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記憶を共有できない苦しみ/映画「恋はデジャ・ヴ」感想


 朝6時。目が覚める。ラジオから音楽が流れる。昨日と同じ音楽だ。音楽のあとには昨日と同じ会話が繰り広げられる。違和感を覚えながらカーテンをめくり、窓ごしに外を見る。街が騒がしい。昨日終わったはずの、年に一度のお祭りに皆が浮かれている。
 「昨日」が再びはじまっていた。フィルはある1日から抜け出せなくなってしまったのだ。自分以外の人は何も気づかないようすで、その日を送っている。まるで自分だけが、「昨日」のなかにそのまま連れてこられたみたいだ。

 フィルは何度も何度も同じ日を繰り返す。何をしても日が進むことはないのだから、眠りにつけば元通り。罪悪感もない。失敗してもやり直せばいい。悪事を働いても1日たてば誰にも咎められない。どんなに親密になっても、1日たてばもとの関係に戻ってしまう。

 1日はフィル次第で何通りもの過ごしかたができる。箱の外側が一緒なだけで、中身は全然違う。そうやって考えると別に苦しくない。中身はある程度、自分の好きなように変えられるのだから飽きることもない。
 それでも繰返しが嫌になってしまうのは、自分以外の人と記憶を共有できないから? その記憶が好きな人との楽しい時間だったら、なお嫌かも。自分のなかにだけ、その人への思いは積み重なる。たとえ1日で自分のことを好きにさせることができても、1日しか記憶は残らない。自分ばかりが相手の色んなすがたを見る。そうしてどんどん惹かれていく。日が進まないのだから、思いばかりが募ってまったく進展がない。次の日に約束をしても、その約束は絶対に果たされることはない。

 人よりたくさん時間があれば、いろんなことができるのに! と考えたことはあるけれど、同じ1日を何度も繰り返すのはどうだろう。最初はフィルのように、自分だけという特別感に浸っていろんな1日を、楽しみながら過ごすかもしれない。だけど記憶が共有できない苦しみをどんどん実感してつらくなりそう。自分の記憶だけが蓄積されていく。頭のなかにぱんぱんに詰め込まれた記憶は、そこにしか存在しない。自分の頭だけがずしりずしりと重たくなっていく。頭のなかは周囲とは孤立した世界で、その頭の持ち主である自分自身も孤立しているように感じてしまって、自分は世界でひとりぼっちな気さえしてきそうだ。

 最後にフィルは「昨日」から抜け出して、好きな人と「明日」の朝に目を覚ます。
「昨日」から抜け出した喜び。それ以上に、その喜びを隣で分かち合ってくれる人がいることが何よりも喜ばしい。

「恋はデジャ・ヴ」Netflix

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