
しかし、あなたの誕生が「事前に予測されていた」となれば話は大きく変わって来ます。
マーティーのように「未来の結果をすでに知っている人間」から見れば、すべての人間が「完璧に正しい配偶者を選んでいる」ことが理解できるのではないでしょうか?
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