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57歳女性経営者の私が、安定を選ばずに”挑戦し続ける”理由

「日本全国で言ったら分からないけれど、小学校のクラスでは”可哀想な子”の3位以内には入っていましたね。なかなかのいじめも受けたし。大人になってからも波乱万丈で言ったら、オリンピック選手並みの全国レベルいけると友人に言われた(笑)」。

株式会社リクルート ・HotPepper創業メンバーと一緒に(2024年)

株式会社リクルート出身であり、クーポンマガジン「Hot Pepper」の全国女性初編集長を努めた杉山美香さん。現在はご自身の会社・株式会社JOYSTYLEの代表取締役として経営コンサル・マナー指導などを中心に活躍中。

高校卒業後、金融機関に就職。女性唯一の営業マンとして成績を残し、その後、建設関連企業でもトップ営業として活躍後、株式会社リクルート入社。現在、57歳(2024年9月現在)にして、さらに未経験の新規事業にチャレンジしようとする彼女から、今まで公にしてこなかった生い立ち・キャリア形成について、ライター松はるながお話を伺いました。

35歳の美香さん。リクルート で必死に頑張っていた時代

公私ともに美香さんは順風満帆に人生を歩んでいるイメージを持たれやすいそうですが、実際はそんなことないという噂は本当ですか?

そうなのよね、よく苦労していなそうと言ってもらえることが多いけれど、そうでもないの(笑)。まず幼稚園の時に両親の都合で親が離婚。母子家庭で母と私と妹の三人家族で育った背景があります。

父は優しいけれど、老舗の自営業の息子でいわゆるお坊っちゃま。母がお店に出ていた記憶はあるけれど、父は自分で仕事をしない人だったから、父の代で事業を潰してしまい、離婚後の養育費は当然なかった。当時は母子家庭が珍しい時代だったから、目立つのもあるし、とにかくお金に苦労していて……。

貧乏で古い木造のボロい家に住んでいたから、同級生に「あばら屋ソング」という当時CMの替え歌を歌ってからかわれることもあって。今では笑い話だけど、同時は悔しい思いもたくさんしました。

お父様と離婚後は会ったりしましたか?

父親とは全く会っていなかったけれど、ある日、父が病気でもうダメかもしれないと母に連絡があったのが、私が高校受験の時。母は「会わせたくはないけれど、父親が生きるか死ぬか、結婚などの大事な時は会わせんといけん」と言って私にどうしたいかを選ばせてくれたことがあって。

その時、私は泣きながら「会いたい」と言ったのを覚えています。それで妹と私二人で病院へ。父は泣きながら「美香ちゃんのことは1日も忘れたことなかったよ」と言ってきた時に、私は「嘘ばっかり」って心の中で思ったことも鮮明に覚えている。連絡ひとつもなくて、養育費も払わなくてそんなわけないでしょって。

すごく現実的な中学生ですね。冷静というか……。

生い立ちのおかげで冷静になれている部分はあったかもしれないね(笑)。その後、父は一命をとりとめて、回復した後はこっそり私と妹宛に電話がかかってくるように。ある時「お母さんに内緒で私と妹の写真が欲しい」と言われて、母の手前「う〜ん困ったな」と。妹と相談して、私が高校に入学した時の写真を母に内緒で父に送りました。

その時に父に宛てた手紙が、今考えていたら子供のくせに、ませたこと書いたな〜と思うんだけど「お母さんは一人で、こうやって私たちを育ててくれていて、あなたとこうやって連絡を取っていることを知ったら悲しみます。だからもう連絡はしないでください。そうしてくれたら、あなたを父親として認めます」と一筆したの。

お母様の気持ちまで考えられるなんて、精神年齢が大人ですね。

ませたこと言ったなと思う(笑)。それ以降、父から連絡は来なかった。父親なりに色々考えていたのかもしれないけれど、父がなくなった時、父は生活保護も受けていて相談員の方から「娘さんの写真を見せてもらったことがありますよ」と言われたから、あの人なりに愛情はあったのかもしれないな。

でもね、残すのは「お金」じゃなくちゃダメだよ。綺麗事では家族は守れないし、大切な人たちを幸せにできないなって学んだ経験でもありますね。

そういう背景から美香さんが大事にしている「自立」の意識が芽生えたのかもしれませんね

そうね……。自立に関しては、私には誰も頼れる人がいなかったから、早い段階でその意識が芽生えていたと思います。母も頼りになるタイプではなくて、親戚や周りの人からも「将来は美香ちゃんがお母さんの面倒を見てあげないと」と言われていて、甘える先はなかった。

大学に進学したかったけれど、とにかくお金がなくて断念。高校卒業後は金融機関に就職を考えて動いていたけれど、学校の先生に「母子家庭だと就職できないかも」と言われて「きちんとした家庭の子を優先したい」みたいな話をされた時「そんな会社だったら私がいきません!」と本心で断ったこともあります。当時は母子家庭への風当たりが強かったから、本当に色々大変なことはあったかな。

母も妹も「お姉ちゃんよろしくね」というタイプだから、誰も頼れない中、必死で頑張ってきたのは自分でもそうだなって思っています。

就職後もお金には苦労されたそうですね。

そうなの。高校卒業後、金融機関に就職して母にご馳走したら「娘からご馳走されるのが夢だった」と言われて、それ以来、母にはご馳走するようになっていて。

初任給13万円なのに、大学に行けなかった腹いせで夜間大学に通ってもいたので、その学費が約6万円、家に3万円入れて、金融機関務めなので積み立てが毎月1万、高校の時の「日本育英会」の奨学金返済が1万。夜間大学で夕食を社食でとるのに6,000円。

通学通勤のバイク維持費が…と、お給料が出た日に赤字になるみたいな生活でした。 金融機関は賞与がいいので、それで赤字の補填と貯蓄をするといった感じ。 夜学だから、夕飯は社食等、外食になるからその負担もあっていつもうどんばかり食べてました。

皆んな働いているから多少のお金はあって喫茶店に行こうと誘われるんだけどお金がなくていけない。「美香ちゃん、いつもお金ないね」と……。

そこから現在の余裕がある状態になれるって本当に凄いことですよね!

幸い、金融機関に勤めていたので「貯める重要性」も教えられていたし、当時、私が女性初の外回りの営業に抜擢されて、男性たちに混ざって女性一人で営業一位を取ったこともある中、資産形成のアドバイスができるように必死で学んだ経験も役立っていたなと思います。

貯めることも大事だけれど、成人式には100万円の振袖をどうしても着たくて買ったので、自分が本当に幸せになれるものにはちゃんと使ってもいるけれど(笑)。その成人式では熊本市の成人代表として、答辞を読む役を努めたので、無駄ではなかった!(市で公募された「成人の日」作文で最優秀賞になって選ばれたとのこと👏⇓)

本当の意味で「余裕」が持てたのは、いつ頃ですか?

仲良しの旦那様と一緒に(素敵なお顔は隠させていただきました)美香さん37歳の時

リクルートでホットペッパーの編集長として奮闘していた時は、本当に忙しくてお金を使うことがなかったから貯まる一方ではあったけれど、その貯金が子育てと介護でなくなっていく感じはずっとあったから……。夫が私より7歳年下で、収入面では私の方が……みたいな部分もあるし、本当の意味で余裕ができたのは、子育ても介護も終えて、独立して会社を経営し始めてからですね。

やっと落ち着いたのに、また今から新規事業にチャレンジするという(笑)。

そうだよね、自分でもそう思う(笑)。このまま今の事業をしっかり大切にしていたら、老後は明るいのに、なぜまたチャレンジする?って思うのも、当然だと思います。しかも新規なので成功するかどうかも自分次第。

既存の事業(コンサルやマナー講師)は、独立の時に「何が私にできるか」を考えて、これまでやってきたことを生かして、クライアント様の仕事の悩みに寄り添うようなことがメインなので、経験が存分に活かせていると思います。

ですが今回は、全くの未経験チャレンジですよね?

本当に全くの未経験(笑)。これまで営業の仕事をやってきたけれど、有形商材を扱うことがまず初めて。ずっと有形商材を売ってみたかったのね。そして商材は「インナー(就寝時専用のブラジャー)」なのも、強い想いがあって……自分の胸が大きいことで胸が垂れる不安、ブラのサイズがない、可愛い下着がないなどコンプレックスをずっと抱えていて。

自分が困っていることだから、きっと他にも困っている女性がいるだろうなとリサーチしながら、ナイトブラの商品開発から取り組んでいます。胸のサイズに限らず、女性にとって「女性らしさを楽しみながら自分の体を大事にする商品」を届けたいなという想いです。

地元の熊本応援にも関連しているのですよね?

そう! 熊本の下着メーカーにお願いする予定で進めていますが、やっぱり地元に関わっていきたいのよね。先日、地元の友達たちに「美香は私たちの代表だから、すごく応援している。頑張って!」と言ってもらえた時、ずっと地元を離れて活動してきたけれど、地元に恩返しのようなものがしたいという気持ちがあったことにも気付かされて。ご縁もあって、そのメーカーの女性社長さんが好きだし、ここでやっていきたい想いですね。

男性の中で働いてきたのに、なぜ女性向け商品の開発?

「女性が好き」と言ったら変な感じに聞こえてしまうかもしれないけれど、一生懸命頑張っている女性が好きで、応援したいのが一番! 私自身が男性の中で一人女性の営業に抜粋されるなど、必死でやってきた部分があって、一人で抱えている部分が結構多かったと思う。女性は生理痛とかも周りに言いにくいし、働く女性の大変さが身に染みているのよね。

気を抜けば下心出されたこともあって、お客様に呼ばれて行ったら「話がしたかった」とだけ言われたこともあったし、現実問題としてそういう不快な経験をしたことがある女性は多いと思います。だからこそ、女性の味方でいたいし、女性を応援する商品を作りたい。自分を優先できずに頑張っている女性たちが、もっと自分を愛せるきっかけ作りをしていきたいと強く思います。

なぜ開発商品が「インナー」なのでしょうか?

インナーで「予防美容」という概念を世の中に浸透させたいです。私は長いこと自分の胸がコンプレックスでした。年齢を経たら、ものすごく下垂すると疑ってなかった。だから10代のころからブラジャーを外して寝たことがほとんどありません。

でも、その結果、年齢の割に重力に抗っているなと感じることができていたのよね。ところが、世の中にナイトブラなるものが出てきて、つけてみたところ、さすがにものすごく楽。日中のブラジャーから切り替えました。しかし、その結果は明らかな下垂。

ナイトブラはサイズ違いも合わせてかなりお金も使ったし、数種類試してきました。けれど、私が満足いくものはその中にはなかった。今、世の中は、タンクトップやキャミソールと一体型になったブラが席巻しています。

でもその生活で胸の美しさはキープできるのか。加齢に伴い下垂が加速するのではないかと懸念するのです。「予防美容」という観点からもせめて夜にしっかりケアできる下着をつけて欲しいです。その機能をしっかり持つナイトブラを、専門家と共に研究しています。

最後に、この記事を読んでくれた人に伝えたいことをお願いします!

「失楽園」などの著者「渡辺淳一さん」と一緒に(当時40歳の美香さん)

私が新規事業にチャレンジすることで、誰かに勇気を与えたり、元気を分けれたらいいなと思います。現在57歳の私、年齢を重ねると体は衰えるけれど、心は思っている以上に若くいられるのよ。年齢なんて自分次第だなって。

私にも、不妊治療や、介護と子育てが一気に押し寄せてきたりと頑張れない時期はありました。 死にたいと思ったことはないけれど「生きていたくない」程度のことを考えていた時代があります。人生は山あり谷ありだから、ずっと頑張れなくても、キラキラしていなくてもいい。

自分を嫌いになるのは、簡単です。だからこそ、自分を愛でたり、どうしたら自分を大切にできるかを、大事にしてもらえたら嬉しいです。周りがどう思うかではなくて「自分の幸せ」「好きなもの」をちゃんと知っていられたらいいな。残された人生は全て”伸びしろ”です! 一緒に楽しんでいきましょう。

HotPepper創業チームの元上司、「Hot Pepper ミラクルストーリー」(東洋経済新報社)の
著者・平尾勇司氏と(お二人とも素敵な笑顔です)2024年


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