#111女性の名前、流行り・廃り
先だって、「史料に見える女性の名前」ということで、女性の名前についてのお話を書きました。今回も近世の女性の名前についてのお話です。
一般的に近世の女性の名前の最初に「お」をつけることをよく聞かれるかと思います。「史料に見える女性の名前」でも、坂本龍馬の姉・乙女は、実際には「とめ」さんで、名前の一番最初に「お」を付けることで「おとめ」となっており、漢字表記でよく見る「乙女」と書いてしまうと、音としては「おと」+「め」というつながりになりますが、接頭語としての「お」がついているということで、「お」+「とめ」という音に別れます。
その接頭語としての「お」ですが、宮中で使われていた「女房言葉」に発祥であるとのことです。「お」を接頭語として使う言葉は現代でも「お菓子」、「お水」などの丁寧語として定着しています。宮中の女房達に使われていた「女房言葉」が一般社会にも伝わることで、庶民も宮中的な言葉遣いにすることにより、当時は、おしゃれ、モダンと感じられ、広く流布したと言えるでしょう。そのことにより「おみつ」、「おみか」などのような、女性の名前にも接頭語としての「お」を付けることが流行したようです。
のちに、明治時代になって、新たなトレンドとして「子」を付けることが流行します。「子」にも上流階級的な、おしゃれな、モダンなイメージが持たれていたようです。
そのことを踏まえたうえで、次の写真をご覧ください。
この史料は、年紀が記載されておりませんでしたが、近世後期の史料になります。ここには「お民子様」との記載があります。「お」と「子」の、名前に関する流行を両方とも活用したものです。「お民子」と表記して「おみね」と読む可能性もありましたが、別な史料で「民」と記したものがあったので、本来は「たみ」さんであることが判ります。
また、その他に女性の名前で頻出するものに「〇〇女」と記す場合があります。概ね庶民の女性の名前で後ろに「女」がつく例が多かったようです。偶然ですが、上記写真の史料の差出人が下記の写真の通り、「りう女」と記載されています。
この史料には、「お」、「子」、「女」の三つともが記載されています。それぞれの流行り廃りの時期に近世後期が当たっていたために、「お」、「子」、「女」の三つが、まさに全部盛りの状態でこの史料に記載されていたということは、近世後期がそれぞれの「名前の表記の仕方」の過渡期であったのだろうと類推できます。女性の名前を大量に集めて分析している状態ではありませんので、軽々なことは言えませんが、この後に「子」を末尾に付ける名前が一般的となり、それが戦後まで続いていくのでしょう。戦後の名前の変遷については、北川敬子「女性の名前の変遷―比治山女子短大生を中心に―」(『Tamayura』26、1994年12月)という、一つの大学の中での統計を分析したものではありますが、非常に興味深い論文があります。
ここでは、戦後に「子」のつく名前が広く流布し、平成の頃に向かって減少傾向を示し、代わって「カ」「ミ」「ナ」「リ」といった文字が最後に使用される「止め字」とこの論文で表される名前に変化していくとされています。止め字を使用した例として、「みか」や「なみ」、「なな」、「かおり」などがこれに当たります。身の回りでも、確かに近年「子」のつく名前に出くわすことが少なくなっているように感じるので、この傾向はあるといえるでしょう。
たくさんのデータを集めて分析する必要があるため、なかな難しいことですが、引き続き史料上でどのような名前が出てくるかを注視していきたいと思います。