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何をやっても人並みにできない自分が情けなくてイヤだった頃のワタシがし続けたたった一つのこと

お仕事何をされてるんですか?と聞かれて、通訳です、と答えると

すご〜い、と大体の人が反応する。

ワタシは自分がすごい、と言われることにいつも違和感を感じる。なぜなら、人並み以下がワタシの評価という気がしてしまうからだ。

何をやっても人並みにできない自分がイヤだった。情けなくて嫌いだった。そんなワタシが漠然と憧れた職業に今つけているのは、諦めなかったこと。その一つだけ。


小学生くらいのころって小さな世界で生きていて、オンチで運チでデブで勉強ができないと格好のイジメの的だ。

中学生くらいになって少し戦ったりかわしてたりすることを覚えても、内側の“ワタシはできないダメなやつ”という、いじけたヤツが居座った。

高校に入ったら、英語の点がすごく伸びた。中学の時の英語は2だ、5段階評価の。このままではヤバイと、中1からの復習を中3からやり始めたのが、功を成したようだ。そんなに賢い高校ではなかったが、いきなり“できるヤツ”と思われ始めてうれしかった。

音楽や体育は生まれ持った能力によるが、英語は勉強でリカバーできる!と考えた。(本当はどちらも努力のポイント次第とあとから気づくが)でもやればやるほど、また人並み以下、というできないコンプレックスが発令する。いつも上には上がいて、いくらやっても大したレベルになれないという焦燥感にチリチリしていたワタシ。

ワタシにしかできないことってなに?ワタシだからできることってあるの?チリチリしながらでも探すことをやめなかった。当時はネットもなくて、当然Google先生もAmazonもない。効率よく語学を習得する方法やそのことでどんな仕事ができるのかなんて、よくわからなかった。

現在、タガログ語の司法通訳人を生業とするに至ったが、それはひとえにあきらめなかった、これが1番大きな要員である。

英語の出来る人はたくさんいる。タガログ語と日本語を操れる人も沢山いる。フィリピンの知識が豊富な人もいる。上には上がいて、目指しても目指しても到達できない山だらけ。

できない自分にがっかりすること、情けなくて悔しい自分のデキにうんざりすること、いくら歳を重ねてもなくならないことに気づいた。でも、どんくさくて情けなくて泣けてくること多々ありでも、いじけていても何も変わらない。できないワタシだからこそ、人の2倍3倍努力すればいい。歳を重ねると努力をし続ける人は減っていく。20代30代の時には気づかなかったが、40代になると、今の自分に落ち着いて努力を続ける人が少なくなっていく。

人並みにできないからこそ、努力をあきらめない。語学は終わることのない知識の重ね続け。あきらめない限りなりたい自分に近づける。

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すぎさん
世界平和は可能と信じてます💖