残したいもの(望郷編2)
目的だとか目標だとか、経営戦略の本を引っ張り出して述べてしまった。
一番わかっていないのは私である。
ただ、なんとなく死んだ時に「彼の功績は・・・」と
言われてみたい願望はある。
建築家や作家が「作品」と呼ばれるものをこの世に残しているようにである。
いた証拠、存在していた証拠。
とは考えてみたものの
家でいうと、有名な建築家の先生がたが、色んな作品を残しているが、
そもそもの、柱や屋根、壁、床などの基本構造は誰が考えたのだろうか。
いまや知るすべもない。
私にも、前の会社でほとんどの人が私が作ったことを知らないものがある。
会社員時代、営業現場から本社企画担当になった時につくった
営業のための情報システム(イントラネット)がそのひとつ。
1997年当時、まだインターネットなんて一般にはほとんど普及してない時代、
コンピューターはメインフレーム全盛期、資料作成はワープロの時代だ。
営業マンがほしい情報は紙で上流から中流、そして下流の営業マンにやっと届く世界だった。
それを上・中流をすっ飛ばし、現場に伝えるしくみがほしい。
それをWEBベースで作った。
私たちはコンテンツを作りながら、LANケーブルを担いで
全国の営業拠点である展示場に行って繋ぎまくった。
今では想像できないだろうが、ワープロ機のRupoに繋いだりもした。
営業マンが必要と思われる情報を作り、発信した。
当時の偉いお方は、「ゼロ(契約)が暇してみてるだけのものだ」
と逆に怒られたりもしたし、
お金を扱う管理部門には、「これで紙がいくら節約できたのでしょうか」
と皮肉を言われたりもした。
でも、めげずにネットワークを張り、全国を制覇した。
「なに?WEBベースの仕組み?危なくて基幹システムはできないね」
と言っていたシステム屋もWEBベースが当たり前になった。
皮肉られながら作ったしくみが社長賞をとった。
もうひとつは、2000年の「インターネットで家を売る」しくみだ。
これまた、現場と大コンフリクトを起こした。
敵は社内だった。
この話は別の機会にしようと思うが、
このしくみは、できたばかりのグッドデザイン賞新領域デザイン?を受賞し、
お国主催の講演会や、TV取材など対応が忙しくもあり
楽しかったのを思いだす。
これらを知っている人たちは、もう定年退職が始まっていて
もはやこのしくみを私が作ったことなど、ほとんど知らない。
家の柱や屋根と同じになった(笑)
会社を辞め、独立して15年。
まだ、残したいことがある。と気づいた。
というより、気づかされた。
Twitterで知り合った師匠( @umuco_degital )の記事からである。
じぶんの立ち位置、他者がマネできないポジショニングは?
それは、ソーシャル・イノベーション・クリエイターだ。
社会人大学院時代の研究の裏テーマは、
ソーシャル・エンタープライズやコミュニティ論、NPO論。
コミュニティデザインという名称?は
今でこそ知っている人が増えたが、当時はほとんど知られていないし
「それって、地域活性とかでしょ?」と。
それは、私にとっては狭義のカテゴリーで
私のそれは広義であり、エコシステムだ。
今度は残すにはとんでもなくでかい構想である。
これが私の今の目的であり、
達成するには遥か遠い道のりだ。