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ムーミン谷の彗星を読んだ:ムーミン①
ムーミンシリーズは何回か手に取ったけれど、挫折していた本の一つだ。
(司馬遼太郎の本もそうだけど)
今回は、なぜかススっと読めた。
本を読むのが習慣化されてきて、読書の筋力のようなものがついてきたのかもしれない。
こども向けの本というのは意外とその筋力を使う。
物語に入るのに、大気圏がぶあつくて弾かれてしまうような。
ムーミン谷の彗星は、ムーミンたちが、彗星の衝突の話をジャコウネズミに聞いて、怯えながら大冒険をする話だった。はじめは独特の空気感とテンポ感にのりもの酔いしそうだったけれど、なれてくると心地よくて、それに自分の想像力のつきぬけた外の世界を見せてもらえて私はどんどん嬉しくなっていった。
火をふく山についてスナフキンが話すところが一番ワクワクした。
優しくて、見る目があって、知識があって、判断力があって、自分の心地よさにこだわりを持っている。
みんなが好きになってしまうのも納得のスナフキン。ムーミンは両親にスナフキンのことを早速「親友」と紹介する。
ときどき、スナフキンは女の子なのかもしれないと思う場面があるけど、ネットには男の子と書いてある。前に読んだ本には実は女の子、と書かれていた。まあいいけど、ちょっと気になる。
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スニフのことがなぜか気になる。
文句ばかり垂れて欲しがりで、言い訳ばかりして人に責任を押し付けてばかりで寂しがり屋なスニフ。
私は、最初スニフにイライラして読むのをやめそうになった。自分がムーミンだったら一緒に遊ばないのに、と。でも、だんだんスニフはそのまま自分のような気がしてくるし、そういう風に読んで思う人って案外多いのかも、とも思うとだんだんおかしくなって、もっとスニフを見ていたくなる。
それに、自分が実はムーミン谷で一番感情移入してしまうのがスニフだと気づいて認められるようになるには大人になる必要がありそう。ってことは、私もう大人?なんて、浮かれたりして。
そんな浮かれ方が何より子どもっぽいスニフのようなのだけど。
![](https://assets.st-note.com/img/1736384355-z4vuwyY7AQ09VopqGCbrNBIZ.png)
まあ、そんなことはさておき、
私はあとがきがとても気に入った。
わたしは、平和な家族をえがいてきました。
だれもが、うちあけたいと思わなければ、それぞれの秘密を胸に秘めていられます。
「何時に帰るの?」とたずねる人もいなくて、夕食におくれた人は食糧室におしかければそれですみます。ひとことでいえば、だれもがおたがいを、気のとがめるような気分にさせないのです。そしてそのことから得られる自由は、たいせつなことです。
とはいってもこの場合、どのようなやり方であるにしても、みだりにそうしてはいけないとの暗黙のやくそくはありましたし、どんなにばかげて見えたとしてもあいての面目を失わせてはいけないという、他人に対する誠実な責任もともなっていました。
家族のみんなはしばしばまぬけなことをしますが、でもそのあとで力を合わせてものごとを解決しようと努力するのです。
p.238 日本の読者の皆さんへ
トーベ・ヤンソン作
理想の家族像だと思う。こんな風にあれたらいいな。
完全に想像だけれど、作者は、家が居心地の良い場所ではない読者へ、特にこどもたちへ、本の中にも家族を、家を作っておいて、いつでも来れるようにしたかったのではないかなと思う。
そんなムーミン谷への温かないっぽんみちが見えるようなあとがきだった。