元女流アマ名人の手料理とマル秘情報(前編)
木枯らし吹く夕暮れの立川駅コンコースを歩いているとき、電話が鳴った。
ポケットからiPhoneを取り出してみると、『湯川博士(ゆかわひろし)』の文字。寒くてこんなところで立ち止まりたくはないが、師匠からの電話では出ないわけにはいかない。
端に寄って道行く人の邪魔にならないところで「もしもし」と応答すると、「あぁもしもしすぐりさん!?」と、この雑踏の中でも周囲に聞こえるのではないかと思えるくらいの師匠の声が返ってきた。
コンコースは地上2階と高く、また風の通りもよい。たちまち手と、マスクを外した顔が凍ったが、話は止まる気配もなく続く。今コンコースなので後ほど折り返すということでは? と訴えたが、いやいやすぐ終わるからと話が続く。コンコースのない和光市在住の湯川さんには、この吹き抜けの厳しさが伝わらないのだ。
結局電話は20分も続き、ぼくは青梅線を3本見送ることになる。話の内容は、長かったのでここには書ききれない。なので要約して書くが、「しばらく来てないから遊びに来なさい」ということだった。
ぼくはすでに最初の1分で遊びに行くことを了承していたのだが、師匠はその後19分間、念押ししてくれたのだ。どうやら宝焼酎のコップを片手に。
そしてぼくは久しぶりに、湯川家に伺うことになった。
2月凶日、早めに家を出たぼくは中央線、武蔵野線とJRを乗り継ぎ、北朝霞で東武東上線に乗り換えた。同じロータリーを共有する接続駅だが、駅名は微妙に違って、東上線では「朝霞台」となる。
上りに乗って、次で降りて改札を出る。そこで、どうも和光市とちがうと感じ、ぐるっと見まわすと「朝霞」の文字。『東上線各駅短編集』(まつやま書房)を出した身としてはとても恥ずかしいが、「朝霞」の駅を忘れてしまっていた。
改札を入りなおして、電車を待つ。各駅停車しか停まらない駅で、なかなか来ない。10分待って来た電車に乗り込んで、次の和光で降りる。そして15分ほど歩いて湯川家に到着した。
こちらの仕事が忙しくて将棋ペンクラブの幹事会にも参加していなかったので、顔を合わせるのは久しぶりだった。さっそく湯川恵子さんが、お通し、というか前菜を出してくれた。それが上記画像。山菜も長ネギも自家製だ。香りがいい。
(つづく)