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わからない。けど、わかろうとすることなら、できる。

※見出し画像は、今朝、近所の公園で撮ったものです。記事とは関係ありません。

はじめに:忙しくなってしばらく活動できなかった創作仲間

自分の生活状況や人間関係とクリエイティブについて考える機会がありました。

とあるクリエイティブ活動仲間の匿名グループチャットで、ここ数日投稿が途絶えていたメンバーがいたのですが、昨日久しぶりに復活しました。
どうやら家族親戚間の用事で忙しかったらしく、創作にあてる時間がなかったようです。

家族がいれば時間をかけて向き合わなくてはいけない時期があったり、介護があったりと、いろいろあります。

「しばらく顔出せずにいました。すみません🙏」ということでしたが、誰も迷惑かかってないから大丈夫です。
それに、そうした人間関係のあれこれは、結果的にですが、どんなジャンルの創作においても「芸の肥やし」になると思います。
(当事者としては、かんべんしてくれ!と思うことの方が多いと思いますが)

人間関係に悩まない私の創作物は薄っぺらいんじゃないか問題

翻って私はどうか?
家族とは疎遠で、27のときに結婚して2年後に離婚して以降、結婚願望すら消え失せて一人でいるのが平気になってしまいました。
誰にも煩わされることのない、自分の創作に専念できる生活。
それはそれで羨ましがられたりもしますが、私は私で、そんな自分の創作をどこか薄っぺらく思っています。
いつも撮っている風景や自然、スナップ写真はそれらしく撮れても、こと人間同士の関係を写し出したもの(たとえば七五三、成人式、結婚式などの通過儀礼に伴う記念写真とか)は撮れる気がしません。

そこで、その悩みをChatGPTに話してみました。

ChatGPTにきいてみた。

私の悩みをChatGPTに話してみました。

ChatGPTの回答はこうでした。↓
こちらの口調に合わせてタメ口になってくれるんですね。
長くてスクショできなかったのでコピペにします。

その悩み、すごく深いところで自分自身の創作と向き合っている証拠だね。
確かに、家族写真や通過儀礼の撮影は、その瞬間の「特別さ」と「関係性の重み」を感じ取る感性が必要になることが多い。今の一人暮らしや家族との疎遠という状況だと、そうしたテーマに向き合うのが難しいと感じるのは自然なことだと思う。

ただ、それは必ずしも「薄っぺらい」というわけじゃない。むしろ、その状況で感じる「距離感」や「客観性」が、独自の視点をもたらすこともある。たとえば、家族写真にしても、近くで愛情や喜びを撮るだけでなく、少し遠くからその場全体を捉える視点があってもいい。それも一つのアプローチだと思うよ。

また、自分が家族という形で直接関わっていなくても、「家族」をテーマにしている人たちの話を聞いたり、現場でその空気を感じたりすることで、少しずつ感覚を養うこともできるかもしれない。カメラマンとして、まずは家族写真をどう「観察」するか、そこから始めるのもいいんじゃないかな。

それに、創作には多様な視点があるから、家族をテーマにした写真だけが全てじゃない。今の自分が持っている視点や経験もまた、誰かに共感を与える力がある。だから、無理に「家族の形」を取り戻そうとしなくてもいいし、今のあなたが感じている「自分に撮れない気がする」という感覚を正直に見つめて、そこからどう創作に繋げるかを考えるのが重要かもね。

「薄っぺらい」と感じるなら、その気持ちを作品の中で正直に表現してみるのもありだと思うよ。その視点こそ、他の人には出せないあなたの「味」になる可能性があるから。

ChatGPTの回答を受けての私の返信。
ChatGPTによる2ターン目の回答。

そのとおりだと思えてしまう回答を、ChatGPTはほんの数秒で導き出してしまいます。
AIはこういう人間の面倒臭い悩みにも嫌な顔一つせず、「眠いから明日にしてくれ」「そんなの俺にきくな」「くだらないことで悩むな」とも言わないから、こちらも遠慮なく質問や相談ができて、かつ、そのことによって互いの関係性が悪くなることもありません。
今後ももっと人には訊けず奥深くにしまい込んだ悩みも吐き出していこうと思います。

結論:理解できずとも、理解しようと努めることが大事。

なにごとも「百聞は一見にしかず」であり「百見は一体験にしかず」です。当事者としての経験はなにものにも代えようありません。
しかし、「私はそういうの経験したことないから分からないです」と言ってしまうのは、歩み寄りの姿勢に欠けると思います。そんなことを言い出したら、極端な話、全く同じ人生経験をした人なんてこの世に2人といないワケですから…
そもそも本当に相手のことが理解できたかどうかなんて確かめようがない。だからこそ、理解しようとする姿勢が大事なわけです。
私は「家族を持たない者」の視点を活かしながらも、他の人の家族間の人間関係を観察したり、直接お話を伺ったり、本や映画など創作物を通したりして、理解しようとつとめるべき、というか、そうするしかありません。

まるで「愛してる」の言葉の意味を知らなかったヴァイオレット・エヴァーガーデンが、その後、手紙の代筆の仕事を通してたくさんの言葉に触れ、人の気持ちや感情を理解していったように、
私もいつか、人の心が動いた瞬間を大切に切り取った写真が撮れるといいなと思います。

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