Xの友人の文才がありすぎて嫉妬する
X(旧Twitter)をやっている。
私のアカウントは、実姉、中学校からの友人、ドール趣味の友人、アニメ趣味の知人、ゲームを一緒にやる友人知人、店をやっている時の友人、パートナー、好きな企業、好きなライターさん、好きな作品のクリエイター、全部いっしょくただ。
理由はひとつ。
嘘をつくのが苦手だし、めんどくさいからだ。
Xの身内、友人、知人の投稿が大好きだ。
みんな思い思いに自由にポストしている。
そんな中で、
「もうこれは最高のエンタメ!」
「駅に飾ってあるポスターのキャッチコピーよりおもしろい!」
「新聞でコラム書いた方がいいよ!」
「わかるわかる! 魂の叫び最高!」
秀逸なツイート…つぶやき…ええと…ポストをする友人がいる。
友人は、「自分のため」「私のような友人に向けて」「作品愛の魂の叫び」「日々の思うこと」をXでポストしている。
誰かのため、とか、人気になるため、とかじゃない。
絶望する。
「わたし結構おもろいぞ」とメンタルを辛うじて保っている時、
突然目に飛び込んできた他愛のないおもしろポストに愕然とする。
いいね数は3。ああ。この世の中は非情だ。
とあるゲームを遊んで、とても興味深くて誰かの意見が聞きたくなった。
ゲームのコミュニティに入り、仲良くなった方と2か月ほど、ほぼ毎日攻略情報を交換した。
また、他のゲームを遊んで、とても興味深くて誰かのレビューが見たくなった。
2013年9月上旬ごろ、はじめてTwitterに登録した。
多くの方がイラストや考察をのせていて、わくわくした。
いつの間にか自分も考察をのせるようになっていた。
私は夢を見ている。
文字に、言語に、文章に、書くに、夢を見ている。
「好き」や「叫び」の熱がこもった文章に、夢を見ている。
「熱い思いをぶちまけた文章」というものに、夢を見ている。
冷静に「~でしょう」「~といえます」といえると、とてもいい。
ただ、冷静だとしても、その言葉の奥底に、メラメラと燃える暗い情熱があって欲しい。
軽い言葉は軽く見える。知らんけど。
上辺をすくった、ええ恰好で書いた無機質な文字の羅列に見える。
芯と心のある言葉が見たい。
AI、嫌いじゃないよ。
でも、AIにはできないことがある。
意味のわからない理解不能な心がある。
人間にはそれぞれの偏ったこだわり、クセ、辿ってきた人生、きれいじゃない思い、取り繕えないもの、叫びがある。
人間はきたなくて、美しい。
不条理で、理不尽で、愚かで、バカで、自己顕示欲があって、理解してほしくて、誰かに構って欲しくて、誰かと共鳴したくて、非効率で、優しくて、温かくて、愛に溢れていて、非合理的で、贔屓して、お人よしで、間違う。
私はそれを愛している。
X、そんな場所があることがとても嬉しい。
どうか、変わってしまわないで