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「自分にはできる」との思いが、社会と向き合う姿勢をつくる

今まで自分にはできなかったことや、できないと思って手を出さないできたことが、「できる(かも)」に変化したとき、社会と向き合う姿勢が大きく変わります。
受け身の態度が主体的に。諦めモードから積極的に。

私のnoteなので、私の体験から話したいと思います。

①運動音痴男子代表だった小中時代

私は、今でこそ40代の日本人男性の平均を上回る体力を持っていますが、じつは、小中とクラスに必ずいる体育苦手男子でした。
信じてもらえないかもしれませんが、球技(とくに手を使うもの)をやらせたら分かります。
そんな私は毎年毎年4月に「スポーツテストで5級をとる」と嘘の目標を書き、案の定できなくて、自己嫌悪を深めていました。
それが変わったのは中3年の4月。担任がその目標を真に受けてしまい、次の日から私は、運動部が朝練するグラウンドの隅で特訓することに…

結果、5級どころか4級が取れて自信がつき、その冬の学校行事である全校マラソン大会では、運動部員たちが作る第一集団の後ろを追うくらいになっていました。
周りの同級生(とくに運動部員)の態度も、「お前なかなかやるじゃねーか!」とばかりに好意的になりました。かつての運動音痴仲間との関係は反比例しましたが(笑)

たまたま担任ガチャに当たったわけですが、こうした「できる」体験(成功体験ともいうのでしょうか)が得られるか否かが、大人になってからも明暗を分けると思います。


②苦手な営業と、どん底の成績からの回復

それから年齢が2倍になった20代後半、とある生協で地域担当として勤めました。
「生協の配達のお兄さん」をやりながら、その地域にお住まいの皆さんに営業して回ります。成績の評価基準はもちろん、営業成績です。
私は最初「性格的に営業なんて絶対無理!」と思いましたが、根気よく教えてくれる上司や先輩に後押しされながら、だいたいの時期を平均以上の成績で乗り切れました。
中3での体験から「最初は苦手でもやれば意外とできる」ということを学んでいたからだと思います。

生協に勤めたのは3年半ほど。その間にも紆余曲折あって、頑張りが空回りして最底辺の成績が続き、毎朝通勤が憂鬱で、トラックで配達を終えて職場に帰るのが怖かった時期もありました。
「調子いいときに頑張るのは、誰でもできる。辛い時期でも腐らず頑張れるかどうかが本当の分かれ目なんだ」
という上司の言葉を胸に、どうにかV字回復(大袈裟)を成し遂げたときは、
「辛い状況は永遠に続くかに見えるが、前に進み続ければいつかは抜け出せる」ということを実感できました。

③「自分にはできる」との思いが、社会と向き合う姿勢をつくる

たまたま人生を振り返る機会があったので、①〜②の内容を振り返ってみたのですが、「人生が変わった経験」は、ほとんどイコール、「自分にもできる」と思えた経験でした。
その「人生が変わった」を言い換えると、「社会と向き合う姿勢が変わった」になると思います。
自分が所属する社会とは、例えば自分の住む街、会社、学校、友人関係、家族…となるわけですが、人と人との関係である以上、必ず問題は発生します。
そのとき、「自分には解決できない」と思う人は仲間内の飲み会で愚痴るわけですが、「できる」という感覚が持てる人は自然と主体的になって、解決へのアクションを起こします。

私はたまたま担任ガチャや上司ガチャに当たったわけですが、大人になって自分で自分の選択をできるようになったので、そういう体験ができる環境を意識的に選んでいこうと思います。

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