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【学ぼう‼刑法】入門編/総論29/罪数論/犯罪の個数を決める基準/代表的な2つの立場
第1 はじめに
罪数論はお好きですか?
と訊かれて「好きです」と答える人は、まずいないのではないでしょうか?
罪数論は、犯罪論の最後に出てくるので、刑法総論の教科書でも、授業でも、最後のほうに登場します。そういうこともあって、簡単にしか解説されていないという場合もありますし、大学の授業などでは割愛される場合もあるでしょう。つまりは、勢い「各自教科書を読んでおいてね」ということになりがちです。
罪数処理については、観念的競合、牽連犯、併合罪については条文がありますが、法条競合や包括一罪については条文もありません。しかも、法条競合については、まだ、それなりに安定した説明があるものの(それでも学者ごとに説明にブレがある)、包括一罪に至っては、どういう場合がこれにあたるのかよく解らないまま、試験などでも、事案の雰囲気から「これは併合罪にするのは問題がありそうだ」と察して「包括一罪となるものと解する」としている学生、受験生などもいるのではないかと想像します。
司法試験の答案などでも、事例問題の最後では罪数処理をすることになっていますが、そんな感じのふんわりとした罪数に対する理解でも、実際、ある程度、乗り切ることができてしまいます。
ただ、そうは言っても、きちんとした理解ができていないと、いつまで経っても、歯の隙間にモノが挟まったような、靴の中に小石が入ってしまったような、スッキリしない感覚は抜けないでしょう。
何事であれ、物事を理解するうえで、まず大切なのは俯瞰です。全体がどういうことになっているのかを理解すること。
そのうえで、法律学の場合は、学説の対立があるのであれば、それらがどういう説で、何をめぐって、どう対立しているのかを理解すること。
これらが解れば、少なくとも「理解した」という気持ちになることはできます。
罪数の処理についての説明の仕方としては、大きく2つの立場があります。
今回は、その代表格として、団藤重光先生の教科書での説明と、山口厚先生の教科書での説明とを対比しながら、罪数論を俯瞰し、問題の焦点がどこにあるかを見ていきたいと思います。
読み終わったころには、スッキリしていることと思います(たぶん)。
第2 犯罪の成立・個数・競合
1 内実性と包括性
【問】犯罪は、どのようなときに成立するか?
このように問われたら、この講座をここまで読まれたみなさんとしては、「バカにするなよ」という気持ちになるでしょうね。当然です。
犯罪は、構成要件に該当する違法かつ有責な行為なんだから、これにあたる事実があるときに、成立する。
おそらく、そういう答えが返ってくると思います。
正解です。
では、次。
【問】そのとき、どんな犯罪が成立するのか?
これも、また「バカにするな!」と言うような質問でしょう。
どの犯罪が成立するかは、その事実がどの犯罪の構成要件に該当するかによって決まります。
さて、以上に述べたことは、ある犯罪が成立するために必要な、犯罪の内実の話をしています。そこで、このことは「犯罪の内実性」の問題と呼ぶことができます。これは1つの犯罪に着目した問題で、いわば「内部的な判断」といえます。
これに対して、次のような問いは、このような犯罪の内実性の問題とは異なるものです。
【問1】連続して数個の財物の窃取が行われたとき、窃盗罪はその数だけ成立するのか、1個の窃盗罪だけが成立するのか?
【問2】包丁で人の腹を刺して殺害したとき、衣服に穴が開いた場合、殺人罪と器物損壊罪が成立するのか、殺人罪だけが成立するのか?
これらの場合、内実性という意味では、それぞれの事実がそれぞれの犯罪の成立要件を充たしています。しかし、これとは別の、他の犯罪の成否との関係という「外部的な判断」によって、その成否が影響を受けるのではないかということが問題とされています。
そして、最終的には、複数成立するように見える犯罪が1つにまとめられたり、1つの犯罪がもう1つの犯罪の陰に隠れて表面化しない、ということも生じます。これが「犯罪の包括性」の問題です。
そして【問1】のような場合は「同質的包括性」の問題と呼ばれ、【問2】のような場合は「異質的包括性」の問題と呼ばれます。
このように、犯罪の成立要件を充足する複数の事実が存在する場合に、他の犯罪との関係で包括されて1罪として扱われることになるのか、そのような包括がされずそれぞれ別罪として数罪として扱われることになるのか、という問題が「罪数論」の扱う問題と言えます。
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2 一罪と数罪との取扱いの違い
【問】一罪と扱われる場合と数罪と扱われる場合とでは、どのように取扱いが異なるのでしょうか?
まず、一罪の場合は、簡単です。それぞれの犯罪には、決められた「法定刑」がありますので、これを基礎として、処断刑、宣告刑が導かれるという処理になります。
これに対して、1人に対して複数の犯罪が成立する場合(犯罪の競合という)には、成立する複数の犯罪のそれぞれについて別々に刑を定めて宣告するのか、それとも、複数の犯罪について刑をまとめて1つの刑として宣告することするのか、また、まとめるのであれば、どのようにまとめるのか、という法制上の問題が生じます。
この点、犯罪の競合の場合をわが国の刑法がどのような取扱っているかについては後に見るとして、このような違いがあるため、まずは、一罪と数罪とをどのように区別するのか、ある事実を一罪とみるべきか数罪とみるべきかの基準は何か、ということが重要な問題となります。
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3 犯罪の個数を決める基準
【問】 犯罪が一罪か数罪かを決める基準は何でしょうか?
この点については、①意思説(犯意説)、②行為説、③結果説(法益説)、④構成要件基準説、という4つの説が主張されています。
その内容は、次の図のとおりです。
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さて、この4つの説では、どの説がよいのでしょうか?
この点、団藤重光先生は、構成要件基準説を支持して次のように説明します。
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確かに、上の図を見ても解るとおり、意思説、行為説、結果説の3つの説は犯罪の要素の一部分に着目するものと言えます。これをまとめ上げた形で構成されているのが犯罪構成要件です。
その意味では、構成要件によって1回的に評価されるか、2回と評価されるかによって犯罪の個数は決まるという構成要件的基準説の説明は説得力があるように感じられます。
ところが、団藤先生のこのような説明に対して、極めて辛辣な批判をするのが、山口厚先生です。ご覧ください、この舌鋒!
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「すべてを語っているが、何も語っていない」
シビれますねェ~。確かにそのとおりと言えます。
しかし、とは言え、山口先生は、構成要件的基準説自体がダメだと言っているワケではないのでしょう。むしろ、その立場に乗ったうえで「構成要件的評価の回数を決めるための基準は何か」が示されなければ、問題の解決にはならない、と主張しているように思います。
そして、山口先生は、そのための基準としては結果(法益侵害)の個数が決定的に重要であると主張します。
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これはこれで、言い切ってくれたら、超カッコイイのでしょう。
けれども、実際には、上記のとおり「もっとも……」という断り書きが付いていて、そうは言っても、結果の個数だけで罪数は決められない、と留保しています。つまり、そういう「留保付き」でなければ、わが刑法上で現実に行われている罪数処理を説明し尽くすことはできない、というワケです。
以上のとおり、構成要件基準説には、自説の絶対性を主張する「意思説」「行為説」「結果説」に対して、それらを相対化したという功績があります。
しかし、構成要件基準説は「構成要件的評価の回数」という基準を語るだけで、「何が構成要件的評価の回数を決めるのか?」ということについては何ら語っていません。
そこで、結果的には、構成要件的基準説を前提としつつも、構成要件要素である、意思、行為、結果などが、構成要件的評価の回数の決定にどのように影響しているのか、ということを明らかにしていくほかない、ということになるわけです。
そしてそうなると、最終的に、そこにスパッとした「切れ味のよい理論」を見出すことができればよいのですが、そうでなければ、何か、河原で小石を拾い集めるような、ため息の出るような作業になってしまう可能性もあるわけです。
第3 数罪に対する扱い
さて、以上のような、基本的な知識を前提に、まず「数罪」と判断された場合のわが国での処理について確認しておきましょう。
1 併合罪
(1)併合罪と単純数罪
数罪の処理について、まず、押さえておかなければならないのは、併合罪の処理です。これは「単純数罪」に対比される概念です。
これらがどのように区別されるかは後で述べますが、「単純数罪」の場合には、別々に刑が定められ、別々に刑が科せられます。
手続的には、複数の裁判になる場合もありますし、1つの裁判で審理される場合もありますが、1つの裁判で審理される場合でも、単純数罪である犯罪については、別々に刑が定められ、宣告されます。
これに対して、併合罪の場合には、原則として1つの裁判で審理・判決されることが予定されており、まとめて科刑がなされます。
また、併合罪の場合でも、例外的に裁判が2つに分かれてしまうこともありますが、その場合には、同時審理がなされず、科刑が分かれてしまったことによる被告人の不利益を可能な限り是正するために、刑の執行段階で一定の調整がなされます。
(2)併合罪の概念
では、併合罪とはどのような場合でしょうか? これは、刑法第45条が次のように規定しています。
刑法
(併合罪)
第45条 確定裁判を経ていない2個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。
この条文は、前段と後段とに分かれており、まず、前段によって「併合罪」が「確定判決を経ていない2個以上の罪」であることが示されています。この場合は「同時的併合罪」と呼ばれています。
次に、後段によって「ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪と」が併合罪として扱われることが示されています。この場合は「事後的併合罪」と呼ばれています。
ただ、抽象的にこのように言われても、まったくイメージがつかめないと思いますので、それぞれがどのような場合なのか、事例で考えてみることにしましょう。
【事例1】 Aは、1月、2月に窃盗をした。Aは、その後、3月にも窃盗をしたが、運悪く見つかり、現行犯逮捕されてしまった。その後、勾留中に、余罪として1月の窃盗罪が発覚した。
4月になり、検察官は、まず、3月に現行犯逮捕した窃盗の件で、Aを起訴した。その後、5月になって、Aに対する第1回の公判期日が開かれたが、余罪があり、追起訴予定ということで続行となり、第2回の公判期日は、6月に指定された。その間に、検察官は、1月の窃盗の件でAを追起訴した。
こうして、6月に開かれた第2回の公判期日で、3月と1月の両方の窃盗事件についてAに対する審理がなされ、7月にAを懲役2年とする実刑判決が下された。その判決は、14日間の控訴期間を経て、自然確定した。
まず、この【事例1】が刑法45条前段の予定している同時的併合罪の場合です。
Aは、1月の窃盗と3月の窃盗の2件で刑事裁判を受けていますが、その審理は1つの手続で行われ、判決も1つになります。その際、この2件の罪は「確定判決を経ていない2個以上の罪」ですから、併合罪としての処理がなされ、量刑上の調整が加えられます。これが、併合罪についての原則的な処理で、このような場合がほとんどだと思います。この場合にどのような調整がなされるかについては、後で見ることにします。
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さらに、この【事例1】に続くのが、次の【事例2】です。
【事例2】 Aは、刑務所に服役したが、その後、8月になってAは、同房者Xと喧嘩になり傷害を負わせたことで、9月に傷害罪で起訴された。
また、同じころ、ひょんなことから、Aが2月に犯した窃盗事件が発覚し、Aはそのことでも起訴された。
こうして、Aは、9月の傷害事件と2月の窃盗事件とで、再び刑事裁判で審理を受けることになり、10月に公判が開かれ、同月中に判決が下された。
まず、この【事例2】の場合に気になるのが、この10月の判決の際に、2月の窃盗と9月の傷害とがどのように扱われるかですが、この2つの罪は単純数罪となります。
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この場合の両罪は、7月に確定判決があるので、刑法45条前段が定める「確定判決を経ていない2個以上の罪」にも該当しませんし、傷害は確定裁判の後に犯した罪であるため、後段の定める「ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったとき」における「その罪とその裁判が確定する前に犯した罪」にも該当しない(傷害は確定裁判の後に犯した罪である)からです。そのため、この場合は、1つの裁判で審理され、判決されるものの、それぞれの罪について別々に量刑され、別々に言い渡されることになります。
ただ、この【事例2】の場合、2月の窃盗罪については、すでに確定判決を受けている1月および3月の窃盗罪との関係が問題となります。
これは、まさに、刑法45条の後段の規定する「ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする」とされているものに該当します。
そこで、2月の窃盗罪と、1月および3月の窃盗罪とは、刑法45条後段の規定する事後的併合罪となります。
ただ、この場合、1月と3月の窃盗罪については、すでに処断され、確定しているので、その量刑や宣告をやり直すことなどはできません。
そこで、この場合、2月の窃盗罪については、1月・3月の窃盗罪と併合罪であることが考慮されて、執行段階で調整されることになります。具体的には、刑法50条、51条が規定しているところです。
(余罪の処理)
第50条 併合罪のうちに既に確定裁判を経た罪とまだ確定裁判を経ていない罪とがあるときは、確定裁判を経ていない罪について更に処断する。
(併合罪に係る2個以上の刑の執行)
第51条 併合罪について2個以上の裁判があったときは、その刑を併せて執行する。ただし、死刑を執行すべきときは、没収を除き、他の刑を執行せず、無期の懲役又は禁錮を執行すべきときは、罰金、科料及び没収を除き、他の刑を執行しない。
2 前項の場合における有期の懲役又は禁錮の執行は、その最も重い罪について定めた刑の長期にその2分の1を加えたものを超えることができない。
以上のとおり、「併合罪」は、同時審判の可能性のある(あった)数罪です。この場合は、原則として、同時に審判し、全体を見据えたうえで科刑の調整をすることが妥当と考えられています。
また、確定判決のあった後に余罪が発覚した場合には、裁判は2つに分かれてしまいますが、もともとが併合罪関係であったので、その余罪の裁判の際に、一定の調整が図られている、ということにされています。
これに対して、単純数罪は、もともと同時審判の可能性がない数罪です。この場合は、特に科刑上の調整はなされず、別々に科刑され、執行されます。
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(3)併合罪に対する科刑の調整
併合罪については、原則的には同時に審判され、1つの手続の中で全体を考慮したうえでの妥当な科刑するという扱いがなされています。
では、具体的にはどのような扱いがなされているのでしょうか?
併合罪の科刑についての立法例としては、併科主義、吸収主義、加重主義の3つがあり、わが国の場合は、①罰金・拘留・科料と他の刑については併科主義、②死刑・無期懲役・禁錮については吸収主義、③有期懲役・禁錮については加重主義をとっている。④2個以上の罰金刑については、多額の合計以下で処断すべきものとされており、結果的には「併科主義」に近いものですが、1個の罰金刑として科されるため、加重主義の一種と解されています。
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なお、ここで注意しておいていただきたいのは、有期懲役・禁錮について適用される加重主義です。
この場合の加重の内容は「併合罪のうちの2個以上の罪について有期の懲役又は禁錮に処するときは、その最も重い罪について定めた刑の長期にその2分の1を加えたものを長期とする。ただし、それぞれの罪について定めた刑の長期の合計を超えることはできない」とするもので、原則的には、最も重い罪の刑の長期の1.5倍の範囲で処断するということになります。しかし、ただし書きによって、各罪の刑の合計を超えることができないとされているのは、併科主義を超えないという意味です。
つまり、加重主義という名称は、吸収主義に比べれば「加重」ですが、併科主義に比べればむしろ「減軽」主義といってよい内容です。
実際、各犯罪について個々別々に科刑される「単純数罪」の場合と比較して、併合罪という処理自体が、全体を考察しての刑の調整ですから、もともとが「減軽」の方向へと働いているものです。
ですから、この点において「併合罪加重」などという表現は、極めて誤解を招きやすい用語だと思います。
なお、事後的併合罪に対する執行段階での扱いは、同時的併合罪について同時審判がなされた場合のこのような処理が被告人にとって有利であることを前提に、同時審判がなされなかった場合の不利益を執行段階である程度是正しようというものです。
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2 観念的競合・牽連犯
(1)科刑上一罪
併合罪について規定しているのは、刑法の第9章の「併合罪」の章ですが、その最後の条文で、観念的競合と牽連犯について規定しています。
実際、そこで規定されている2つの場合も、概念的には刑法45条前段が規定する「併合罪」の概念に該当しますから、観念的競合、牽連犯は、概念的には併合罪の特殊な場合といえます。
そして、これらに対しては扱いも特殊で、成立する各罪の「最も重い刑によって処断する」とされています。つまり、扱いとしては、科刑をする上では最も重い1罪によって処理するということであり、そのため「科刑上一罪」と呼ばれています。
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(2)観念的競合
観念的競合は、刑法54条1項前段が規定している場合で「1個の行為が2個以上の罪名に触れる場合」です。
すでのこの講座の中でも、「予定外事実の併発」の事例として登場した、1発の弾丸で2人を死亡させたというような場合がこれにあたります。
(3)牽連犯
牽連犯は、刑法54条1項後段が規定している場合で、「犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるとき」がこれにあたります。これは、どのような場合を意味しているのかが、一読して理解しがたいものですが、2つの場合を規定しています。
2つの犯罪が、目的・手段の関係にある場合
2つの犯罪が、原因・結果の関係にある場合
この成立する2つ犯罪が、このいずれかの関係にある場合に「牽連犯」として扱われます。
牽連犯の例としては、他人の住居に侵入して窃盗をした「住居侵入窃盗」や、文書を偽造したうえで、これを行使する「文書偽造・同行使」などが典型例といえます。
2つの犯罪が「目的・手段」の関係に立つ牽連犯の場合、行為者が主観的に、一方を他方の手段としたというような関係があればよいのか、という問題がありますが、判例は、その犯罪間に罪質上、手段・結果の関係が必要であると解しています。
第4 罪数関係の整理
1 行為と結果で関係を整理してみる
ここまでで、単純数罪、併合罪、観念的競合、牽連犯について見てきました。単純数罪の場合は、特の科刑上の調整はありませんでしたが、その他の場合には、調整が図られていました。
そして、併合罪、観念的競合、牽連犯について説明された内容自体は、この限度では特に難しものではないと思います。
ただ、罪数がなかなか「理解した気」になれないのは、それを俯瞰する視点が与えられないからです。そこで、これらの関係についてどう整理することができるか、ということを考えてみることにしましょう。
山口先生は、一罪とするか数罪とするかを区別するうえで重要なのは結果であると主張していました。
ただ、それはそのとおりであるとしても、観念的競合の場合には、結果が複数であるにもかかわらず、行為が1個であることによって、実質上一罪と同じ扱いがなされることとされています。
つまり、実際には、結果だけでは説明ができず、行為も考慮される、ということです。
そこで、この「結果」と「行為」という2つの観点から関係の整理を試みたらどうなるでしょうか?
試しに「結果」を縦軸に、「行為」を横軸にとって、下のようなマトリックスを作ってみます。
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そして、このマトリックスの中で、単純一罪、併合罪、観念的競合、牽連犯がどこに位置づけられるのかを考えてみることにします。
これは、次のようになると考えられます。
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単純一罪、観念的競合、併合罪については、位置づけることが可能です。
ところが、上のマトリックスでは、牽連犯の収まる場所がありません。
また、それと同時に、右上の枠「行為2+結果1」というのは、いったい何と呼ばれるものなのか、ということも疑問になるでしょう。
そこで、このマトリックスの枠を増やしてみることにします。どうするのかというと、下の図のような感じにしてみます。
「行為1.5」と「結果1.5」というものを加えてみました。
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これは何を意味するのかと言うと「行為1.5」というのは、行為が1個に準ずる場合という意味です。そして「結果1.5」というのは、結果が1個に準ずるという場合です。つまり、厳密に言えば2つだが、その2つの関係が非常に密接であるという場合です。
まあ、あまりスマートな表現ではありませんが、「準」などと書くよりは、パッと見た印象でイメージしやすいので「1.5」と表記することにしました。
ちなみに、大学で教えていた当時、大学近くの寿司屋のランチメニューに「並1.5」というのがあって、通常の「並」の1.5倍の量でした。
ともあれ、先ほどの4つのマトリックスに対して「行為」「結果」のそれぞれについて「1個に準ずる場合」を加えることで、枠は9つになりました。
さて、そうした調整を加えたことで、ようやく牽連犯がどこに位置づけられるのか、ということが見えてくるでしょう。下段の真ん中です。
つまり、厳密に言えば2つの行為ではあるものの、それらの間に「目的・手段」「原因・結果」といった密接な関係があるため、これらを有機的に関連した一連の行為として「1個の行為に準ずる場合」と捉えているのだ、と理解することができます。
そのために、「1個の行為」で2個以上の結果を発生させた観念的競合に準じて、同じく科刑上一罪として扱われているのだ、と理解することができます。
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また、このマトリックスを眺めてみると、下段の「結果2」つまり「結果が2つである場合」は、数罪であることが解ります。
つまり「結果」の数によって罪数が決まるということです。
そして、この場合の原則的な形態が、右の「行為2+結果2」の併合罪です。これに対して、観念的競合と牽連犯では、行為が1個または1個に準ずる特殊な場合なので、「科刑上一罪」として科刑が調整され、実質的には一罪と同様の扱いがされているのだ、ということが見えてきます。
とすると、次の問題は、単純一罪、観念的競合、牽連犯、併合罪を除くその他の5つの枠の場合が、どのように扱われるか、ということでしょう。
そこで、まず、単純一罪とその周辺にある3つの枠について、どのような事例がこれに該当するのか、ということを見てみましょう。次のとおりです。
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このうち、単純一罪の場合は、もちろん一罪として扱われるのでよいのですが、その他の3つは、罪数処理上どのように扱われるのでしょうか?
……ですが、その前に、法条競合と包括一罪というものについて、知識の確認をしておきましょう。
2 法条競合と包括一罪
(1)法条競合
法条競合とは、何か?
まず、法条競合をめぐっては、法条競合というものが、どの範囲のものを意味するのか、ということ自体にも争いがあり、この点は、後でも説明します。
ただ、ここでは差し当たり、ある犯罪事実について、複数の法条が適用されるように見えながら、法条相互の関係によって1つの法条だけが適用されて1つの犯罪が成立するとされる場合、として話を進めたいと思います。
そして、このような法条競合としては、①特別関係、②補充関係、③択一関係、④吸収関係の4つに分けて説明するのが、従来からの通説的見解と言えます。
ア 特別関係
特別関係は、適用されるように見える2つの法条の間に、いわゆる特別法・一般法の関係がある場合です。
法と法の相互間の優先・劣後の関係を規律するルールの1つとして、「特別法は一般法を破る」というものがありますが、その1つの適用場面と言えます。
より広い適用範囲をもつ法条(A)と、その範囲内のより狭い範囲を適用範囲とする法条(包摂された法条:B)とが存在する場合、前者(A)が一般法、後者(B)が特別法となるので、後者(B)が優先的に適用され、前者(A)の適用は排除されます。
その例としては、①横領罪と業務上横領罪があります。
刑法
(横領)
第252条 自己の占有する他人の物を横領した者は、5年以下の懲役に処する。
2 自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。
(業務上横領)
第253条 業務上自己の占有する他人の物を横領した者は、10年以下の懲役に処する。
業務上横領罪の構成要件は、横領罪の構成要件に「業務上」という要素(業務者という身分)が付加されて作られています。その意味で、業務上横領罪は横領罪に包摂され、より狭い範囲の適用範囲をもつものなので、こちらが特別法として優先適用されます。
業務上横領罪(253条)の法定刑は、単純横領罪(252条1項)の法定刑よりも加重されていますが(加重類型)、必ずしも法定刑の重いほうが特別法というワケでもありません。
②殺人罪と同意殺人罪とでは、同意殺人罪のほうが法定刑は軽く作られていますが、こちらのほうが特別法として優先適用されます。
(殺人)
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
(自殺関与及び同意殺人)
第202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。
イ 補充関係
補充関係は、一方の法条(A)が、他方の法条(B)が適用されない場合に備えて、その補充として用意されているという場合です。このような趣旨から補充として用意された法条(A:補充法)は、本来の法条(B)が適用される場合には適用されません。
補充関係の典型は「前2条に規定する物以外の物を焼損し」などというように、その条項が他の条項が適用されない場合に補充的に働くことが明示されている場合です。ただ、条文上にそのような明示がなくても、解釈上そのように理解される場合もあるとされます。
補充関係の例としては、①建造物等放火罪と建造物等以外放火罪、②殺人罪と殺人未遂罪、殺人予備罪、③傷害罪と暴行罪などがあるといわれます。
(現住建造物等放火)
第108条 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
(非現住建造物等放火)
第109条 放火して、現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいない建造物、艦船又は鉱坑を焼損した者は、2年以上の有期懲役に処する。
2 前項の物が自己の所有に係るときは、6月以上7年以下の懲役に処する。ただし、公共の危険を生じなかったときは、罰しない。
(建造物等以外放火)
第110条 放火して、前2条に規定する物以外の物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者は、1年以上10年以下の懲役に処する。
2 前項の物が自己の所有に係るときは、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
(殺人)
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
(予備)
第201条 第199条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の懲役に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。
(未遂罪)
第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。
(傷害)
第204条 人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
(暴行)
第208条 暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
※包摂関係(大小関係)
ところで、ここまでで説明した「特別関係」と「補充関係」については、実は、同じものであって、区別する必要はないのではないか、と山口先生は指摘し、なぜなら、いずれも一方が他方を包摂する関係にあるという意味では同じだからだと主張します。
この指摘は、ある意味もっともだと言えます。なぜなら、殺人未遂罪は、殺人既遂罪の「実行行為」と「構成要件的故意」とから出来ており、暴行罪は、傷害罪(結果的加重犯)の「実行行為」と「実行行為の認識」から出来ているからです。つまり、そこには、一方は他方を包摂しており、他方は一方の一部であるという関係(大小関係)が成り立っているとみることができます。
そこで、山口先生は、この「特別関係」と「補充関係」とは、合わせて「包摂関係」または「大小関係」と呼べばよいとします。
この山口先生の指摘は「オオオ~ッ! なるほど~!」という感じがするでしょう?
ただ、疑問もあります。
確かに、殺人罪と殺人未遂罪とは大小関係といえるかもしれません。しかし、殺人罪と殺人予備罪、殺人未遂罪と殺人予備罪の関係を考えると、これでは説明できないでしょう。殺人未遂罪の実行行為は、殺人罪と同じですが、予備罪の構成要件的行為である予備行為は、殺人罪(殺人未遂罪)の実行行為とは別個の準備行為です。つまり、殺人予備罪には殺人罪(殺人未遂罪)には含まれない要素があるので、ここには包摂関係は成立しません。そうすると、殺人罪(殺人未遂罪)が成立する場合に、殺人予備罪が成立しないのはなぜか、ということになります。もし、これを補充関係で説明するのであれば(通説はそう説明します)、補充関係は、大小関係ではない(少なくとも、大小関係でないものを含む)ということになるでしょう。
また、傷害罪と暴行罪の関係についても、疑問があります。確かに、結果的加重犯としての傷害罪だけを考えるのであれば、傷害罪と暴行罪とは大小関係です。けれども、傷害罪には、暴行罪の結果的加重犯としての傷害罪のほかに、故意犯としての傷害罪があり、その実行行為は暴行ではありません。そうすると、傷害罪の構成要件の中には、暴行という要素を持たない部分があるということになります。そうすると、傷害罪と暴行罪の関係も、単純な大小関係とは言えないこととなりそうです。
ですから、従来、通説が「補充関係」として説明してきたもののいくつかは、大小関係として(言い換えれば、特別関係としても)説明することができるように思いますが、全部が全部というわけではないように思えます。
ウ 択一関係
択一関係は、複数の構成要件が、互いに矛盾する内容をもち、排斥し合う場合であると説明されます。
その典型例は、①窃盗罪と横領罪の関係です。窃盗罪は、他人の占有する物についてその占有を占有者から奪う場合に成立します。これに対して、横領罪は、自己の占有する他人の物を領得した場合に成立します。つまり、客体の占有が他人にあれば、窃盗罪の客体であって横領罪の客体ではなく、客体の占有が自分にあれば、横領罪の客体であって窃盗罪の客体ではありません。そこで、客体の占有が他人にあるのか自分にあるのかによって、窃盗か横領かは二者択一となり、その行為者の行為が概念上、窃盗罪の構成要件にも、横領罪の構成要件にも該当する、ということはあり得ません。窃盗罪が成立するのであれば、横領罪は成立し得ず、横領罪が成立するのであれば、窃盗罪は成立し得ません。択一関係は、このように相互に排斥し合う関係であることから「排斥関係」とも呼ばれます。
ただ、択一関係の概念がこのようなものであるとすると、そもそもこれは法条競合なのか、という疑問が湧いてくるでしょう。そして、そういう見解も有力に主張されています。
そもそも法条競合は、犯罪の競合を扱うものです。犯罪の競合は、内実性という面から言えば、どちらの犯罪の要件も充たしているという場合です。このような場合に、2つの犯罪がそれぞれ成立するのか、他の条項との関係でどちらか一方の犯罪しか成立しないことになるのか、という包括性を問題とするものです。
こうした面から見たとき、客体が自己の占有するものである場合に窃盗罪が成立せず、客体が他人の占有する物である場合(自己の占有する物でない場合)に横領罪が成立しないのは、いずれも内実性の問題です。
ですから、内実性を理由にどちらか一方の犯罪しか成立し得ないというのであれば、それは犯罪の競合以前の問題だということになり、法条競合の問題ではない、ということになるでしょう。
私もこの考え方に賛成です。どちらか一方しか成立しないという択一関係の場合の結論はそのとおりであるとしても、これは法条競合の仲間には加えないほうがよいと思います。
ところで、通説は、同じように択一関係に該当する場合として、②横領罪と背任罪の関係を挙げます。しかし、このことが原因となって「択一関係」とはいったい何であるのか、ということをめぐり、議論が混迷を極めているように思います。
(横領)
第252条 自己の占有する他人の物を横領した者は、5年以下の懲役に処する。
2 自己の物であっても、公務所から保管を命ぜられた場合において、これを横領した者も、前項と同様とする。
(背任)
第247条 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
そもそも、横領罪と背任罪の関係という論点は、刑法各論の中でも極めて難しい一大論点であって、いろいろな説が錯綜しています。一応、横領罪が成立する場合に背任罪が成立しないという結論自体は一致しています。しかし、なぜそういう結論になるのかや、両罪がどのような関係に立つのかということについては、学説に厳しい対立があります。
この点、通説が両罪の関係を「択一関係」だと言っているのは、横領罪と背任罪の関係は、あたかも窃盗罪と横領罪の関係と同様に、概念上排斥し合う関係だと主張しているということになります。つまり、通説によれば、概念的には、
(A)横領罪に該当する場合
(B)背任罪に該当する場合
(O)どちらにも該当しない場合
の3つがあるということです。
※交差関係
これに対して、平野先生や山口先生などは、両罪の関係をこのようなものとは捉えません。両罪は、重なり合う部分を持つ関係(いわば2つの円が交じり合う関係)だとします。そこで、ある行為者の行為は、
(A)横領罪だけに該当する場合
(B)背任罪だけに該当する場合
(AB)横領罪にも背任罪にも該当する場合
(O)どちらにも該当しない場合
の4つがあるとします。
そのうえで(AB)の場合は、法条競合の結果として横領罪が優先して成立し、背任罪は成立しなくなるとし、このような場合こそが「択一関係」だと説明します。つまり、択一関係は、排斥関係ではなく、2つの適用領域が交差する関係、すなわち「交差関係」だと言うのです(ですから、平野先生、山口先生などに言わせれば、窃盗罪と横領罪の関係は択一関係ではない、ということになります)。
以上の説明を図示すると次のようになります。
通説が択一関係を排斥関係と捉えるのに対し、
平野先生・山口先生などは、交差関係と考えるべきだと主張するワケです。
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ところで、山口先生などが主張する、この「交差関係」という主張に対しては有力な批判があります。山中敬一先生の批判です。
択一関係は論理的には排斥関係にある。交錯関係にある場合を択一関係というとしても、その際、どちらかがどちらを排除するかを決定する原理が含まれているわけではない。未成年者誘拐罪と営利誘拐罪は、補充関係の一つである。
山中先生が最後の文で挙げている未成年者誘拐罪と営利誘拐罪の関係は、論理的な構造としては交差関係(交錯関係)です。
つまり、この場合、パターンとしては
(A)未成年者誘拐罪に該当する場合(未成年者を客体として誘拐)
(B)営利誘拐罪に該当する場合(人を、営利等の目的で誘拐)
(AB)両方に該当する場合(未成年者を営利等の目的で誘拐)
(0)どちらにも該当しない場合
の4つがあり、このうち(AB)の場合には、営利目的誘拐罪が成立するとされるのですが、単に「交差関係」というだけでは、なぜ、未成年者誘拐罪ではなく、営利誘拐罪が成立するのかを決める原理がない、と山中先生は指摘します。そのうえで、このような交錯(交差)関係の場合に、一方を他方の補充法を理解して優先劣後の関係を決めているのが、補充関係であるから、この場合は、補充関係であると説明するワケです。
確かに、交差関係というだけでは、A罪とB罪のどちらが成立するのかについては、A罪が成立する、B罪が成立する、のどちらの考え方も平等にあり得るということになりますし、さらに言えば、両条項間に何らかの優先劣後の関係(原理)が存在しないのであれば、両罪が成立して併合罪になるという考え方も成り立ちます。その意味で、山中先生の指摘はもっともでしょう。
ですから、山中先生の主張に従ったうえで、横領罪と背任罪の関係が、交差関係であるとするなら、背任罪は横領罪の補充法であると説明すべきことになります。
もっとも、山中先生自体は、横領罪と背任罪の関係を「排斥関係」つまり「択一関係」であると考えています(山中前掲書1049頁)。だから、山中先生は、未成年者誘拐罪と営利誘拐罪を例に挙げているわけです。
また、横領罪と背任罪の関係については、特別関係(大小関係)であるという説もあります(植松正など)。
こうした事情から、択一関係をめぐっては、それが法条競合の一種なのかどうかということも含め、議論が錯綜していると言えます。
エ 吸収関係
吸収関係は、各法条間に一方が成立するときは、他方を吸収するという関係がある場合と説明されます。
吸収関係の例としては、①殺人罪が成立する場合には、その殺人行為に随伴して発生した器物損壊については器物損壊罪が成立しないことや、②窃盗罪が成立する場合にはその窃取した財物を毀棄した際に器物損壊罪が成立しないこと、などが例として挙げられます。②の例は、一般に「不可罰的事後行為」とか「共罰的事後行為」などと呼ばれています。
ではなぜこのような吸収関係が認められるかというと、一方の犯罪が遂行される場合に他方の犯罪的結果を随伴すること通常であって、それゆえにその犯罪の法定刑はそのことをも踏まえたうえで定められていると考えられるからです。つまり、一方の犯罪の成立によって他方がすでに評価し尽くされていると考えられる場合に、このような吸収関係が認められることになります。
※吸収一罪(包括一罪の一種)
ところで、山口先生などは、この吸収関係を法条競合の一種ではなく、包括一罪の一種と位置づけます。山口先生によれば、包括一罪とは、複数の法益侵害事実が存在するが、1つの罰条の適用によってそれを包括的に評価できる場合だからです。そして、吸収関係は、まさにこれに該当するので、包括一罪に分類されるというわけです。
(2)包括一罪
包括一罪(狭義)は、形式的・分析的に観察すれば複数回、構成要件に該当するように見えるが、実質的・包括的に評価して一罪(科刑上一罪)として処理される場合をいいます。
包括一罪の例として上げられるのは、次のような場合です。
①1つの行為で、同一所有者に属する複数の財物を損壊した場合、1個の器物損壊罪が成立する。
②拳銃を3発撃って死亡させた場合、1個の殺人罪が成立する。
③短時間に、同一占有者に属する複数の財物を窃取した場合、1個の窃盗罪が成立する(接続犯)。
④常習賭博罪やわいせつ図画販売罪のような、常習犯や営業犯の場合、複数の行為を全体として1罪が成立する(集合犯)。
①の場合は、仮に、1つの行為で「異なる所有者に属する複数の財物を損壊した場合」であれば、観念的競合となり、科刑上一罪となります。これに対して、同一の所有者に属する場合は、形式的には複数の財物ですが、同一被害者の財産を侵害したという意味では、1個の財物を侵害したという場合により近いと言えます。
②は、形式的には3回引き金を引いており、3個の行為とも言えますが、2個の殺人未遂と1個の殺人罪の併合罪とするのは、かなり奇異な感じのする場合です。法益侵害は1個ですし、行為も1個と言ってもよい感じさえするでしょう。
③は、②よりは結果の発生が順次的で、行為も反復的で、複数であることは明らかですが、分割して把握することが不自然に感じられる事案です。こういうものは「まとめて1個」と言ったほうが自然な感じがすると思います。
④の場合の「常習」や「営業」というのは、そもそも行為が反復継続されることが犯行態様として当然に予定されていると考えられ、この場合もこれを個々の行為に分解して評価することが不自然に感じられる場合と言えるでしょう。
そこで、このような場合は、分析的に観察すれば数回の構成要件的評価となり、性質的には数罪であるものの、(明文はないが、解釈上)観念的競合や牽連犯の場合と同様に、科刑上一罪として処理するのが包括一罪だと言うことができます。
もっとも、通説は、この場合にも「包括一罪」という概念を使わず、構成要件の同質的包括性・異質的包括性の問題として「本来的に一回の構成要件的評価がなされる場合」と説明しています。つまり、通説では、これらの場合は、科刑上一罪の問題ではなく、本来的一罪の類型として位置づけられることになるわけです。
(3)まとめ
以上説明したところを、整理したのが下の図です。

3 罪数処理に関するまとめ
話を最初に戻しましょう。
罪数処理を整理するにあたって、「行為」と「結果」の数を横軸・縦軸にとってマトリックスを作ってみました。

最初、4マスのものを作りましたが、これでは牽連犯の位置づけも解らないので、「1」と「2」の間に「1.5」という軸を加えて、9マスのマトリックスを作りました。これで、マス内に「牽連犯」を位置づけることができました。

この9マスに、1~9の番号を振ったものが次の表です。

この9マスのうち、内容が判明しているのは、次の4つです。
1=単純一罪
7=観念的競合
8=牽連犯
9=併合罪
そこで、次に、2、4、5を明らかにするために、法条競合と包括一罪について学びました。

その結果、2、4、5のそれぞれの事例については、次のように処理されることが解りました。

これにより、1、2、4、5についても、どのように処理すべきかが判明しました。

1については、単純一罪ですから「1罪」として処理されることが明らかですが、行為もしくは結果またはその双方が「1.5」となっている、2、4、5についても、法条競合または包括一罪として「1罪」として処理されているということが判りました。
さて、そうすると、残りは、3と6のマスです。これらは、どのような事例でしょうか?

まず、マス3は、行為が2つ、結果が1つという場合ですが、次のような事例がこれにあたると考えられます。
【事例1】自動車の運転を誤って被害者に重傷を負わせたが、殺意をもって放置して逃げ、死亡させた。
この場合、行為としては、過失で被害者に車を衝突させるなどした行為と、重傷を負った被害者を放置して逃げた行為とがありますが、これらを2罪として評価し、過失運転致死罪と殺人罪(保護責任者遺棄致死罪)の併合罪としてよいかということが問題となります。
また、次の事例もこれにあたります。
【事例2】殺人の目的で、同一人に対し、日時場所を異にして数回にわたり攻撃を加え、はじめは着手未遂に終わったが、最終的に目的を遂げた。
この場合、被害者を殺害しようとした行為は数個存在しますので、数個の殺人未遂罪と1個の殺人既遂罪の併合罪とすべきか、1個の殺人既遂罪とすべきかということが問題となります。
また、マス6にあたる事例としては、次のような場合があります。
【事例3】無銭飲食をした後、代金を踏み倒すために、店主に対し、反抗を抑圧する程度の暴行を加えて逃走した。
この場合、騙して飲食物を詐取した行為と、店主に暴行を加えて代金を踏み倒した行為の2つがありますが、これらを別々に評価して、詐欺罪(1項)と強盗罪(2項)の成立を認めて併合罪としてよいのか、それとも強盗罪(2項)のみ認めるべきか、ということが問題となります。
これらの場合に、なぜ併合罪として処理することが躊躇われるかと言えば、行為は複数であっても、結局のところ、侵害された法益が実質的には1つだからです。
もっとも【事例3】の場合は、被害財産は、形式的には提供された飲食物と飲食代金の2つだとも言えますが、この2つは店が両方を取得できる性質のものではないので、実質的には1個の経済的利益だけが被害財産です。ですから、実質的には法益侵害は1個と評価できます。
このように【事例1】~【事例3】では、法益侵害は実質的には1個であるのに、それにもかかわらず、科刑上も「数罪」である併合罪として処理することは、1つの法益侵害を二重に評価して処罰することになるのではないか、と考えられます。つまり、責任主義に反するのではないかと感じられるので、それが問題となっているわけです。
ですから、この場合は、結論的に言えば、包括一罪と解するか、法条競合(吸収関係)と解することによって、少なくとも科刑上は一罪として処理することが妥当と考えられます。

以上により、1~9のマトリックスのすべてに結論がつきました。
結論的には、行為または結果が1個または1個に準ずる場合には、一罪のみが成立するか、観念的には数罪が成立するとしても一罪として処理すべきであるという結果に到達しました。
そうすると、最後の問いは、なぜそうなのかということです。
これについては、一応、次のように言えると思います。
行為が複数でも、結果が1個または1個に準ずる場合には、違法が一罪に準じて少ないから
結果が複数でも、行為が1個または1個に準ずる場合には、責任が一罪に準じて少ないから
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第4 おわりに
いやいや、お疲れ様でした。
罪数論は、正直言えば、まだ刑法各論をやっていない人が、刑法総論の終わりに学ぶというには、かなり無理のある領域です。ですから、今回の内容がチンプンカンプンでも、ショックを受けず、刑法各論が終わってから、もう一度戻ってきてください。
罪数論は、初めにも言ったように、学説が錯綜していて、ホントに学びにくい領域です。今回は、代表的な2つの学説の流れ、団藤先生と山口先生の説を軸にして解説をしましたが、どちらがよいのか迷うところもあったと思います。そこで、最後にいくつかの点について私見を述べて置きたいと思います。学説を選択するための一助になればと思います。
1 特別関係と補充関係
山口先生は、この2つは「包摂関係」としてまとめます。つまり、特別関係と補充関係は、どちらも包摂関係(大小関係)だから区別する意味はない、と言います。そして、これとは別の法条競合として「交差関係」を「択一関係」と呼ぶことを提唱します。つまり、法条競合を「包摂関係」と「択一関係=交差関係」の2つに整理します。
これに対して、山中先生は、この整理に反対します。そして、山中先生は、
特別関係 = 包摂関係(大小関係)=特別法は一般法を排斥する
補充関係 = 交差関係(交錯関係)=基本法は補充法を排斥する
と整理したうえで、特別関係や補充関係のような決定原理のない「交差関係」という概念では、何罪が成立するのか決定できない、として「交差関係」を批判します。
この議論については、基本的には山中先生の主張のほうに説得力があるように思います。
というのも、包摂関係(大小関係)については、特に決定原理がなくても、包摂される側が優先的に適用されなければならないことが論理的に帰結されます。なぜなら、包摂する条項のほうが優先適用されたら、包摂される条項の適用場面がなくなってしまうからです。これは、さすがにおかしいので、包摂される側が優先適用されるという結論が論理的に導かれます。
けれども、交差関係の場合はそうではありません。本文でも書いたように、A罪が優先するか、B罪が優先するかは、論理的には決まりません。両罪が成立して併合罪になるという可能性も否定されません。ですから、そこには、条項の適用順序を決める決定基準が必ず必要となります。
ただ、特別関係=包摂関係、補充関係=交差関係というのは、ちょっと違うのではないかと感じています。
例えば、両条項が特別法・一般法の関係に立つ場合でも、両者が交差関係という場合もあるのではないかと思えます。逆に、両条項が包摂関係に立つ場合でも、補充関係という場合もあるのではないか、と。
例えば、保護責任者遺棄罪と単純遺棄罪とは、趣旨からすれば、前者は後者の加重類型で、前者が特別法、後者が一般法と解されます。けれども、保護責任者遺棄罪の「遺棄」概念は、不作為形態を含むものとして単純遺棄罪の「遺棄」概念よりも広く解されており、そのために両者は包摂関係とはならず、交差関係です。
また、建造物損壊罪と器物損壊罪とは、その条項の規定形式からして、建造物損壊罪を基本法、器物損壊罪を補充法とする明示的補充関係であることは明らかです。けれども、両者の関係は、交差関係ではなく、包摂関係でしょう。
ですから、条文の適用範囲の論理的構造と、適用の優先劣後を決める決定基準(特別法・一般法なのか/基本法・補充法なのか)ということは、一直線には結びつかないように思います。決定基準が特別関係か補充関係かは、ある条項が他の条項との関係で、どういう趣旨で設けられているのか、ということによって決まります。つまり、ある条項の特別法として設けられたのか、ある条項の補充法として設けられたのか、です。そしてこれは、包摂関係、交差関係という両条項の適用範囲の論理的関係とは直接結びつかない、どちらもある、と考えておいたほうがよいように思います。
2 包括一罪(狭義)という概念の要否
山口先生などが包括一罪(狭義)によって処理を説明する場面を、通説では、包括一罪という概念を使わず、「一回の構成要件的評価がなされる場合」と説明します。そこで、次の①から④のような場合は、通説的な立場からは、構成要件的には一回と評価されるのだ、と説明することになります。
①1つの行為で、同一所有者に属する複数の財物を損壊した場合、1個の器物損壊罪が成立する。
②拳銃を3発撃って死亡させた場合、1個の殺人罪が成立する。
③短時間に、同一占有者に属する複数の財物を窃取した場合、1個の窃盗罪が成立する(接続犯)。
④常習賭博罪やわいせつ図画販売罪のような、常習犯や営業犯の場合、複数の行為を全体として1罪が成立する(集合犯)。
通説によれば、構成要件に1回該当するとされるので、本来的に一罪となります。これに対して、山口先生などの立場からは、本来的には構成要件に複数回該当しているのだけれども、科刑上一罪として処理している、ということになります。
ここで問題となるのは、上記の①から④のような場合は、そもそも犯罪は1個なのか数個なのか、ということです。
1個という概念は、法律学においてたびたび問題となりますが、なかなかに奥深いものです。
民法においては、1個の所有権の客体として、1個の物が問題となります。物の1個は、比較的解りやすいものですが、それでもよく解らなくなる場面はあります。例えば、1袋のお米がある場合、その所有権は1個なのか、それとも米粒の数だけあるのかは、問題となります。「米粒の数だけ」という考え方は、物理的にはそうなのかもしれませんが、何か常識に沿わない感じもするでしょう。そうすると、1袋のお米には、1つの所有権が成立することとなりそうです。しかし、そうすると、お米を2つの袋に分けると、所有権が2つに分かれることになります。さらには、お米を分けようとしたときに、過って地面にばら撒いてしまったらどうなるでしょうか? 地面に散乱した無数のお米の所有権は、何個でしょうか?
さて、何をもって1個とするか(一個性)という問題について、比較的解りやすそうに思える「物」についてさえ、このような困難な問題があります。
いわんや「行為」の一個とは、いったい何を基準に判断すべきものなのでしょう?
相手に対して一発殴ったら、それは一個なのでしょうか? そして、2回殴ったら2個になるのでしょうか? では、メチャクチャに殴ったら何個でしょうか? 100回手を振れば100個でしょうか? でも、当たったのが50回だったら、それでも100個でしょうか? もう訳が分からないですよね?
この場合に「いや、こういう場合は、もうまとめて1個なんだよ。構成要件的には1回と評価するんだよ」と言えば、通説的な説明になるでしょう。
他方「何回とは言えないけれども、複数回あることは間違いない。だから、数罪ではあるんだけど、どうせ科刑上は一罪と考えるので、1回1回は重要ではなく、そこを問題にしなくてもよい、ということなんだよ」と説明するのであれば、山口先生的な説明になるでしょう。
まあ、事案によっては「1回と構成要件的に評価される」と説明したほうが自然な場合もありますが、いろいろな場合があることを考えると、すべてを「一回的な評価」という言い方で押し切ることには無理がありそうな気がしますので、包括一罪(狭義)という概念があったほうが便利なのかな、という感じはします。
3 御礼とお詫び
最近、このnoteを発見して、「スキ」をくれたり、フォローをしてくれる方が増えました。本当にありがたいことです。
読んでくださるみなさんに、心より御礼を申し上げます。
それにもかかわらず、昨年2024年は、本業の忙しさもあって、まあ、ほとんど更新できていませんでした。
反省します。
今年はもう少し頑張って更新したいと思います。
もはや2025年も、2月が終わろうとしていますが、決意表明です!(笑
なお、今回の記事を書くにあたっては、山中敬一先生の『刑法総論〔第3版〕』(成文堂・2015年)でかなり勉強し直しました。
この本は、本文だけで1152頁もある、枕になりそうなくらいに分厚い本ですが、本当によい本です。特に「罪数論」のような、ある領域だけをちゃんと押さえてしまおうという場合には、本当にオススメです。通読するのは大変だと思いますが、買っておいて絶対に損のない本だと思います。
この記事を読んでよく解らないと感じたら、ぜひ山中先生の本で確認してみてください。