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【小説】小野寺ひかり『片付けられない殺し屋』文学フリマ特別号

「文芸誌Sugomori」は、5月29日開催の「第34回文学フリマ@東京」に出店します。新刊「文芸誌Sugomori vol.3」は「団地」がテーマです。イベント開催前に、作品を先行配信しています。
ブース番号は【サ-21】です。会場へのアクセスや文学フリマ(入場無料)については以下の公式サイトの案内をお読みください→https://bunfree.net/event/tokyo34/
マガジンまたは作品購入、またはイベント当日に新刊本をお買い求めいただくと「すべて読む」ことができます。

きょう配信するのは、小野寺ひかりさんの小説です。

文芸誌Sugomori・小野寺ひかり


曇天模様の午後。私は双眼鏡をのぞき込んだまま、メモにペンを走らせた。団地の屋上に来訪者が現れたのは初めてだ。はやる気持ちを抑えてゆっくりと観察する。若い男子大学生のような風貌だが伸びた前髪のせいで顔の大半は、はっきり見えない。

「ん~、『ねむいなあ。ナンバーが……い‐39××』」

読唇術で読み取れる内容もそのまま記した。そうして、男があくびをひとつ。赤いパーカーに両手をつっこんで、辺りを見渡している。背負っていた大きなケースを下ろした。チェロだろうか。楽器を取り出そうとしている。彼はリズムに乗っているのか、小さく唇を動かしたまま左右に頭を揺らしている。鼻歌でも歌っているのだろう。私はメモの走り書きを続けながら、少しの満足感に浸った。予想外の登場人物に驚きに似た喜びが沸いて、思わず鼻歌が移りそうだった。


やったじゃないか。終わらない巣ごもり生活。リモートワークといえば聞こえはいいが、性分には合わない。外出も制限され、ようやく私自身に断捨離ブームが到来した。凝り性なのはいいものの、家の中でできる数少ない娯楽にはすぐに飽きた。向かいの団地を「監視」し続けたらどうなるだろう? 

動機なんていうものではない。単なる好奇心だ。双眼鏡をネット注文した。ここ数カ月は朝のオンライン会議を終えたあとは仕事をしているフリをしながら「監視」を続ける生活だ。さながら刑事か探偵か、最初こそ気取ってみたくなったが、次第に人の生活そのものがユーモラスであることに気が付いた。そう、団地には様々な生活があったのだ。談笑する老人たちや犬を連れた高校生、自転車に乗った配達員の姿など――。しかし、屋上はカギが閉まっているはずではなかったか。

「ん?」

大学生風情の男は楽器を組み立てているように見えた。演奏練習だろうか、と、しばらく様子を見るうちに、男が構えていたのはライフル銃に見えた。男は腹ばいになり、スコープを覗く。引き金に指をかけていた。

「『はーやーくー』……」
団地の屋上から、狙うは眼前の高速道路のようだ。私から対象物は確認できない。
「『さーん、にー、いーち』……」

瞬間、銃口から火花が散った気がした。小さな河川を隔てたマンションに銃声は聞こえない。慌てて双眼鏡を高速道路に向けると、大物が乗り込んでいそうな黒塗りの車両が走り去っていくのが見えた。銃弾が命中したのか、外れたのか。そこまでは分からない。

「どういうことだ」
屋上に視点を戻して、私は腰を抜かしそうになった。男は立ち上がり、こちらに向け手を振っているではないか。双眼鏡を再び覗いた。

「『見―てーたのー?』」
口元に手を当てて、わざと唇を読みやすくしているようだった。間違いなく私に向けた男の笑顔が見える。
「ははは……やばいな」
好奇心は猫をも殺す――? 偉人の名言が頭に浮かぶ。とたん、私は自分の呼吸が乱れるのが分かった。何かの冗談ではないか、と双眼鏡を外して肉眼で見ても、男は間違いなく実在していた。そして、見られている。悪寒がする。おーいと、呼び声が何かを叫んでいた。
「『こっちきてよ~』……バカなのか」
大振りに手招きしていた。ここで即断即決ができればいいのだろうが、逡巡しているとライフル銃が今まさにこちらに向けられようとしていた。
「待て待て待て待て!!」
私は白旗を掲げるように降参ポーズをとった。覚悟を決めるしかなかった。
「今から行く!」
できる限りの大声を出し、ライフル銃が降ろされるのを待った。男はおとなしく銃を下すと、にいっと笑っていた。
私はネクタイを締め直し、ジャケットを手に取り、革靴を履いた。新品のマスクを袋から出して向かいの団地へと歩みを進めた。団地内に足を踏み入れると不思議な感覚に陥った。

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