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【過去記事】−アレキシサイミア− 感情を失うに至った経緯と苦悩を当事者が語る。

アレキシサイミアとは

アレキシサイミアとは,シフネオスという精神科医が提唱した性格特性です。日本語では失感情症という言葉で表されます。失感情症と聞くと,多くの人は「元々存在していた感情が失われた」というイメージを持つかもしれませんが,そうではありません。失感情症は,感情を感じる能力が失われている状態を指すものなのです。

◇ アレキシサイミアの特徴

さまざまな研究が行われれる中で,いくつかの特徴が挙げられるようになりました。e-ヘルスネットから引用させていただき,紹介させていただきます。

・自分の感情がどのようなものであるか言葉で表したり、情動が喚起されたことによってもたらされる感情と身体の感覚とを区別したりすることが困難である。
・感情を他人に言葉で示すことが困難である。
・貧弱な空想力から証明されるように、想像力が制限されている。
・(自己の内面よりも)刺激に結びついた外的な事実へ関心が向かう認知スタイル。

e-ヘルスネット

と,ここまでは世間一般で語られているアレキシサイミア(失感情症)について記してきました。

ここからは感情を失うまでの経緯や日常での困りごとについて私の実体験をそのまま赤裸々に記していこうと思います。

以降,アレキシサイミアの表記は「失感情症」に統一します。

[実話] 私が感情を失うまで

私が感情を失った理由を一言で表現すると,両親による虐待です。

私が生まれ育った家庭はとてもへんてこりんな場所で,父親も母親も子どもを望んでおらず,生まれた時点で「迷惑」な存在でした。そんな私は家庭の中で粗大ゴミとして扱われ「償い」を求められることが当然として生きてきました。

そんな中,少しずつ言葉を話すようになり,歩くようにもなり,1歳になった頃には常に,大人以上の大人であることを求められるようになりました。

大人は転んで擦りむいたくらいで泣いたりしません。
大人は大切なおもちゃを盗られたくらいでないたりしません。

だから私も泣いちゃいけなかったのです。
悲しくて悲しくてどうしても我慢ができなかったという理由でも,声をあげて泣くことは厳禁なのです。

誤って泣いてしまったが最後,家の外に放り出され忘れられます。
長い爪を血が出るまで突き立てて「泣き止まないと殺すぞ」と脅されます。

そんな毎日がどうしてもつらくて,苦しくて,私は一生懸命考えました。「どうしたら悲しくても泣かないでいられるんだろう」「どうしたら痛くても我慢できるんだろう」と。毎日毎日ひたすらそのことばかりを考えていました。

そして1年半ほど経ったある日,プールに行く準備が遅いと怒鳴られ引きずられていったその日,ある一つの考えが浮かんだのです。


「感じるからダメなんだ」

2歳の私が手にしたその一瞬のひらめきが,私の人生を変えたのです。

「感じなければいい」

当時の私にとってこの上なく画期的な発明は画期的だからこそ,習得するまでに多くの時間と労力を必要としました。何度も何度もトライするうちにすこしずつ上手くなっていき,泣いてしまう回数は減り,泣くことが理由で命の危機にさらされる回数も減っていきました。


最初に消えたのは,痛みでした。
次に消えたのは,悲しみでした。
怒りが消え… 苦しみが消え…

最後に,恐怖が消えました。

3歳の冬。

この頃には「泣いてしまう」ことで悩むことはなくなり,私は感情を感じることを完全に手放してしまったのです。

[実話] 感情を失くして思うこと

私の場合,いくら生まれた環境が特殊だったとはいえ,感情を感じる能力を手放したのは私です。私はこの決断に少しも後悔はありません。むしろ,感謝しています。あの時,2歳の私が感情を手放さなければ,生き延びることは不可能でした。だからこそ私は,当時の決断に誇りを持っているのです。

しかし,だからといって全てがハッピーかといわれればそうではありません。今も,きっとこれからも,苦労と生きづらさの連続です。

感情を感じられないことの苦労は日常のちょっとした場面で,その顔を覗かせます。たとえば,ご近所さんとの何気ない会話。職場での雑談や,友だちとの何気ない会話。


空っぽの中身で感情のやりとりをする。

これが本当にきついんです。私は学習によって感情を学んだため,自分以外の誰かと関わるときは常に頭を使います。そのため,何気ない短い会話をするだけでものすごく疲れてしまうのです。

また,そんな自分や状況にひどく落ち込んでしまいます。

落ち込んだ時に限って,激しいフラッシュバックを引き起こしてしまったり。否が応でも生きづらさを突きつけられてしまいます。そんなときは今でも死にたくなるし,命を断つための行動に踏み出してしまうこともたまにあります。


楽になりたい… 
今でもどうしても,そう思ってしまうのです。

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました。

どんな過去も,どんな特性も,個性の一つとして差別されることなく自然に受け流してもらえる世の中になったらいいなと心から思います。

が,なかなか上手くはいきません。

でも!そんな世の中にしていきたい。

ということで,未熟ながら活動を始めてみようと思います。
まずは,noteやブログで。
次はInstagramやYouTube,TikTokで。

苦しい毎日の中でも,私の存在や活動がこの世を去らないためのささやかな理由になれたらな,思います。

皆様が自分自身の未来にほんの少しでも希望をもてるよう,がんばります。


2022.11.10. 杉田友希菜

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