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#24 未熟さの痛みと、理想と、罪悪感。

こんにちは、ゆきなです。
もうすぐ11月ですね。あっという間なようで、意外と長い1年もそろそろラストスパートです。私の人生は、今年もたくさんの変化がありました。

そんな中、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

今日は、私個人の懺悔…というか、本音を吐露させていただこうと思います。テーマはタイトルにある通り、『未熟さ・理想・罪悪感のせめぎ合い』です。お時間のある方は、最後までお読みいただけると幸いです。




〝なにがあっても生きていける力を手に入れる〟と誓った

これは忘れようにも忘れられません。私がこの誓いを立てるにあたって、なにか大きなきっかけがあったわけではありません。地球環境や社会問題について詳しく知っていくにつれ募る焦燥感と、その苦しみに飲まれないように、自分はこれからどう生きていけばいいのかを毎日毎日考えることで生まれました。

「なにがあっても」というのは、地球にどのような変化が起こってもという意味で、そのためには自分自身への人気が必要だと漠然とした考えをもっていました。

インターネットが普及し、自由に活動し、お金の稼ぎ方に対する選択肢が増えた今、私の誓いはより達成しやすくなりました。しやすくはなりました…が、ここで自分の内面的な問題が出てきます。


未熟さばかりを痛感する毎日を送る自分は、発信に値するのか?

これ。これです。「だれでも何でも、発信に値する」という答えはわかっています。わかっているというか、知っています。どんな人にも価値があって、どんな発信にもなにかしらの意味はある。バズることが全てじゃないし、今この瞬間にだれにも見られないからといって、価値がないとも言い切れない。そんなことはわかっています。

しかし、この答えは脳が知っているだけで、自分の中で〝正解〟だと思えていないんです。だから、行動するところまでスルリと落とし込めないのです。


人は〝正解〟に導かれる

みなさんはどう思いますか?
私は、人はみな〝自分の中の正解〟に導かれて生きていると確信していいます。この、〝自分の中の正解〟をある人は思い込みと呼び、ある人は無意識と呼ぶのですが、私はあえてこの〝自分の中の正解〟という言い方をしてみようと思います。

この〝自分の中の正解〟が変化すれば、習慣化なんて必要ありません。目標とする行動や、理想の行動ペースが次の瞬間には自分の人生に組み込まれています。それほどまでに、人は正解が好きなんだと思います。

習慣化の詳しい話はこちらの記事にまとめていますので、もしよろしければ参考にしてみてください。



例に漏れず、私も正解が大好きです。失敗や間違った選択はできることならしたくないし、傷つくこともできることならこれ以上したくありません。しかしながら、ネガティブのみを排除することはこの世界ではまだ、できません。


教えることはできない、けれど…

私には今すぐにでも発信したい内容が3つあります。日本語では2つあります。


1つめは、生き方についての深掘り。

これは、このnoteに書いている内容をより詳しく実践的にしたもののイメージです。本質や考え方がもっとも大切なのですが、より具体的な方法論に寄せて、できるかぎり小さなステップに落とし込むことでより多くの人の人生を良い方向に動かせないか、というものです。とくに〝普通〟に苦しむ人たちに届けたいと思っています。


2つめは、ドッグトレーニング。

実は私、イギリスに住んでおりながらシェパードの子犬を少し前に迎えていまして、その子犬をトレーニングする様子とともに、大型犬やワーキングドッグ(仕事をするための犬種)のしつけについて発信したい、というものです。

私の得意はで、インストラクターやトレーナーとしての経験も含め、20年以上携わっているのですが、犬とはまだ実績と呼べる実績がありません。

これは今、ベルギーシェパード・マリノアの翡翠(ヒスイ)の成長と向き合いながら少しずつではありますが、発信をはじめています。ショートを中心に頻度も高めに更新しているおかげで、チャンネル登録をしてくださる方が少しずつ増えてきました!ありがたい!!


実践経験(実績)は少ないけれど、スキルは十分

これは、私が発信したいと思っている2つともに言えることなのですが、自分自身の経験と知識・スキルはあるけれど、教えた経験はまだまだ少ない。

だから、自信がなくて発信をはじめられない。

はい、わかっています。「だから」がただのやらない言い訳であることくらい。今の私は、コメント欄で完全否定されたり、誹謗中傷されるのが怖くて、行動する前に足がすくんでしまっています。否定 = 殺される というトラウマが絶妙に刺激されているのも、手が止まってしまう原因になっています。

パニックやトラウマですらやらない言い訳になっていることはよ〜〜くわかっています。やり始めたら、そこまで気にならない可能性だってあることも知っています。


自分の未熟さを痛感する毎日

〝自分の中の正解〟に変化をもたらせない原因の1つに、この「未熟さを痛感する毎日」というのもあります。どれだけ多くの困難を乗り越えても、課題を解決しても、未熟であることに変わりはありません。

人間は完成できないのです。

人間だけではありません。この世に存在しているすべて、100%完成することはありません。私もまだまだ未熟で、毎日毎日、乗り越えるべき課題や問題に直面します。

「こんなの乗り越えられない…」と弱気になり、諦めてしまいたくなることも多々あります。弱音を吐いたり、逃げたり… だれかに誇れる行動ばかりできているわけではありません。

だからこそ、怖いんです。


立派な人 = 発信に値する?

立派な人… わたしはなれません。私は、他人に「バカだ」とか「頭が弱い」とか、「ぼーっとしている」とか、見下されることがよくあります。「なんもできないダメなやつ笑」とまったく関わったことのない人に、会った瞬間、レッテル貼りをされることも少なくありません。

かと思えば、「賢い」「理解力が高くて話しやすい」「笑顔が素敵」と、とっても褒めてくれる人もいます。


私は〝立派〟でも〝完成した人間〟でもありません

本当にこれにつきます。どれだけ経験を積んだとしても、ポジションを得たとしても、どこまでいっても私は未熟です。完成することもないので、「先輩」として上からモノをいうこともできません。

正直、私が他人様の領域にあるなにかに対して物申すことはできません。私はそんなにできた人間ではありません。しかし、自分に立てた誓いは守りたいし、自分の理想は叶えてあげたいと、心から思っています。


自分で自分にGOをだす

自分で自分にGOを出すためには、自分が恥ずかしく感じる弱点を、強みになるまでしっかり見つめ、活かしていくしかないのかなぁと今は考えています。

ただ見つめているだけでは何も進んでいかないので、「だれかに見られる意識」や「発信の目的」を一旦脇に置いておいて、とりあえずタスクとしての動画制作・発信を開始する必要があるなぁと感じています。

しかし、(私の場合)ある程度自分の本心や理想が腑に落ちていないと行動にすら落とし込めないので、毎日コツコツ自分と向き合い本心を深掘りしていく必要があります。


期限はざっくり決めておく

はい、ここも重要かなと個人的には思っています。ドッグトレーニングについてはある程度発信を続けられているので、生き方について話すチャンネルを運用しはじめたい。その期限は、だいたいではありますが〝11月1日から〟を目安にしています。

もし多少過ぎてしまってもそれはそれでOK。過ぎたからやらないという選択肢はないのですが、期限をきっちり守ろうとすると色んなバランスが崩壊してしまうことはわかりきっているので、こうしています。


はい、今回はこんな感じで私の理想と向き合ってみました。

いかがだったでしょうか?
なにかの参考になれば幸いです。

最後までお読みいいただき本当にありがとうございました!
また次の記事でお会いしましょう♪

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