夢、それは爆乳
なんか全部無理になると「爆乳になりて~」とわめき散らかしてしまう。
いや、別に真に爆乳になりたいと言っているわけでは当然無い。爆乳の方にも爆乳の方なりに抱えるデメリットがあって、人には人それぞれの悩みがあるのは至極当然だ。それらを度外視して、「爆乳」を夢の頂点の代名詞として日々語っている。
私が日ごろ語る「爆乳になりたい」という言葉の意図は、最も簡単に述べると「特別になりたい」だ。誰しもがそうであるように、「何者かになりたい」という願望を、「爆乳」に置き換えている。
『山月記』における李徴は、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の為せる業」によって虎になってしまった。偏屈で、自分には才があると信じて疑わなかった彼は、自身の手にしている宝石だと思っていたものがただのガラクタであることに気づいていたのに、そこから目を逸らし続けて虎に飲み込まれてしまったのだ。
李徴のことを、他人事ではないなあと思う。
自分のことを信じて生きていくことは肝要だけれど、行き過ぎた肯定感に甘えて努力を怠って、現実から目を背け続けたら私だって虎になる。何者にもなり切れず、怪物に飲まれて自身が怪物になってしまうことに、日々危機感を抱いている。
小説家になりたいなあと思っている。
自分のことを救えるのは、創作上で生み出した自己の分身でしかない。誰かのために話を生み出せない。ただ、それでも私の暗闇と同じ暗闇を抱えた人がいるならばきっと、私はその誰かを救うことも叶うのかなと思っている。ベン図で重なる部分がある誰かの、少しだけ生きる希望になりたいと思っているだけ。それが出来ると思っているし、私はその才能があると信じたい。
その夢って、要するに「爆乳」じゃない?って思うのだ。
乳がでかければ自己肯定感を抱けるし、乳のでかさにおいて一番になれるだろうし、乳に夢を見る全人類を勇気づけることが出来る。虎じゃなくて、爆乳にならなきゃいけない。私は人類の希望になるべき人間なんだ。
そういうことを思いながら、私は「爆乳になりて~」と今日も言う。
爆乳になって、「根拠のある特大の自己肯定感」と「底なしの希望」を持ち、世界をハッピーにしたい。かくして私の「小説家になりたい」という夢は、爆乳に置き換えられたのだった。
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