【同人誌「SWEET HONEY」試読①】「錬金術師と弟子の理想的な関係について」(「錬金術師と不肖の弟子」番外編)
同人誌「SWEET HONEY」の試し読みです。
商業作品「錬金術師と不肖の弟子」(キャラ文庫)の番外編です。
錬金術師と弟子の理想的な関係について
西の大陸にあるウェルアーザーは実り豊かな秋を迎えていた。農村部から離れた王都の市場にも各地からの収穫物が並び、賑やかな人の往来とともに街を彩っている。
錬金術師の工房が立ち並ぶハイド地区にも多くの観光客が訪れていた。
買い物帰りのリクトは、賑わうメイン通りの工房を偵察も兼ねながらあちこちを見て回って歩いていた。
リクトはおそらく今年十七歳、生い立ちが少々複雑なため、本人にも周囲にも正確な年齢はわからない。からだつきはすらりとしていて、はしばみ色の瞳が印象的な顔立ちはプラチナブロンドにふちどられて美麗に整っていた。外見はしっかりして見えるが、山村で常識人とはいえない師匠に育てられたため、少々世間知らずなところがある。
「こんにちは」
アビーとダレンの兄弟の食堂の扉を開けて中に入ると、昼時を過ぎているのに満席に近かった。
店内には王都ではなじみのない異国の服装や旅装束の客も目立ち、普段から常連で混んでいる店ではあるが、いつもとは違う客層が訪れているとわかる。中でも神殿参りと思しき刺繍入りの白い長衣を身にまとった若者たちの姿が多く目立った。
「おう、リクトじゃん。ここ空けといたから座りなよ」
アビーがリクトに笑いかけてきて、奥まったテーブル席を指し示す。
アビーは明るいブラウンの短髪をした少年で、一見やんちゃそうだが、顔立ちは可愛らしく整っている。
ついたての向こうのその席は、通常アビーが注文書を書いたり、ダレンが帳簿をつけたりしているテーブルだ。混雑時にはどうしても座れないときの常連の避難場所にもなる。
「すいません。混んでいるときに。季節限定の栗のケーキがメニューに加わったと聞いたので」
「気にしなくて大丈夫。栗のケーキは超人気で昼過ぎには毎度売り切れだけど、今日は買い出しの日ってわかってたから、リクトの分は確保してある。それにもうそろそろさすがに昼の客は引く時間帯だしな」
「やはり栗は超人気ですか」
リクトはごくりと唾を呑みこみながら頷いた。
兄弟の食堂の季節ごとの新作のデザートはハイド地区ではいつも話題を呼ぶのだ。外のメニュー看板に添えられた栗のケーキのイラストを目にしたときから、リクトは一刻も早く食さなくては――と心に決めていた。
「アジェスの神殿参りで若い旅人も多いからさ。まあ繁盛してうれしいけど。あ、すでに先にテーブルにひとりいるんだけど、相席でいいよな。知り合いだし」
「はい。かまいません。どなたが……」
顔見知りの常連だろうかと、リクトはついたての向こうを覗く。奥のテーブルに座っている先客が大きく口を開いてスフレケーキをいままさに食そうとしているところだった。
ゆるやかなウェーブのかかった金色の髪と緑の瞳。十四、五歳の美しい少年に見えるが本来の姿は竜で、こちらの世界では竜人とも神人ともよばれる神なる種族のひとり――カトルだった。
「カトルさん。いらしてたんですか」
カトルはスフレケーキを口にぱくりと入れた。
「カトルがいたら、なにか文句があるのか」
「いえ。とんでもありません。お元気そうでなによりです」
「ふん。おまえもデザートを食いにきたんだろう。さっさと座れ」
カトルは苛立たし気にテーブルを指ではじく。
相変わらず友好的とはいえない態度だが、リクトには生意気な少年というよりも、その姿は本来の竜の印象が強い。彼がこちらの世界で竜になると、翼のあるトカゲのような大きさにしかならないのだが、そのミニチュア感さえもたまらない。いまもリクトの目には言葉をしゃべるトカゲがテーブルの席にちんまりと座り、フォークでケーキをつつきながらぷんぷんしているようにしか見えない。これが愛らしくなくてなんなのだろう。
いつまでも席につかずに観察する視線を向けてくるリクトを、カトルは「なんだ?」と訝しんだ。
「はい、あの……突然ぶしつけなお願いで申し訳ないのですが、カトルさんの頭をなでさせてもらえないでしょうか」
「はあ?」
「どういうわけかカトルさんを見ていると、そういう欲求が沸き上がってきて……すいません。こらえきれなくて失言してしまいました」
カトルは薄気味悪そうにリクトを見つめたあと、理解に苦しむように表情をゆがめた。ややあってから、ある回答に至ったというように気まずそうに目許を赤く染める。
「……まあカトルは愛らしいからな。ふん、仕方ない。おまえはカトルの主なのだから、好きにすればいい」
「いいのですか?」
「許す」
椅子にふんぞりかえったカトルの頭に、リクトはそっと手を伸ばした。
「おまたせ。栗のケーキと紅茶でいいんだよな。……って、なにしてんの?」
「お許しがもらえたので」
アビーが目を丸くしている横で、リクトはカトルの頭をなでまわしたあと満足げに息を吐いた。
「すごく、癒されます。後利益すらあるような気がして。どういう効果なんでしょうか、これ」
栗のケーキの皿と紅茶のカップを置きながら、アビーは口許をひきつらせた。
「……えっと、なに? 新たなプレイの一種? リクトって、こいつのご主人様なんだっけ?」
わけあってリクトはカトルと契約して竜の主となっている。カトルが竜だということは話せていないので、アビーにはいろいろ曲解して伝わっている。
カトルは憐れむようにアビーを見た。
「そうだ。主の特権だ。おまえが撫でたくても、卑小な存在には許されぬことだ。堪えろ」
「……べつに撫でたくねえ……」
アビーは不本意そうにつぶやいてから、「俺もやっと休憩だから」とテーブルの席につく。
「すいません、アビー。撫でるのは僕だけの特権で」
「いや、だからどうでもいいって。なんの話だよ。俺を変な特殊プレイに巻き込むな」
「気にしてないのならよかったです。カトルさんはとても愛らしいので」
アビーの前では口にはだせないが、竜の存在にふれることは世界の神秘にふれるのと同じこと――カトルを目にするだけでリクトはただならぬ興奮を覚えてしまうのだ。錬金術師としての探求心だけでなく、単にトカゲみたいな小さな竜が可愛いということも多分にあるが。
リクトもようやく席につき、運ばれてきた栗のケーキを感嘆しながら眺めた。栗の甘煮が飾られ、濃厚そうなクリームが添えられている。
いつもスフレケーキを注文しているカトルは、新作のケーキを目にしてごくりと喉を鳴らした。
「なんだ、それは」
「栗のケーキです。秋の新作だそうで」
「カトルもそれを追加注文しよう。おい、オーダーだ」
「残念だけど、リクトの分で最後だぜ。人気商品だから」
つれないアビーの返答に、カトルは肩を落とした。
「……カトルさん、よかったら半分に分けましょうか」
リクトの申し出に、カトルはふてくされたように「いい」といったん拒否したものの、アビーに頼んでナイフを借りたリクトはケーキを二等分にしてしまう。
「カトルはいいといってるのに……」
「もう分けてしまいましたし、ふたりで食べたほうがおいしいです」
空いている皿に半分にしたケーキを載せられて、カトルは「仕方ないな」といいつつ食べはじめた。リクトは満足そうにそれを眺める。
「おまえ、そんなにカトルが好きなのか。いささか愛が重いぞ」
「すいません。見ているだけで幸せなので」
うんざりした様子のアビーをよそに、カトルはふふんと満足そうに鼻を鳴らした。
「おまえがカトルに夢中になるのも無理はないがな。しかし……もっと気にかけなければいけない相手はほかにいるのではないか。あの唐変木は不満をいわないのか」
「唐変木?」
「アダルバートだ。おまえたちは師匠と弟子というだけでなく、いかがわしく爛れた関係なのだろう?」
リクトは小首をかしげた。
◇ここまでお読みいただき、ありがとうごいました。続きは同人誌「SWEET HONEY」でお楽しみください。
2025年3月23日のJ庭、5月11日の文学フリマ東京に参加予定です。
「SWEET HONEY」も持っていきます。