渦中を抜けたら一気にしんどくなったというお話

今日は機能不全家族を出て一人暮らしを初めてからのお話をしたいと思います。
それまでのお話は以下のnoteを参照ください。
https://note.com/suimituto_00/n/ndeaf13df2f39

さて、大学進学して家を出て一人暮らしを始めたのですが、初めの2ヶ月くらいは新生活の緊張感や機能不全家族からの解放感で普通に生活していましたが、緊張がほぐれるとともに小学生のころから感じていた解離症状が再び悪化し始めます。
また、フラッシュバックも頻繁に起こるようになりました。
それでも何とか前期は持ちこたえて大学生活を送っていましたが、夏休みに唯一の味方であった父方の祖父が危篤状態になり、帰省しろと言われていたこともあって実家に一時戻ることになりました。
その時のことは、何があったのかよく覚えていません。
でもそれをきっかけにぼくは一気に体調を崩して行きました。

離人感や解離性昏迷で身体が動かず、授業に出席できない日が続きました。
動けないためトイレにも行けず水分も自力で取れず、脱水症状を起こしたことも一度や二度ではありません。
また遁走が度々起こり、気づいたら真夜中知らない林の中にいたり、台風の中外をさまよっていたりしました。
人格交代も激しく攻撃的な人格や自傷、自殺企図をするような人格も出ていたようで、気づくと血まみれだったり首に紐の後が残っていたりということもありました。

そんな訳の分からない毎日の中で、「ああ、これが渦中を抜けるということか」とぼんやり思ったことを覚えています。
物理的な虐待サバイバルが終わってもう耐えなくて良くなったら、それまで堪えていたものが全部一気に流れ出したんですね。

それからいつ死んでもおかしくない毎日が続いて、ぼくは休学して入院することになりました。
入院当初2週間を保護室で過ごしました。
真っ白な壁の、監視カメラとトイレとダンボールの机と薄っぺらい敷布団があるだけの鍵のかかった部屋です。小さな四角い窓から時折とおる看護師さんを眺めていました。
自分の意思で部屋から出られない状況には慣れていたので苦痛ではありませんでした。
でも毎晩子供人格に代わっては帰りたいと泣いていたようです。
症状が落ち着くとともに一般の閉鎖病棟に移されました。そこからは毎日暇で長かったです。
入院中に母親と何度か面談させられたけれど、面談の度に拒絶反応で泣きわめいて解離してを繰り返しました。それなのに母親からはネグレクトされてきたことを謝られもせず自分の子育ては間違ってないのに水蜜桃に拒絶されて傷ついたと言われ、担当看護師さんからはお母さんもがんばってるから水蜜桃さんもがんばろうとか言われたのでなんだかなぁと思いました。
そして全3ヶ月の入院生活を終え、退院しました。

今日はここまでにします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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