#057黒船と米価と病-続・昔の人は現代人より愚かなのか
前回は、当時の人たちは現代人よりも迷信深くて愚かだったのか、という観点から、明治時代のコレラ対応の話をご紹介しました。
今回は幕末の動向の中から経済的な観点について見ていきたいと思います。
今回題材にするのは、以前に古文書調査でかかわった大阪の木綿商の史料に出てきたお話です。以前に「Important study achievements_008 ”Kawachi Momen, history and document"」でもご紹介した史料群ですので、抜刷の方からどんな史料群であったのかをご確認いただけますので、ご興味のある方はそちらもどうぞ。
さて、時は幕末、嘉永七年(一八五四)の秋、紀州(現在の和歌山県)沖に異国船の姿が見えます。のちに日露和親条約を結ぶロシアのプチャーチンのディアナ号が幕府と条約締結交渉を行うために来航しました。その時、紀州の一商人から大阪の木綿商へ宛てて書状が書かれます。紀州沖にいついつ黒船が見え、大阪方面に向かっている様子だ、と。この書状には書かれた日付とともに時刻も書かれています。このように時刻が書かれてあることを「刻付け」と言います。書状の書かれた時刻を記すことで、その書状が届いた際のタイムラグを相手に伝え、同時に緊急を要する内容であることを伝えます。その後、続けて和歌山からの手紙が続き、異国船は進路を大阪方面に進めていること、さらに現在の紀伊水道に侵入したこと、などを刻々と知らせてきます。
なぜ紀州や大阪の商人が異国船の動向を注視しているのか?商人は直接異国船と外交交渉をするわけでもなければ、戦争になっても武士ではないので動員もされるわけではないのに、このような動向が気になるのか?これには商いの内容が関わってきます。というのも、商人たちは、これまでの経験で、異国船が来航すると、大阪の堂島で行っている米相場の値段が上がるということを知っているからです。ペリー来航以前の江戸時代後期から日本近海に異国船が現れるようになると、各藩の武士たちが沿岸防備のために動員されるという事態がたびたび発生します。すると、その沿岸防備の場所で武士が滞在しますので、いわゆる兵粮米、食糧が必要になります。この兵粮米は、通常の生活の中では必要としないもので、緊急時に必要となる物のため、普段消費される以上に米が必要となります。そのため、通常以上に各藩が米を買い入れ、市場に流通している米が不足し、米価が高騰する、となります。堂島で売買されている米の値段が上がることで、何が起こるかというと、大阪の各種商人たちは本業の木綿の売買やそのほかの商品の売買のみを常時行っているわけではなく、ある程度資本が蓄積されると土地を購入して小作人に米を作付けさせる、あるいは別な商品を投機対象として売買するということで、本業で赤字を出しても何とかカバーできるように多角的な経営を行うようになっていきます。その中で最も多いのが土地を購入して小作人に米を生産させる、あるいは堂島の米相場で投機対象として米を売買する、ということです。村の庄屋や大阪の商人の史料を調査していると、その多くから堂島の米相場の価格表が出てきます。米を扱う商人の家でなくてもです。これらは当時の庄屋層や商人たちがより多角的な経営をして家を安定させるために、米を投機対象の品物として扱っていたことの表れと言えます。この相場表を見て、収穫された小作米を最も高値で売却し、また安値の時に米を買い入れて高値の時に売却する。このようにすることで、効率的に収益を上げることが日常から行われていました。
そうすると、普段ですと、一般的には収穫前の時期には最も高値になる傾向にあるのに、黒船が来たことで違った時期に価格が変動する、ということが起こり、売買する機会を見誤るというような危機に陥る可能性が出てくることになり、その年の収益に大きな影響を及ぼしかねない。このような形で黒船の動向が商人の収益活動に大きな影響を及ぼすということが起こるわけです。また、この木綿商の場合は、木綿が戦支度の服装にも利用されるため、木綿の価格変動という点でもその商売に影響が及ぼされたということも考えられます。
いずれにしても、黒船→沿岸防備→物価の高騰という図式で商人たちに大きな影響を及ぼし、それを注視することで家の経営危機を回避するということが目論まれた、といえるでしょう。このような刻付けの書状から、商人が一体何に注目していたのかということを読み取ることが出来ます。
ちなみに、このプチャーチンは、このあと大阪湾に侵入し、大坂町奉行と折衝の末、短期間で下田へと移動します。その移動後に結ばれた条約が日露和親条約になります。
このような商人の動向をみると、現在の先物取引や株式市場と何ら変わらないのではないか、と感じた方も居られたのではないでしょうか。非常に合理的で、当時の情報としては科学的な判断を下している、そう感じた方も居られたと思います。もちろん手にしている情報の多さや正確さは現在のわれわれの方が明らかに多く、正確な情報を手に入れることが出来ると思います。しかし手にした情報をいかに判断するかによって、最終的な結果の正確さが変わってくるかと思いますが、果たしてフェイクニュースや陰謀論に惑わされることもある現代人が、必ずしも昔の人より優れた判断力を持っている、と、必ずしも自信を持って言えないような気がしてきませんでしょうか。もちろん、過去の人を手放しで礼賛するつもりはありませんが、情報量による優劣というより、その時代時代の合理性の基づいた判断力が基準になっているのではないか、とそんな気がします。