解離性障害について①〜離人感・現実消失感編〜

解離性障害って聞いた事ありますか?
多分無いって方が多いんじゃないかと思います。ぼくも高校時代に行った心療内科で医者から聞くまで知らない単語でした。
でも、多重人格という言葉なら聞いたことある方が多いかもしれませんね。実はこの症状も解離性障害の一種です。
今日はぼくの例を挙げつつ解離性障害についてお話したいと思います。

まず、解離という現象についてです。
言葉自体を知らなくても、これは体験したことのある人が多い現象だと思います。
具体的な例を上げてみると、例えば退屈な授業でみる白昼夢(ぼーっとしてたらいつの間にか授業が進んでいたっていうアレ)なんかが健康的な解離の一種です。
そして、解離性障害とは健康的な範囲で収まらなくなってしまった解離現象が現れて生活に支障を来たしてしまう障害のことです。
ひと口に解離性障害といっても様々な症状がありますから、回を追って例を挙げつつひとつずつ紹介していきます。

一つ目は、離人感、現実消失感です。
字面をみて想像できるでしょうか?
まずは教科書的な説明を見てみましょう。

離人感とは自分を外から眺めているような奇妙な離脱感のこと。
現実消失感とは現実が夢を見ているように感じられるなど、自分が外界から切り離されているように感じること。
多くは現実検討能力が保たれながら感じられる普通の出来事であり生活に支障はないが、これらが持続的、反復的に感じられるようになり本人が苦痛を感じたり生活に支障を来たしたりした場合障害として扱われる。

これだけ聞くと、わかったようなわからないような、という感じですね。笑
では今からぼくがこれらを感じる時の感覚について説明を試みてみます。

その前にまず、普段の離人感・現実消失感を感じていない状態の比喩として、薄いボディースーツを着ている状態を挙げます。
生地がとても薄く身体に密着している為、自分の肌とボディースーツの境が意識されないほどです。
ここで誤解を防ぐ為に明記しておくべきことは、これが自分の生身の身体とその外側に身につけているもの(ここではボディースーツ)との距離という点においてのみの比喩である、ということです。そのボディースーツの性能とか着心地とかは一切関係ありません。

次に、離人感・現実消失感を感じる時の比喩として、このボディースーツがきぐるみ(遊園地で風船を配っているアレ)に変化した状態を挙げます。より正確に書くとすれば、そのきぐるみは「ぼく」の形をしたものです。
この状態になると、自分と外側のきぐるみとのスキマが意識されるようになります【=外と自分が離れちゃう感じ】。
この時初めて「内側」という概念が生じます。
外を見る為には目の穴を通してわざわざ「覗か」なくてはいけない【=外が遠い】。動きやすさもボディースーツと比べて格段に劣ります【=うまく身体が動かない】。

と、このようにぼくの場合は離人感・現実消失感と体の動かしにくさ(身体症状)がセットになっていることが多いです。
ぼくが離人感・現実消失感を1番感覚的な言葉で表すとしたら「遠い」です。
これは同じ解離性障害でこの症状がある人でも人によって感覚が違うと思うので、機会があれば他の方の感覚も聞いてみたいですね。

それから、他の身体感覚については自分の体の一部(手や足であることが多い)が巨大化していく感覚になることが離人感・現実消失感とセットになることもあります。
これもそういう感覚があることがあるか他の同じ症状のある方に聞いてみたいですね。

では今日のところはこれでおしまいです。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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