名演小劇場「boid sound映画祭」1週目&映画『AKIRA』評

初めまして酔歌です。

映画を見始めてなんだか文字にも起こしてみたくなったので、映画感想とか批評とか分析やらということを経験するためnoteを始めてみます。

今回は「boid sound映画祭」と映画『AKIRA』について書いてみます。

boid sound映画祭

爆音映画祭」で知られる株式会社boidの樋口泰人さんによる「boid sound映画祭」が栄の名演小劇場にて5月20日から開催されています。

「爆音」は映画館に音響機材を持ち込んで、音の魅力を最大限に引き出すということをやっていたのですが、「boid sound」では各会場に常駐する音響機材を調節するという手法を採られているようです。ということは各会場の広さや機材のグレード、客席数、施設状態などが異なる点があるというのが面白いところです。

今回のboid sound映画祭in名古屋は三週間実施。
一週目にはカン・チョンヒョル監督の『スウィング・キッズ』(2018)
ジョージ・ミラー監督の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)
大友克洋監督の『AKIRA』(1988)が上映されました。
以下感想ですがクソネタバレしまくりです。

『スウィング・キッズ』
本編・boid sound共に初体験ということもあって、タップダンスの響きばかりに心がとらわれて気付いたら二時間あっという間。
戦争もなんだかんだ足を最初に狙うみたいなこともいいますから、ギスが足をやられるというのはその象徴か。その頃になると周りからすすり泣く声が聞こえてきたこともあり、映画館という空間をこれほどまでに大切なものだと感じたことはなくらい素敵な体験でした。
印象的だったのはデビットボウイの「モダン・ラヴ」をイメージしながらギスとパンネがそれぞれの境遇から走り出そうとするというファンタジックなシーン。『汚れた血』(1986)や『フランシス・ハ』(2012)の流れを汲んでいるのかはわからない。『戦場のメリークリスマス』(1983)と近しい要素が混ざり込んでいるからか、幕が降りると共に観たくなる。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
正直『スウィング・キッズ』でも面食らった部分はあるのですが、本命は『マッドマックス』です。これは間違いなくて、音に関しては『AKIRA』以上だったかもしれない。
こちらも初視聴。これ本当にシリーズものか??というくらい世紀末オブ世紀末のキャラクター造形に息を呑む。細かい音を追うことすら許さないあらゆるマシンと爆発の轟音に身悶えし、それが2時間波のように迫ってきては体を貫いて劇場に消えていく。上映が終わり、待合室へ行くと体が震えていて次の『AKIRA』まで治りませんでした。おそらく二度と同じ体験はできないと思います。

というように、両作品ともすごいことになっていたのですが……。
「boid sound映画祭」言葉ではどうにも言い表せられない音による心の震えというもの、映画館で確かに鳴っていたタップシューズの響きが、吊るされた男の奏でたギターが、銃声と爆発が、おそらくこの先何年も後にも、名演小劇場の細部老朽化が進んだ柱の細かな隙間で鳴り響いていくのだろうと思いました。そしてこれ以降なんらかの映画を観にきた観客の耳に、未来の音と混ざり合ってその心を震わせることができるのだと思うと、いてもたってもいられません。自分が一次方向に進むタイムラインの中にいるのではなく、未来との対話のために名演小劇場に存在していたのだ、と。

ちなみに「boid sound」を見た後、待望の湯浅政明監督『犬王』(2022)をワクワクしながらシネコンまで観に行ったのですが、あんまりにも音の迫力がなくって「えぇ…」となってしまっていました。ただでさえ琵琶法師でありロックであるのに、めちゃめちゃもったいない……つまりそれだけ大迫力の体験だったのです。

『AKIRA』評 とりわけ音と画について

先陣きって「評」なんて文字を入れてしまったわけなんですけれども、自分が率先して映画情報を取り入れ始めたのがここ一年以内くらいなもので、実は山戸結希以外の映画批評をさして読んでいた訳でもないのです。なので紋切り型でもないしfilmarksのような感想でもない、めちゃめちゃ中途半端な部分も多いと思いますが、どうか今回は許していただきたいです。

私が『AKIRA』を観るのは大体7回目くらいなのですが、以前4Kリマスターになった際に静岡のどこかのシネコンで観たことがありました。その時連れ添っていた友人と映画館に向かおうとしたら結構ギリギリの時間で、しかもなぜか飲み物を買おうという話になり併設の飲食売り場(私は集金所と読んでいますが)であれやこれやと注文をしていたら、あっという間に開始時間を過ぎていたので、友人だけ先に劇場に入れて私は飲み物が来るのを待っていました。
そうして5分後くらい過ぎ、コマーシャルが長引いていればまだ最初から観られるかなと思っていたら、とっくに金田のバイクはネオ東京の街をテールランプと共に駆け巡っていたのでした……。火蓋を切るタイトルロゴと力強い音を聞くこともなく。

さて、そんな金田バイクですが、5/26日に行われた鉄雄役の佐々木望さんと樋口泰人さんのトークショーにおいて「金田のバイクが最初に発進するところの音を聞かせたかった」というようなことを言っていました。
クラウンとの抗戦で、金田がバイクに乗り込みハッチを閉め、バック半回転した後アクセルを回しタイヤに緑色の閃光が走る時に、力強い発進音が出るのです。そのマシンから響き渡る轟音は比喩ではなくまさしく強い音で、このシーンだけあとで配信で見返したのですが「あんな音鳴ってなくない?」と思えるくらいフラットなサウンドになっていました。
この時点で「音」の力というものを確認。

色彩と身体と都市
今回は色味に注目してみようと思います。『AKIRA』における色彩の関係性は結構シンプルで、大まかに分けて赤色と青色によって関係づけがなされています。都市や夜景の暗がり、タカシ・キヨコ・マサルが人間による科学的アプローチを受けた結果の青い肌、タイトルロゴをバックにしたクレーター状の爆心地など、こうした都市/科学のもの全般を青いモチーフで綴っているのに対し、人間の肉体、血液、タイトルロゴ、覚醒後の鉄雄のマントなどが赤くデザインされています。鉄雄と金田のバイク・レザージャケットの対比もそれです。

鉄雄はオリンピック建設現場でとうとう自分の肉体を制御できなくなり(区別のため第二覚醒と仮に呼びます)、とうとう人間ならざる存在へと自らをある意味で進化してしまうわけですが、その手前のシーンで軍の操る衛星兵器「SOLE」の光線によって右腕を消失させられてしまい、その場に散らばる機械部品を流用して身体を塞いでいます。
この一連の事象を一見すれば、ただ単に鉄雄の肉体がその精神の制御を外れたように感じられますが、その正体はもっと相互作用のような、もっとキメラ的な事柄へと進んでいたのではないかと考えました。
鉄雄がオリンピック会場の石製の椅子に座り込んだ時、鉄雄の肉体ではなく取り込んだ機械製品が腕部から伸び、石すら食い込むほどの強固さへと変貌を遂げています。ということは、実は第二覚醒を機に成長を始めたのは鉄雄の肉体が先行したのではなく、機械の方が先だったということです。で、先ほど『AKIRA』は大体二分して赤/青に分けられるのではないかと書いたのですが、つまり科学や都市的進歩の方が優先的に描かれているのです。まだタカシらが青い肌になる前の、アキラがまだ細胞に切り分けられていない段階の描写を見る限り、「AKIRA」なる力を見つけた段階で当時の人間らはまず人間によるコントロールを目論んだ、そしてアキラの力によって東京崩壊が起こったという順序前提を置けば、鉄雄の第二覚醒は象徴として完全に流れを汲んでいます。
やがて鉄雄の肉体も膨張を始め広がっていく。そこに入り混じったオリンピック会場。都市/機械による発展が、軍や政府にすらコントロールできなくなるほどの存在になった「肉体」によって包まれていく。それまで双方に留まっていた具象の表現が混ざり合う、赤と青が混合するところに全ての意味が現れています。日本の進歩と、行き過ぎた科学の欲が全て現れている、めちゃめちゃ業の深いシーンだったんだなあと……。

影響など
これはもう既知かもしれませんが、『AKIRA』は後世に非常に強い影響を与えています。もちろんそのアニメーションのクオリティがじわじわと広がりを見せたということもありますが、制作方法としてのリップシンクがレコーディング先行でそこにアニメーションを付けるという順番の違いの意外さ、テールランプはこの作品による表現がどうやら初めてだというのも聞いたことがあります。その他にも東京2020オリンピックの存在と暴動というメタ視点や『TOKYO!』(2008)でのオープニング・エンディングアニメーションでのテールランプ表現、『レディ・プレイヤー1』(2018)に金田バイクが登場するなど、多方面の作品にも影響を与えています。
また、少し前逝去されました青山真治監督『EUREKA』(2000)の冒頭、バスに揺られる直樹は漫画版AKIRAを読んでいます。背表紙からして5巻です。「これはなぜ5巻なのか?」と思って仙頭さんに聞いたところ「青山が5巻が好きだったのと、5巻であるし、全部読めなかったということ」だと教えてもらって、はーとなっていました。ちなみに『EUREKA』は現在さまざまな映画館で再上映を推し進めているようなので、こちらも本当におすすめです。

寄り道しましたが「boid sound映画祭」の一番重要なポイントこそ、こうした時代を越えた影響を後世に与え続ける、それを音によって成すというところにあるのではないかと考えます(主催でもなんでもない学生がほざいています)。地続きに続いていく時間の中で過ぎて行った時間と、現在の空間とが音を通じて融合蜜合し、やがて名演小劇場に訪れるであろう人の真芯に、これでもかと我々の情熱をぶつけてあげることにあるんじゃないかと思っています。ただ今の、あまりにも徒労のようにも思える時間の経過だけを省みるのではなく。映画だけが時間を貫いていく、それはまず劇場という固定されているようで生きている場が存在するからです。

ぜひ、劇場で映画を。

映画記録5/20—5/31

5/20
『おとぎ話みたい』(2013)山戸結希
5/22
『スウィング・キッズ』(2018)カン・チョンヒョル
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)ジョージ・ミラー
『AKIRA』(1988)大友克洋
いずれもboid sound
5/23
『ハドソン川の奇跡』(2016)クリント・イーストウッド
5/24
『駅馬車』(1939)ジョン・フォード
5/26
『AKIRA』(1988)大友克洋 トークショー付き×2 boid sound
5/27
『TOKYO!』(2008)
→『インテリア・デザイン』ミシェル・ゴンドリー
→『メルド』レオス・カラックス
→『シェイキング東京』ポン・ジュノ
5/28
『犬王』(2022)湯浅政明
『トップガン マーヴェリック』(2022)ジョセフ・コジンスキー
5/31
『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021)エドガー・ライト
『パプリカ』(2006)今敏
『ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE” LAST HEAVEN 031011』(2009)番場秀一
いずれもboid sound


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